門司競輪場

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門司競輪場
基本情報
所在地 北九州市門司区不老町1-1-1
座標 北緯33度53分57秒 東経130度56分13秒 / 北緯33.899033度 東経130.937043度 / 33.899033; 130.937043
開設 1950年(昭和25年)5月19日
閉場 2002年3月31日(競輪開催廃止)
施行者 北九州市
走路 500m
記念競輪
名称 開設周年記念競輪
開催月 2月
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門司競輪場(もじけいりんじょう)は福岡県北九州市門司区にかつて存在した競輪場である。2002年3月に甲子園競輪場西宮競輪場と共に廃止となった。

本項では現在の施設名であるハイビジョンシアター門司(ハイビジョンシアターもじ)についても記述する。

概要[編集]

門司競輪場は1950年に当時の門司市が主催する競輪場として開設された。関門海峡を眼下に望める風光明媚な競輪場として知られ、シンボルマークはかもめがM字型に羽を広げたもの。毎年2月に記念競輪(GIII)として、開設○○周年記念競輪が開催されていた(かつては門司記念前節に関門賞、門司記念後節にレトロカップが開催されていた)。

1963年に門司市が合併して北九州市となってからは隣の小倉競輪場競輪祭が毎年開催されるようになったが、門司競輪場での特別競輪(GII以上)は1965年全国都道府県選抜競輪を最後に開催されることはなかった。これにより小倉競輪場との売上差が年を追って拡大していっただけでなく、北九州工業地帯における炭鉱の閉山と鉄冷えの状況が重なってしまい、門司競輪場は赤字に転落してしまう。

1986年には競輪の開催を小倉競輪場のみに一本化し門司競輪場を廃止する方向で検討されていたが、折からのバブル景気で売上が好転したため存続の方針が示された。しかしバブル景気崩壊後の1992年からは再び赤字となり、その後も経営状態が改善しない状況に陥ってしまい、さらに1998年に小倉競輪場が北九州メディアドームに移転したことから、再び小倉との一本化へ検討が行なわれ、その結果「門司の収益改善が見込めない」との結論が出たため、2001年に門司競輪場での競輪開催廃止が決定された。

2002年3月31日に行われた最終開催の最後のレースでは、吉岡稔真が先頭誘導員を務めた。また、そのレース終了後にバンクが開放され、ゲストの伊藤克信やファンらがバンク内を歩き回った。

投票締め切り前の音楽では、当時の小倉競輪場と同じくジェンカが流れていた。

開催廃止後[編集]

競輪開催廃止後も施設は当時のまま残され、走路は競輪選手及び自転車愛好会の練習用バンクとして使用され、走路内の陸上トラックも北九州市立門司陸上競技場[1] として活用されていたが、北九州市の公共施設再編および大里地区の再開発用地[2]とするため、旧競輪場の施設はハイビジョンシアター門司を除き撤去されることが決定している[3]

ハイビジョンシアター門司[編集]

ハイビジョンシアター門司
基本情報
座標 北緯33度53分56.8秒 東経130度56分17.2秒 / 北緯33.899111度 東経130.938111度 / 33.899111; 130.938111 (ハイビジョンシアター門司)
開設日 2002年4月1日(場外施設化)
施設設置者 北九州市
管理施行者 北九州市(小倉競輪場)
発売窓口 自動発売機9・自動発払機6・発払窓口2
払戻窓口 自動発払機6・発払窓口2
発売単位 100円
開催日営業時間 早朝・ナイター発売あり
最寄駅 門司駅
最寄IC 大里IC
駐車場 327台
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1993年に東側の道路沿いに建設されたハイビジョンシアター門司は、開催廃止後も小倉競輪場競輪場外車券売場として使用されている。

アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 門司陸上競技場 - 北九州市立門司体育館等27スポーツ施設
  2. ^ 北九州市公共施設マネジメント実行計画(素案)【概要版】 pp.17-18,21-22 (PDF) - 北九州市・平成27年11月
  3. ^ 平成28年度門司区事業概要(4) pp.75-81 (PDF) - 北九州市門司区役所総務企画課・平成28年5月