長崎大学教育学部附属中学校

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長崎大学教育学部附属中学校
Nagasaki Universty Fuzoku Junior High School.jpg
過去の名称 長崎師範学校男子部附属中学校・長崎師範学校女子部附属中学校
長崎大学長崎師範学校第一附属中学校・長崎大学長崎師範学校第二附属中学校
長崎大学学芸学部第一附属中学校・長崎大学学芸学部第二附属中学校
長崎大学学芸学部附属中学校
国公私立 国立学校
設置者 国立大学法人長崎大学
併合学校 長崎大学学芸学部第一附属中学校
長崎大学学芸学部第二附属中学校
校訓 光と力と望みと
設立年月日 1947年(昭和22年)
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 852-8131
長崎県長崎市文教町4-23
公式サイト 長崎大学教育学部附属中学校
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長崎大学教育学部附属中学校(ながさきだいがくきょういくがくぶふぞくちゅうがっこう, Junior High School Attached to the Faculty of Education, Nagasaki University)は、長崎県長崎市文教町にある長崎大学教育学部附属の中学校。略称は「附属中」、「附中」、「長大附属」、「附属」。

長崎大学教育学部附属小学校との併設校である。

概要[編集]

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により大村市に開校した「長崎師範学校男子部附属中学校」と「長崎師範学校女子部附属中学校」を前身とする。移転・統合と数回の改称を経て、1966年(昭和41年)に現校名となった。2012年平成24年)に創立65周年を迎える。
校訓
「光と力と望みと」[1]
校章
「附中」の文字(縦書き)附中丸と呼ばれる船
校歌
1958年(昭和33年)11月30日に制定。作詞は長崎大学教育学部附属中学校国語科、作曲は山口健作による。3番まであり、各番の歌詞に「附属」が登場する。
附中讃歌
作詞は永嶋寛延、作曲は中村晋一による。3番まであり、各番の歌詞に「附属中」が登場する。4つのパート(ソプラノ・アルト・テノール・バス)に分かれて合唱する。
特色
BESTや自己探求(表現探究・教科探究・学問探究・社会探究)を全学年取り組んでいる。BESTとは、授業の5分間を使い、簡単な問題や音読を行い、脳を活性化させ、授業にスムーズに入れるようにする、独自の取り組みである。東北大学川島隆太教授が開発したものである。2008年度(平成20年度)までは、授業開始前5分間にほぼ必ず行っていたが、2009年(平成21年)より授業時間を5分間のばし、その中で教師の判断で行うようになった。

沿革[編集]

  • 1947年(昭和22年)4月28日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校が誕生。
    • 大村市[2]乾馬場に「長崎師範学校男子部附属中学校」[3]、大村市下久原に「長崎師範学校女子部附属中学校」[4]が開校。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月31日 - 新制長崎大学が発足し、長崎師範学校が包括され、長崎大学長崎師範学校となる。
    • 7月31日 - 男子部を「長崎大学長崎師範学校第一附属中学校」、女子部を「長崎大学長崎師範学校第二附属中学校」と改称。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 男子部を「長崎大学学芸学部第一附属中学校」、女子部を「長崎大学学芸学部第二附属中学校」と改称。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月31日 - 長崎師範学校が廃止。
    • 4月1日 - 第二附属中学校を廃止し、第一附属中学校に統合の上、「長崎大学学芸学部附属中学校」と改称し、男女共学を開始。
  • 1952年(昭和27年)6月10日 - 大村市下久原(旧・女子部附属小学校)に移転し、附属小学校と同居する。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月 - 長崎大学学芸学部(現・教育学部)が大村市から長崎市(現・文教キャンパス)に移転。
    • 6月3日 - 大村市にあった附属中学校を廃止し、長崎市立西浦上中学校を代用附属中学校とする。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月31日 - 長崎市立西浦上中学校の代用附属中学が終了。
    • 4月12日 - 学芸学部内に附属小学校と同居する形で「長崎大学学芸学部附属中学校」を開校。
  • 1955年(昭和30年)
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月14日 - 新校舎が完成。
    • 8月6日 - 第二光と力と望みの歌が完成。
  • 1958年(昭和33年)11月30日 - 校歌を制定。
  • 1963年(昭和38年)11月11日 - プールが完成。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 学部名変更に伴い、「長崎大学教育学部附属中学校」(現校名)と改称。
  • 1967年(昭和42年)8月21日 - 校舎建設のために技術科棟を移設。
  • 1968年(昭和43年)3月25日 - 校舎・体育館が完成。
  • 1969年(昭和44年)1月16日 - 特殊学級(現・特別支援学級)を開設。校舎が栁谷町に完成し、附属小学校・中学校柳谷分校舎とする。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1985年(昭和60年)6月5日 - 少年ブロンズ像を除幕。
  • 1991年(平成3年)3月27日 -「光と力と望みと」校訓碑を除幕。
  • 1997年(平成9年)11月2日 - 創立50周年記念式典を挙行。記念事業として「光と力と望みと」の時計塔を除幕。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 国立大学法人
  • 2007年(平成19年)7月 - 創立60周年を迎える。校舎老朽化に伴い、改築、耐震工事完了。

部活動[編集]

運動部
文化部

著名な出身者[編集]

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 校訓が制定された当時の校長が旧制佐賀県立唐津中学校出身ということで、唐津中学校(現佐賀県立唐津東高等学校)の校訓と同じである[要出典]
  2. ^ 大村に校舎があった経緯については長崎師範学校を参考。
  3. ^ 長崎師範学校男子部附属国民学校の初等科が長崎師範学校男子部附属小学校に、高等科が附属中学校に改編された。
  4. ^ 長崎師範学校女子部附属国民学校の初等科が長崎師範学校女子部附属小学校に、高等科が附属中学校に改編された。

関連事項[編集]