長興寺 (田原市)

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長興寺
Chōkōji, Tahara. Hondō(Main Hall)(2016.04.30).JPG
本堂
所在地 愛知県田原市大久保町岩下8
位置 北緯34度39分29.4秒
東経137度13分47.6秒
座標: 北緯34度39分29.4秒 東経137度13分47.6秒
山号 雲龍山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 (伝)建治元年(1275年
開基 (伝)後深草上皇
中興年 文明14年(1482年
中興 戸田宗光(開基)、廬嶽洞都(開山)
正式名 雲龍山 長興寺
文化財 木造観世音菩薩立像(愛知県指定文化財)
地図
長興寺 (田原市)の位置(愛知県内)
長興寺 (田原市)
法人番号 2180305003059
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長興寺(ちょうこうじ)は、愛知県田原市大久保町にある曹洞宗寺院である。戦国時代国人領主戸田氏菩提寺として知られる。

歴史[編集]

寺伝によれば、建治元年(1275年)に後深草上皇の発願により、大覚寺という天台宗の寺院として創建されたという[1][2]。その後臨済宗に改宗するが[3]室町時代に入ると戦乱の影響で廃寺同然まで衰微した。

文明14年(1482年)に、三河渥美郡の分郡守護代一色政照(七郎)の菩提を弔うため、猶子である田原城主・戸田宗光が廬嶽洞都に懇請し、弟子の春崗慧成が入寺して大覚寺を再興した[3][4][注釈 1]。この時に曹洞宗に改宗し、寺号を長興寺と改めて、廬嶽を勧請開山とした。宗光は、同寺に寺領50貫文を寄進し、代々の菩提寺と定めている[5]

宗光の曽孫である戸田康光天文16年(1547年)に今川氏に滅ぼされると寺領の大半を失うが、田原城代となった朝比奈元智の仲介によって永禄5年(1562年)には全て回復し[6]、さらに今川氏真徳川家康からの寄進・庇護を受けた。

その後、田原藩第2代藩主・戸田忠能に至るまで、田原戸田家歴代当主の墓所が境内に営まれた。慶安元年(1684年)には朱印地100を与えられている[7]

境内[編集]

戸田氏墓所[編集]

正面から見た戸田氏墓所(2016年4月)
戸田氏墓所案内板(2016年4月)

境内西側に歴代の戸田氏当主やその妻などの墓所が整備され、西(墓所正面から向かって左)から以下の順に墓石が南面して並んでいる。

また、宗光の墓の手前(墓所西南隅)には、一色政照(七郎)の墓が東側を向いて建っている。もともとは、田原市大草町にあった宝憧寺[注釈 5]に建てられていた墓で、昭和40年(1965年)に長興寺へ改葬された。

文化財[編集]

愛知県指定文化財

高さ約110cm、材の一木造平安時代-鎌倉時代の作。像の表面全体にノミ痕が細かく刻まれており、眉や唇などに僅かに彩色が施されている。通称「鉈彫観音」。境内の収蔵庫に保管され、年1回公開している[12]

所在地[編集]

  • 愛知県田原市大久保町字岩下8

アクセス[編集]

豊橋鉄道渥美線三河田原駅から豊鉄バス伊良湖本線に乗り換えて「大久保」バス停下車

注釈[編集]

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  1. ^ 境内説明板では、廬嶽本人を招聘したとある。
  2. ^ 戸田尊次の五男。旗本御小姓組番士)。戸田忠次の孫にあたり、忠継とも記される。
  3. ^ 守隆は戸田忠能の岳父にあたり(忠能の正室・久昌院は、守隆の娘)、その関係で守隆とその室・天翁院の墓が所在するとみられる。なお守隆と天翁院の墓は、兵庫県三田市の心月院と三重県鳥羽市常安寺にもある。
  4. ^ 忠能の弟(寛政重修諸家譜)。
  5. ^ 一色政照が退隠した屋敷跡へ、政照没後に戸田宗光が建てた寺。昭和29年(1954年)に廃寺となる。[9]

出典[編集]

  1. ^ 境内説明板。
  2. ^ 長興寺誌 1985, p. 28-29.
  3. ^ a b 田原町史 中巻 1975, p. 601.
  4. ^ 長興寺誌 1985, p. 29.
  5. ^ 田原町史 中巻 1975, p. 584-585.
  6. ^ 田原町史 上巻 1971, p. 584-585.
  7. ^ 愛知県の地名 1981, p. 1086.
  8. ^ 田原町史 中巻 1975, p. 603.
  9. ^ 広報たはらNo.684(平成23年2月15日号)『しみんの広場・広報サポーターズだより 大草の歴史と文化を学ぶ会』 (PDF)”. 田原市. p. 02 (2015年9月4日). 2016年8月16日閲覧。
  10. ^ 木造観世音立像”. 文化財ナビ愛知(愛知県). 2016年5月5日閲覧。
  11. ^ 指定文化財一覧”. 田原市 (2016年4月1日). 2016年5月5日閲覧。
  12. ^ 鉈彫りの田原市・長興寺の聖観音像(達人に訊け! : 田中ひろみの仏像大好き!)”. 中日新聞プラス (2016年3月15日). 2016年5月5日閲覧。

参考文献[編集]

  • 境内説明板
  • 『田原町史』上巻、田原町文化財調査会編、田原町教育委員会、1971年。
  • 『田原町史』中巻、田原町文化財調査会編、田原町教育委員会、1975年。
  • 『愛知県の地名(日本歴史地名大系 ; 23)』 平凡社、1981年。ISBN 4582490239。
  • 仲金風著 『雲竜山長興寺誌』 長興寺、1985年。
  • 駒澤大学戦国史研究会「長興寺文書の紹介 : 中世史料を中心に (PDF) 」 、『駒澤史学』第49巻、駒沢史学会、1996年6月、 90-112頁、 ISSN 0450-6928NAID 1100070030562016年5月5日閲覧。
  • 九鬼隆訓 (2016年2月1日). “歴ネットさんだ通信 第45号『特別寄稿 このお墓はどこに?』 (PDF)”. NPO 法人・歴史文化財ネットワークさんだ. 2016年8月16日閲覧。

関連項目[編集]