関東映配

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関東映配株式会社
Kanto Eihai Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 消滅
本社所在地 日本の旗 日本
110-0015
東京都台東区東上野2丁目20番8号 国際ビル
設立 1965年2月1日
業種 サービス業
事業内容 映画製作配給
代表者 代表取締役社長 星光一郎
資本金 200万円
テンプレートを表示

関東映配株式会社(かんとうえいはい)は、かつて存在した日本の映画製作配給会社である[1][2][3][4][5][6][7][8]。1965年(昭和40年)2月、元新東宝関西支社長の星光一郎が[9]東京都台東区に設立した[1][2][4][5]。1971年(昭和46年)7月ころ、大東映画株式会社(だいとうえいが)と改称している[7][8][3][4]

沿革[編集]

  • 1965年2月1日 - 関東映配株式会社として設立[1][2][5]
  • 1971年7月ころ - 大東映画株式会社と改称[7][8][3][4]
  • 1975年末 - 活動停止[7][8]

概要[編集]

関東映配株式会社が設立される4年前の1961年(昭和36年)8月31日、新東宝が倒産、関西支社を中心に設立した新東宝興業(現在の新東宝映画、代表並木謹也)が、成人映画、いわゆるピンク映画の製作・配給を開始した[5]。新東宝の社長であった大蔵貢は、1962年(昭和37年)1月、富士映画を母体に大蔵映画を設立、映画の製作・配給を開始していた[5]。新東宝の関西支社長であった星光一郎(1911年 - 没年不詳)は[9]、1965年(昭和40年)2月1日、東京都台東区東上野2丁目20番8号の国際ビル内に関東映配株式会社を資本金200万円で設立した[1][2][3][4][5]。星は、1911年(明治44年)に宮城県に生まれ、1931年(昭和6年)3月に巣鴨高等商業学校(現在の千葉商科大学)を卒業し、その後の経歴は不明であるが、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)に新東宝に入社、中部支社長を経て関西支社長を務めた人物である[9]。同社を設立した年、星は満54歳を迎えた[1][2][3][4][9]

同社設立の2か月後の同年4月、大蔵映画がピンク映画の興行網「オーピーチェーン」を提唱、上野パーク劇場台東区上野2丁目)、カジバシ座(中央区八重洲2丁目)、目黒ライオン座(現在の目黒シネマ品川区上大崎2丁目)、池袋シネマセレサ(現在のシネマロサ2豊島区西池袋1丁目)、横浜東亜映画劇場横浜市中区曙町1丁目)、大宮大蔵劇場(のちの大宮オークラ劇場、当時・大宮市宮町1丁目)、立石金竜座(葛飾区立石7丁目)、市川日活館(のちの市川オークラ劇場市川市市川1丁目6番19号)、笹塚パール座(渋谷区笹塚)の8館がこれに参加、同社および日本シネマフィルム、葵映画、関東ムービー配給社ヒロキ映画等が製作した作品を大蔵映画が配給し、同月第1週からこれらの作品の上映を開始した[1]

日本映画データベースによれば、同年から1969年(昭和44年)までは、他の製作会社の製作物を同社が配給したとする作品がみられる[8]。それによれば、同社が配給した最初の作品は、同年9月に公開された大野裕司監督の『火遊び』で、同作は中映プロダクションが製作したという[8]。大野裕司は、東京国立近代美術館フィルムセンターの「所蔵映画フィルム検索システム」によれば、堀越善明(1935年 - [10][11])の変名であり[6]、堀越は、劇団炎座[12]の演出部出身の監督であった[11]。そのほか、『女の破局』(監督飛田良、1966年11月公開)、『縄と乳房』(監督経堂一郎・岸信太郎、1967年1月31日公開)、『ダブルドッキング』(監督岸信太郎・藤田潤八、1967年11月21日公開)等、山邊信雄(1933年 - )のヤマベプロダクションの製作物を多く配給している[8]文化庁の「日本映画情報システム」によれば、それらの作品もすべて同社が製作したとしており、配給会社のクレジットはない[7]

