長崎県立佐世保中学校 (旧制)

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旧制長崎県立佐世保中学校(きゅうせいながさきけんりつ させぼちゅうがっこう)は、1908年明治41年)長崎県により佐世保市に設置され、翌1909年(明治42年)に開校した旧制中学校。略称は「佐中」(さちゅう)。

現在の長崎県立佐世保北高等学校長崎県立佐世保南高等学校の前身となった学校の1つである。

概要[編集]

校訓五則
標語「自彊[1]自律」[2]
  • 一. 體ヲ練リ氣ヲ養ヒ以テ遠大ノ志ヲ勵スコト(体を練り気を養ひ以て遠大の志を励すこと)
  • 一. 陰ヲ惜ミ勞ニ服シ以テ學習ノ務ヲ盡スコト(陰を惜み労に服し以て学習の務を尽すこと)
  • 一. 儉ヲ崇ヒ約ニ據リ以テ質素ノ風ヲ守ルコト(倹を崇ひ約に拠り以て質素の風を守ること)
  • 一. 師ヲ敬ヒ友ニ親ミ以テ誠實ノ意ヲ厚ウスルコト(師を敬ひ友に親み以て誠実の意を厚うすること)
  • 一. 紀ニ循ヒ律ニ依リ以テ公共ノ義ヲ立ツルコト(紀に循ひ律に依り以て公共の義を立つること)
校章・校旗
教諭 中曽根都太郎[3]によって制作。月桂樹の絵を背景にして、中央に「中」の文字を配している。また、校旗や帽章には上記の校章の背景に、天地人の三徳[4]を表す白の三本線が伸びている。
校歌
1909年(明治42年)11月に制定。作詞は土井晩翠、作曲は田村虎蔵[5]東京音楽学校助教諭)によるもの。5番まであり、5番の歌詞に校名である「佐世保中学校」が登場する。
また校歌とは別に、第一~第六の応援歌、戦捷歌もある。校歌・第一応援歌・第二応援歌・第四応援歌の歌詞には校章の「月桂樹」が登場する。
同窓会
「佐世保中学校同窓会」と称し、創立100周年を迎えた2008年(平成20年)に解散した。かつては東京関西福岡(福葉会)、熊本長崎、佐世保(相浦谷・北松)などに支部を置いていた。

沿革[編集]

