長連恭

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長 連恭(ちょう つらやす、天保13年2月1日1842年3月12日) - 慶応4年4月9日1868年5月1日))は、加賀藩年寄。加賀八家長家第10代当主。

父は加賀藩年寄長連弘藩政改革を志向していた集団黒羽織党の領袖として知られる)。母は側室。正室は富田治部左衛門の娘。養子は長成連。幼名富若。通称九郎左衛門。官位従五位下大隅守。

生涯[編集]

天保13年(1842年)、加賀藩年寄長連弘の子として生まれる。弘化4年(1847年)、長家与力の河野久太郎が製作した西洋大砲の試射を見物する。安政4年(1858年)父、連弘の死去により家督と3万3000石の知行を相続する。

万延元年(1860年)12月、従五位下大隅守に叙任する。元治元年(1864年)7月、藩主前田斉泰に代わり藩兵を率い上京し、仙洞御所の警護を行う。同年11月、長州征討のため藩兵を率いて安芸広島に出陣する。同年12月、長州藩の降伏により撤兵して帰国する。慶応3年(1867年)、再び藩兵を率い上京し御所を警護する。

慶応4年(1868年)4月9日没。享年27。家督は異母弟の成連が相続した。

参考文献[編集]

  • 国会図書館所蔵「長氏家譜大要」