1971年(昭和46年)7月に公開された門前忍(山本晋也の変名[13])監督の『指と舌』を最後に、同社名での作品歴がみられず、大東映画株式会社と改称している[7][8][4]井川耕一郎の指摘によれば、渡辺護が監督した『男ごろし 極悪弁天』(脚本石森史郎、1970年公開)、『おんな地獄唄 尺八弁天』(脚本大和屋竺、1970年10月公開)、『濡れ弁天御開帳』(脚本阿部桂一、1972年1月公開)は、同社が製作したとのことである[14]。『映画年鑑 1973』によれば、『おんな地獄唄 尺八弁天』は日本映画データベース等に記述はないが、同社の作品である[3]。改称以降は渡辺護、稲尾実がほとんどの作品を監督した[7][8]。1975年(昭和50年)11月に公開された藤本潤二監督の『若妻花弁のうずき』を最後に、作品歴がみられず、活動を停止した[7][8]。このころには、同社を経営していた星は、満64歳を迎えている[1][2][3][4][9]

2014年(平成26年)5月現在、同社の入居した国際ビルは現存する(1959年竣工[15][16]。同社の関わった映画のうち、『情事の階段』(監督松原次郎)、『鞭と肌』(監督岸信太郎)、『柔肌しぐれ』(監督飛田良)、『肉地獄』(監督松原次郎)、『ダブルドッキング』、『おんな地獄唄 尺八弁天』(監督渡辺護)、『(秘)湯の町 夜のひとで』(監督渡辺護)、『好色旅枕百人斬り』(監督渡辺護) の8本のみが、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている[6][17]

企業データ[編集]

おもなフィルモグラフィ[編集]

すべて「配給」あるいは「製作」であり、特筆しないものはすべて「製作」であり、配給は大蔵映画である[1][3][7][8]。変名による監督作は丸カッコで一般的に知られる名を示した[6][13]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[6][17]

関東映配[編集]