長崎県立佐世保中学校
  • 1908年(明治41年)
  • 1909年(明治42年)
    • 4月17日 - 「長崎県立佐世保中学校」が開校。開校式・入学式を挙行(第1回入学生110名)。(創立記念日)
    • 4月19日 - 授業を開始。
    • 4月25日 - 新校舎[6][7]が完成。
    • 4月 - 校訓五則を制定。
    • 11月 - 校歌を制定。
  • 1913年大正2年)- 第1回大運動会を開催。
  • 1914年(大正3年)
  • 1918年(大正7年)10月20日 - 第1回修学旅行を実施。学年は5年生(最高学年)。目的地は長崎島原
  • 1920年(大正9年)
  • 1923年(大正12年)4月 - 佐世保市立夜間中学校を併設。
  • 1924年(大正13年)- 外地への修学旅行を実施。目的地は第18回生までが朝鮮安東、19回生以降が満州奉天旅順大連
  • 1930年(昭和5年)- 相浦一周マラソンの対象生徒を4・5年生だけとし、1~3年生は大野往復マラソンに変更。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月 - 日宇(通称:ヶ丘、現・佐世保南高校、地図)に木造2階建ての新校舎が完成し、移転を開始。
    • 8月 - 移転を完了。
    • 11月 - 校地移転に伴い、相浦一周マラソンを三川内往復マラソンに変更。
  • 1943年(昭和18年)10月 - 同窓会より、同窓会館兼図書館が寄贈。
  • 1944年(昭和19年)5月 - 学徒動員が開始。海軍工廠、二十一空廠兵器部、弾薬庫などに動員される。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 同窓会館兼図書館が二十一空廠兵器部分工場として終戦まで接収される。
  • 1947年(昭和22年)
    • 2月 - 寄宿舎を焼失。
    • 3月31日 - 通信教育部を併設。
    • 4月 - 学制改革による新制高等学校発足を1年後に控え、旧制中学1年生の募集を停止し、2・3年生を新制の併設中学校に収容。4・5年生は旧制中学校在籍のままとする。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 最後の卒業生(36回生)を送り出し、旧制佐世保中学校が閉校。
長崎県立佐世保第一高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、「長崎県立佐世保第一高等学校」(男子校)となる。
      • 併設中学校卒業生(38回生)を新高校1年生、旧制中学5年生(37回生)を新高校2年生、旧制中学卒業生(36回生)の中で希望者を新高校3年生とする。
    • 11月
      • ニブロ米占領軍軍政部教育官の方針により、佐世保市内の普通科高等学校5校[8]を統合の上、小佐世保川を境[9]男女共学の「長崎県立佐世保北高等学校」と「長崎県立佐世保南高等学校」を設置することが決定[10]。5校の併設中学校も、佐世保南・北の2校に統合される(1946年(昭和21年)に旧制中学へ最後に入学した39回生は1949年(昭和24年)3月に併設中学校を卒業後、4月から新高校1年生となる。同時に併設中学校が廃止。)
長崎県立佐世保南高等学校・佐世保北高等学校
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月1日 - 「長崎県立佐世保南高等学校」と「長崎県立佐世保北高等学校」が正式に認可されて発足。旧・佐世保中学校校舎は佐世保南高等学校に継承される[11]
長崎県立佐世保南高等学校#沿革長崎県立佐世保北中学校・高等学校#沿革も参照。
佐世保中学校閉校後・同窓会の活動等
  • 1959年(昭和34年)11月 - 佐世保市立清水小学校(かつての草木ヶ原校地)正門そばに「旧長崎県立佐世保中学校之跡」の碑を建立。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 佐世保中央公園「いこいの森」の一角に「想いの丘」碑を建立。
  • 1978年(昭和53年)11月 - 福石観音清厳寺境内に物故した佐世保中学校同窓生の慰霊碑を建立。
  • 1998年(平成10年)- 佐世保南高等学校玄関前に「長崎懸立佐世保中學校之碑」を建立。
  • 2004年(平成16年)6月6日 - 佐世保南高等学校内の旧・佐世保中学校講堂が解体。
  • 2007年(平成19年)9月 - 佐世保南高等学校内に「長崎県立佐世保中学校同窓会史料室」が開設。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月 - 佐世保北高等学校玄関前庭に「佐中健児ここに学ぶ」の碑を建立。
    • 4月17日(創立記念日) - アルカスSASEBOで創立100周年記念式典[12]を挙行。同時に会員の高齢化・減少を理由に同窓会を解散[13]
  • 2009年(平成21年)3月21日
    • 佐世保中学校に一時在学していた[14]下村脩博士のノーベル化学賞受賞を記念し、佐世保南高等学校の庭園に、同窓生によって博士の顕彰碑が建立。下村博士来校の上、除幕式を挙行[15]

歴代校長[編集]

  • 初代 - 児玉実徳 (1909年(明治42年)3月 ~ 1912年(大正元年)10月)
  • 第2代 - 安部利三郎 (1912年(大正元年)10月 ~ 1914年(大正3年)1月)
  • 第3代 - 佐藤秀一 (1914年(大正3年)2月 ~ 1920年(大正9年)4月)
  • 第4代 - 岡野章太 (1920年(大正9年)7月 ~ 1923年(大正12年)3月)
  • 第5代 - 今井精一 (1923年(大正12年)3月 ~ 1924年(大正13年)12月)
  • 第6代 - 西崎憲英 (1924年(大正13年)12月 ~ 1933年(昭和8年)1月)
  • 第7代 - 大野芳磨 (1933年(昭和8年)1月 ~ 1937年(昭和12年)8月)
  • 第8代 - 堀口太一 (1937年(昭和12年)8月 ~ 1941年(昭和16年)3月)
  • 第9代 - 石田藤吉 (1941年(昭和16年)3月 ~ 1943年(昭和18年)3月)
  • 第10代(最終) - 高野乙助 (前・長崎県立佐世保高等女学校校長、1943年(昭和18年)4月 ~ 1948年(昭和23年)10月)

学友会(部活動)[編集]

運動部
文化部

著名な出身者・卒業生[編集]

軍人
政治・行政
学術
その他

脚注[編集]

