鎌田勝太郎

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鎌田勝太郎
かまだ かつたろう
生年月日 1864年4月5日
出生地 讃岐国坂出村
没年月日 1942年3月28日
所属政党 土曜会
称号 従五位
勲三等瑞宝章
藍綬褒章

日本の旗 衆議院議員
選挙区 香川県第三区
当選回数 1回

当選回数 4回(史上最多)
在任期間 1897年 - 1925年
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鎌田 勝太郎(かまだ かつたろう、1864年4月5日元治元年2月29日) - 1942年(昭和17年)3月28日)は、戦前日本の実業家社会事業家、資産家[1]、香川県多額納税者[2]政治家貴族院多額納税者議員(4期)、衆議院議員(1期)。宇多津塩田、朝鮮実業、鎌田産業各社長[3][4]。讃岐信託相談役[3][5]。琴平急行電鉄顧問[5]香川県教育会理事長[3][5]。鎌田共済会会頭[3][5]。族籍は香川県平民[2][4]正康[6]淡翁。堺屋、醤油醸造[3]。坂出塩業の振興につとめ「讃岐坂出塩業の父」とも称される[6]。貴族院政治史上最多の当選回数(4選)の保持者でもあり、貴族院の重鎮としても君臨した。

経歴[編集]

醤油醸造を業とする家に生まれた。鎌田正平の長男[2]。2歳の時、父に死別した[7]1876年8月、家督を相続した[4]1878年上京して「福澤諭吉の門に出入した」というが、実情は明らかにし得ない[7]。在学中に北海道を見聞して帰郷したのちに「快航丸」という船を購入し、「坂出 - 函館間」を結ぶ海運業を興すなど若くして手腕を発揮。醤油醸造によって得た利益を社会に還元することを考え、鎌田育英会をおこして慈善育英事業に従事。育英や社会事業に尽くした[6]

塩業界の富豪としては、宇多津塩田株式会社を資本金三万円で設立し、岡山の野崎武吉郎とも並んで称され、坂出塩産合資会社では、地主による会社として石炭の販売を行い、への貿易を早い段階で始めた。銀行家としては、第百十四国立銀行の大株主でもある鎌田は、銀行経営に深い関心を寄せ、朝鮮実業銀行社長となり製塩業を対象とする銀行経営に乗り出した。また、塩消費税問題に対処するため大日本塩業同志会を設立。

貴族院政治家としては、曽我祐準谷干城に近い懇話会系の議員として出発し、平山成信江木千之らの茶話会に対抗した。その後、1923年(大正13年)の貴族院第46議会に質問演説で貴族院改革の必要を強調。近衛文麿らが所属する土曜会に所属したがのちに、朝日倶楽部を経て政友会系の交友倶楽部に移った。

年表[編集]

讃岐国坂出村(現・香川県坂出市)生まれ。鎌田家は代々、香川県綾歌郡坂出町で醬油製造業と酒造業を営んでいた。

  • 1883年(明治16年)塩産合資会社社長。
  • 1886年(明治19年)私立済々学館長。
  • 1892年(明治25年)香川県会議会議長。
  • 1893年(明治26年)坂出銀行頭取。
  • 1894年(明治27年)第4回衆議院議員総選挙にて衆議院議員。大日本塩業同盟会設立。
  • 1896年(明治29年)讃岐鉄道取締役。
  • 1897年(明治30年)讃岐紡績会社社長(大正7年倉敷紡績会社に合併)
    • 9月 - 貴族院多額納税者議員当選。同月29日に就任[8]
  • 1904年(明治37年)10月13日 - 貴族院多額納税者議員辞任[9]
  • 1905年(明治38年)朝鮮実業株式会社設立。
    • 1月 - 貴族院多額納税者議員当選。
  • 1932年(大正7年)財団法人鎌田共済会設立。
  • 1925年(大正14年)9月 - 貴族院多額納税者議員辞任。
  • 1942年(昭和17年)死去。79歳。

栄典[編集]

家族・親族[編集]

鎌田家 

香川県綾歌郡坂出町、東京市麹町区一番町[3][5]

  • 父・正平(香川平民)[4]
  • 妻・ヨシエ岡山、中原俊輔の長女)[4]
  • 養子・憲夫(香川、鎌田大三郎の四男、鎌田産業、朝鮮実業各取締役)[5]
1889年 -
  • 同妻・ツギオ(香川、黒瀬琢郎の姉)[3]
1887年 -
1914年 -
1916年 -
1912年 -
  • 養子・(分家)[5]
1900年 -
  • 男(生母は東京の真壁サタ)[5]
1927年 -

脚注[編集]

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  1. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月26日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第7版』か130頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』カ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月25日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』か90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第12版 上』カ150-152頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月8日閲覧。
  6. ^ a b c 鎌田 勝太郎とはコトバンク。2017年10月26日閲覧。
  7. ^ a b 『日本財閥経営史 地方財閥』220-223頁。
  8. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  9. ^ 『官報』第6389号、明治37年10月14日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

関連項目[編集]