  • 『火遊び』 : 監督大野裕司(堀越善明[6])、製作中映プロダクション、1965年9月公開 - 配給
  • 『禁じられた肌』 : 監督武田有生、製作シネプロダクション、1965年11月公開 - 配給
  • 『色ざんまい』 : 監督高木丈夫(本木荘二郎)、製作日現プロダクション、1966年4月公開 - 配給
  • 『女のふくらみ』 : 監督鶴巻次郎、製作メトロ芸能社映画部、1966年7月公開 - 配給
  • 『甘い体臭』 : 監督小林悟、製作アルスプロダクション、1966年8月公開 - 配給
  • 『女の破局』 : 監督飛田良、製作ヤマベプロダクション、1966年11月公開 - 配給
  • 縄と乳房』 : 監督経堂一郎・岸信太郎(山邊信雄)、製作ヤマベプロダクション、1967年1月31日公開 - 配給
  • 『情事の階段』 : 監督松原次郎(小林悟[6])、製作ヤマベプロダクション、1967年3月公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『不毛の愛欲』 : 監督山下治、1967年5月9日公開
  • 『鞭と肌』 : 監督岸信太郎、製作ヤマベプロダクション[17]、1967年6月11日公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『恍惚の泉』 : 監督山本晋也、1967年6月24日公開
  • 『処女の血脈』 : 監督山下治、1967年7月18日公開
  • 『柔肌しぐれ』 : 監督飛田良、製作ヤマベプロダクション、1967年8月11日公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『牙毒』 : 監督山下治、製作青年群像、1967年9月12日公開 - 配給
  • 『肉地獄』 : 監督松原次郎、製作ヤマベプロダクション、1967年10月17日公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『日本性犯罪史 通り魔』 : 監督山下治、製作青年群像、1967年11月14日公開 - 配給
  • 『ダブルドッキング』 : 監督岸信太郎・藤田潤八、製作ヤマベプロダクション、1967年11月21日公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『女子学生残酷白書 真赤なうぶげ』 : 監督渡辺護、製作東京芸術協会、1968年12月公開 - 配給
  • 『乳房開眼』 : 監督福田晴一、1969年5月公開
  • 『初もの喰い』 : 監督渡辺護、製作日本芸術映画協会、1969年7月公開 - 配給
  • 『女の舌』 : 監督酒匂真直、1969年8月公開
  • 『裸身盗人』 : 監督福田晴一、製作福田プロダクション、1969年9月公開 - 配給
  • 『肉ずき』 : 監督福田晴一、製作福田プロダクション、1969年11月公開 - 配給
  • 『女の放し飼い』 : 監督早坂絋、1970年1月公開
  • 『女性入門 性の教科書』[3] : 監督渡辺護、1970年3月31日審査・同年4月公開
  • 『日本寝室物語』[3][7](『日本寝物語』[8]) : 監督梅沢薫、製作青年群像、1970年9月28日審査・同年10月公開 - 配給
  • 『セックス作戦 色の道乱入』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1970年10月14日審査・同年10月公開 - 配給
  • 『おんな地獄唄 尺八弁天』 : 監督渡辺護、脚本大和屋竺、1970年6月3日審査・同年10月公開 - 上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『(秘)湯の町 夜のひとで』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1970年8月4日審査・同年公開 - 配給、上映用プリントをNFCが所蔵[17]
  • 『色ぜめ』 : 監督奥脇敏夫[3]、製作青年群像、1970年11月5日審査・同年12月公開 - 配給
  • 『女高生の性知識』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1970年11月18日審査・同年12月公開 - 配給
  • 『性のバラード 女なんです』 : 監督梅沢薫、製作青年群像、1970年12月15日審査・1971年1月公開 - 配給
  • 『レモンSEX 激しい愛戯』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1971年2月3日審査・同年2月公開 - 配給
  • 『好色夫婦』 : 監督梅沢薫、製作ワールド映画、1971年3月8日審査・同年3月公開 - 配給
  • 『性と女の物語』 : 監督中川順夫、製作サン映像、1971年2月4日審査・同年4月公開 - 配給
  • 『色くらべ 色布団』 : 監督稲尾実(深町章)、製作渡辺プロダクション、1971年4月13日審査・同年5月公開 - 配給
  • 『魔性妻シリーズ 性のしずく』 : 監督江藤兼吉[3]、製作サン映像、1971年5月15日審査・同年6月公開 - 配給
  • 『指と舌』 : 監督門前忍(山本晋也)、製作渡辺プロダクション、1971年6月7日審査・同年7月公開 - 配給

大東映画[編集]

