鍋屋町 (名古屋市)

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鍋屋町
鍋屋町の痕跡が残る東片端南交差点(2016年4月)
鍋屋町の痕跡が残る東片端南交差点(2016年4月)
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Aichi Prefecture.svg 愛知県
Flag of Nagoya, Aichi.svg 名古屋市
Emblem of Higashi, Nagoya, Aichi.svg 東区
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
市外局番 052[1]
ナンバープレート 名古屋[2]

鍋屋町(なべやちょう)は、愛知県名古屋市東区地名1976年昭和51年)1月18日、同区二丁目および同三丁目に編入され、消滅[3]

地理[編集]

学区[編集]

人口[編集]

国勢調査による人口の推移

1950年(昭和25年) 634人[4]
1955年(昭和30年) 936人[4]
1960年(昭和35年) 1125人[5]
1965年(昭和40年) 1166人[5]
1970年(昭和45年) 1089人[6]
1975年(昭和50年) 931人[6]

歴史[編集]

鍋屋町通(2014年8月)

かつては清洲城下町に鍋屋町(なべやまち)として所在したが、清洲越しにより当地に移転した町である[7]。清洲時代は、清洲城の南東に位置したとされる[7]。江戸時代の当町は、京町筋の善光寺筋より石垣屋横丁までを指していたが、明治4年(明治5年頃とする資料もある[3])近接していた新町と九十軒町を編入することで町域を変更している[7]鋳物師水野太郎左衛門家は春日井郡鍋屋上野村に居を構えていたが、文禄2年に清洲城下町に移住[7]。三代目に至り、当町の南側に移った[7]。この水野家は、織田信長からの黒印状永禄6年に与えられて以来、尾張藩領内における鋳物鋳造の権利を独占していた[7]

地名の由来[編集]

町内に鍋職が多く在住していたことによるという[7]

沿革[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧 (PDF)” (日本語). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
  2. ^ 管轄区域” (日本語). 国土交通省中部運輸局愛知運輸支局. 2015年5月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 737.
  4. ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 73.
  5. ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 67.
  6. ^ a b c 名古屋市総務局統計課 1977, p. 41.
  7. ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 976.

参考文献[編集]

  • 『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市総務局企画室統計課、名古屋市、1957年(日本語)。
  • 『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市総務局企画部統計課、名古屋市、1967年(日本語)。
  • 『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市総務局統計課、名古屋市、1977年(日本語)。
  • 角川日本地名大辞典 23 愛知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989年3月8日(日本語)。ISBN 4-04-001230-5。
  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日(日本語)。

関連項目[編集]