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  1. ^ 読みは「じきょう」。意味は「自ら努め、励むこと」。「彊」は「強」の旧字体。
  2. ^ この標語は、長崎県立佐世保南高等学校の校訓(自彊自律・和敬礼節)として継承されている。また、「自律」は長崎県立佐世保北中学校・高等学校の校訓(自律・積極・友愛)として継承されている。
  3. ^ 在職期間は1909年(明治42年)3月から1918年(大正7年)7月まで。群馬県安中市出身。広島高等師範学校卒業。
  4. ^ 第七代校長 大野芳磨による。長崎県立佐世保中学校創立100周年記念「草木ヶ原」p.21
  5. ^ 田村虎蔵 - 鳥取県文化観光局ウェブサイト
  6. ^ 東京帝国大学工学部建築学科卒業の駒杵勤治(こまきねきんじ)による設計。木造2階立てで、屋根に尖塔を置いていた。現在は解体され、佐世保市立清水小学校の校地となっている。なお、清水小学校の校門門柱はかつての佐世保中学校校舎を模した尖塔のついたデザインとなっている。また、駒杵勤治は同時期の佐世保市役所庁舎のデザインも行った。駒杵の略歴(コトバンクウェブサイト)を参照。
  7. ^ 第九章 明治時代の佐世保 - 佐世保市ウェブサイト(長崎県立佐世保中学校草木ヶ丘校舎の画像が掲載されている。)
  8. ^ 1. 長崎県立佐世保第一高等学校(旧・長崎県立佐世保中学校)、2. 長崎県立佐世保第二高等学校(旧・長崎県立佐世保第二中学校)、3. 佐世保市立東和高等学校(旧・佐世保市立東和中学校)の男子校3校と、4. 長崎県立佐世保女子高等学校(旧・長崎県立佐世保高等女学校)、5. 佐世保市立成徳高等学校(旧・佐世保市立成徳高等女学校)の女子校2校、計5校。
  9. ^ 佐世保市立山澄中学校区以東を佐世保南高等学校、佐世保市立旭中学校区以西を佐世保北高等学校とした。なお、小佐世保川周辺の旭中学校区の生徒は、佐世保南か佐世保北かを選択できるようにした。
  10. ^ もともと佐世保市内には15校の中等学校があり、それらは新制高等学校に昇格し、その後統合・再編が進められた。ここで佐世保市としては県立高等学校4校設置を求めていたが、ニブロ米占領軍軍政部教育官の方針で、結果的に佐世保北高等学校・佐世保南高等学校、佐世保商工業高等学校(佐世保商業高校と佐世保工業高校の統合)の3校の設置となった。なお、佐世保商工業高等学校は後に商業高校と工業高校に分離し、再び独立校となっている。
  11. ^ 旧制佐世保中学校・佐世保第一高等学校の学籍簿等も佐世保南高等学校に継承された。
  12. ^ 記念式典には佐世保北高等学校・佐世保南高等学校両校の2・3年生が参加。
  13. ^ 長崎県立佐世保中学校創立100周年記念式典に参加して - 柏葉会(佐世保南高等学校同窓会)ウェブサイト
  14. ^ a b その後大阪府立住吉中学校(現 大阪府立住吉高等学校)に転校し、長崎県に戻ってきて、長崎県立諫早中学校(現 長崎県立諫早高等学校)を卒業。
  15. ^ 下村脩博士「佐世保市名誉市民顕彰式」(PDF)- 「広報させぼ」佐世保市ウェブサイト
  16. ^ 1944年(昭和19年)4月に旧制佐世保中学校に入学。1948年(昭和23年)4月の新制高校発足時に佐世保第一高等学校2年生、1949年(昭和24年)2月に佐世保南高等学校2年生となる。1950年(昭和25年)3月に佐世保南高等学校を卒業。

参考文献[編集]

  • 長崎県立佐世保中学校創立100周年記念「草木ヶ原」(2008年(平成20年)8月発行, 佐世保中学校同窓会、佐世保中学校同窓会史料室(長崎県立佐世保南高校内))
  • 長崎の青春 旧制中学校・高等女学校の生活誌(著 - 塚野克己, 1998年(平成10年)2月19日出版, 長崎文献社)

関連事項[編集]