  • 『セックス・ルポ悪徳調査員』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1971年10月22日審査・同年12月公開 - 配給
  • 『濡れ弁天御開帳』 : 監督渡辺護、製作渡辺プロダクション、1971年12月10日審査・1972年1月公開 - 配給
  • 『セックス・ゲリラ』 : 監督稲尾実、製作21世紀プロダクション、1972年1月9日審査・同年2月公開 - 配給
  • 『私の異常性体験』 : 監督渡辺護、1972年2月8日審査・同年3月公開
  • 『小股切れ味 罠のある性』 : 監督稲尾実、1972年2月22日審査・同4月公開
  • 『女高生の週末夫婦』 : 監督渡辺護、1972年3月30日審査・同4月公開
  • 『舌と肌と肌』 : 監督稲尾実、1972年6月5日審査・同6月公開
  • 『艶技の極致』 : 監督渡辺護、1972年6月20日審査・同7月公開
  • 『新婚初夜の手ほどき』 : 監督渡辺護、1972年8月公開
  • 『寝かせ上手』 : 監督門前忍(山本晋也)、1972年9月公開
  • 『淫らな花弁』 : 監督渡辺護、1972年10月公開
  • 『男が知りたい 性の秘密』 : 監督門前忍(山本晋也)、1972年11月公開
  • 『女のワイセツ 秘中の秘』 : 監督渡辺護、1972年11月公開
  • 『好色旅枕百人斬り』 : 監督渡辺護、1973年1月公開 - 製作・配給、78分の上映用プリントをNFCが所蔵[6]
  • 『真夜中の悶え』 : 監督門前忍(栗原幸治)、1973年2月公開
  • 『16才愛と性の遍歴』 : 監督渡辺護、1973年3月公開
  • 『女色盗り物語』 : 監督門前忍(山本晋也)、1973年4月公開
  • 『同棲三角時代』 : 監督渡辺護、1973年5月公開
  • 『性楽の交叉点』 : 監督門前忍(渡辺護)、1973年6月公開
  • 『ピンクの巨塔』 : 監督門前忍(山本晋也)、1973年7月公開
  • 『痴女の秘事』 : 監督佐々木元、1973年8月公開
  • 『浮気寝屋』[7](『浮気寝室』[8]) : 監督山本晋也、1973年9月公開
  • 『不倫の交情』 : 監督渡辺護、1973年10月公開
  • 『女肌は愛に濡れた』 : 監督栗原甲(栗原幸治)、1973年11月公開
  • 『寝わざ秘戯』 : 監督渡辺護、1973年12月公開
  • 『女子大生性愛図』 : 監督渡辺護、1974年1月公開
  • 『恍惚のおとし穴』 : 監督渡辺護、1974年2月公開
  • 『失神の快楽』 : 監督佐々木元、1974年3月公開
  • 『性艶乱舞』 : 監督渡辺護、1974年4月公開
  • 『エロスの欲情』 : 監督佐々木元、1974年5月公開
  • 『制服の娼婦』 : 監督渡辺護、1974年6月公開
  • 『性炎の女』 : 監督佐々木元、1974年7月公開
  • 『セックスビジネス 性専門』 : 監督佐々木元、1974年8月公開
  • 『悪女性艶』 : 監督佐々木元、1974年9月公開
  • 『痴漢と女高生』 : 監督渡辺護、1974年10月公開
  • 『熟れた欲情』 : 監督佐々木元、1974年10月公開
  • 『華麗な浮気夫人』 : 監督佐々木元、1975年4月公開
  • 『禁断性愛の詩』 : 監督渡辺護、1975年4月公開
  • 『強烈女の慾情』 : 監督藤本潤三、1975年10月公開
  • 『若妻花弁のうずき』 : 監督藤本潤二、1975年11月公開

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 年鑑[1966], p.118-119, 378.
  2. ^ a b c d e f g h i 年鑑[1967], p.380.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 年鑑[1973], p.137, 153-157, 169-171, 174, 180-182, 240.
  4. ^ a b c d e f g h i j k 年鑑[1974], p.190.
  5. ^ a b c d e f 田中[1976], p.85-86.
  6. ^ a b c d e f g h 所蔵映画フィルム検索システム検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年5月19日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 関東映配、日本映画情報システム、文化庁、2014年5月19日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 1965年 公開作品一覧 509作品1966年 公開作品一覧 486作品1967年 公開作品一覧 431作品1968年 公開作品一覧 482作品1969年 公開作品一覧 537作品1970年 公開作品一覧 365作品1971年 公開作品一覧 392作品1972年 公開作品一覧 390作品1973年 公開作品一覧 391作品1974年 公開作品一覧 341作品1975年 公開作品一覧 411作品日本映画データベース、2014年5月19日閲覧。
  9. ^ a b c d e 鈴木[1958], p.457.
  10. ^ 堀越善明jlogos.com, エア、2014年5月19日閲覧。
  11. ^ a b キネ旬[1976], p.358.
  12. ^ 劇団炎座早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2014年5月19日閲覧。
  13. ^ a b フィルモグラフィ渡辺護、2014年5月19日閲覧。
  14. ^ 渡辺護さんは関東映配で「弁天もの」を三本撮っています井川耕一郎、2013年2月2日付、2014年5月19日閲覧。
  15. ^ a b 第一国際ビル、オフィスナビ、2014年5月19日閲覧。
  16. ^ a b 東京都台東区東上野2丁目20番8号Google マップ、2014年5月19日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i j 平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表独立行政法人国立美術館、2014年5月19日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]