阪田流向かい飛車

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△ 角
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91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
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▲ 角
阪田流向かい飛車基本図

阪田流向かい飛車(さかたりゅうむかいひしゃ)または坂田流向かい飛車[1][2]は、将棋戦法のひとつ。相居飛車模様から後手が変化する力戦振り飛車。この戦法は元となる定跡は江戸時代からあり、阪田の創案ではない。九世名人大橋宗英の門下である金親盤次がこの作戦の創始者とされている。金親が残した定跡書に、▲7六歩△3四歩▲7八金△8四歩▲2二角成△同銀▲7七金△8五歩▲8八飛という順が紹介されているのが、現時点で確認される最古の記録である。金親が活躍したのは江戸の天明年間(1781年から1788年)であるので、阪田土居戦からでも130年以上前の話である。

このほか文久2年(1862年)、天野宗歩門下で、宗歩四天王と称された強豪であり、阪田の師匠筋である小林東伯斎(当時は東四郎)が、渡瀬荘次郎と指した実戦譜も残っている[3]

坂田三吉(阪田三吉)が1919年5月11日木見金治郎の七段昇段披露会席上で土居市太郎を相手に指した一局(東西両雄棋戦、結果は坂田の勝ち)が著名となり、のちにこう呼ばれるようになった(図1)。

力戦の雄であった阪田らしい力強さのあふれる振り飛車で、現代でも力自慢の糸谷哲郎が得意としている。

概要[編集]

急戦策と持久戦策があり、いずれもさばきよりも抑え込むことが中心で居飛車党でも使いこなしやすい戦法である。筋違い角を組み合わせる[4]など、先手の飛車先を逆襲する狙いは単純明快ながら破壊力があり、相手にする方も甘く見ていると一気に潰される展開になる。

記録では坂田自身が阪田流向かい飛車と呼ばれるものを用いたのは上述の七段昇段披露会の一局のみで、有名な南禅寺の決戦(先手木村義雄 後手坂田三吉、結果は木村の勝ち)などで用いた戦法は阪田流ではなかった[5]

阪田 持ち駒 △銀歩
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91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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土居 持ち駒 ▲角銀歩
図は▲5五歩まで
図1 阪田流向かい飛車の攻防

対土居戦は、5月11日に大阪市の「知恩院」、1日置いて13日から兵庫県宝塚市の「寿楼」に場を移して指し継がれ、17日に決着がついた一局である。この大一番をきっかけに「阪田流向かい飛車」として有名になったのであるが、阪田が指した阪田流向かい飛車は、記録として確認されるものではこの土居戦しかないのは明らかで、ではなぜ「阪田流」と呼ばれるようになったのかについては、当時の情報伝達能力が、現在と比較して雲泥の差であることも理由のひとつだろうとされているが、阪田のカリスマ性が絶大で、ちょっとでも変わった作戦が指されたら、すぐに阪田新手と呼ばれたからとみられる。

この一局は「角損の一局」としても知られている。図1がその局面で、後手の角は助からない。ただ現在の視点で見るとそれほど形勢は離れていないようである。実戦は△8一飛▲5四歩△8六歩▲8八歩△5四銀▲3二角△7七銀と進み、最後は後手の阪田が勝つ。

局後、土居はこの一局について「△3三角は古人の法なれど先手より角を換わられ△同金にて姿悪しく.....」と、阪田新手とはみなしていない。また阪田は「あんなんでよかったら、ほかになんぼでもあるがな」と笑ったという。

持ち駒 △ 角
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91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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持ち駒 ▲ 角
図は△2四歩まで
図2 阪田流向かい飛車

指し方は、▲7六歩△3四歩▲2六歩△3ニ金▲2五歩という相居飛車模様から、△3三角▲同角成△同金として後手が向かい飛車に振る。向かい飛車の一種なので、やはり後手は△2四歩の逆襲が狙いとなる。ただし、先手が▲2五歩を決めずに▲7八金や▲4八銀の場合は居飛車で戦うことになるので、居飛車、振り飛飛車両方指せなくてはならない。純粋振り飛車党では選びにくい作戦である。

進んで図2。ここから△2四歩▲同歩△同金と攻める。角交換振り飛車では逆棒銀と呼ばれた攻めがあるが、阪田流向かい飛車ではさしずめ逆棒金というべき攻めで以下後手は△2五金と進み、さらに△2六金~2七金といくか、△2六歩と押さえてから△3五金とするかで、いずれにしても金の力で先手の飛車を目標にすることとなる。ただしひとつ気をつけたいのは、金が上ずる攻めなので、表を突かれるともろいことである。もちろん通常の振り飛車と比べて玉が薄いので、まとめきるには腕力が必要となるため、定跡にとらわれない力将棋を指したい方にオススメとなる作戦である。

なお、小林健二木屋太二によって改良された指し方もある。

実例[編集]

この戦法に対し豊川孝弘が2010年の著書『阪田流向かい飛車戦法』でこのような急戦策は上級者には通用しないことが多いと述べているなど、一時やや下火になる。しかし現代では流行している一手損角換わりと序盤の出だしが共通していることもあり、特に先手の趣向で序盤で▲7八金△9四歩の交換が入った場合、これらが後手が飛車を振る際にポイントになる手なので、後手が阪田流にすることも多く、山崎隆之糸谷哲郎渡辺明[6]森下卓[7]らが採用している。

また元々、ノーマル向かい飛車やダイレクト向かい飛車を得意とする、佐藤康光土佐浩司[8]らに採用例がある。

糸谷哲郎は、2018年度だけで4度の後手番での使用があり、すべて勝利している[9]

現代将棋において、本戦法は前述の通り急戦策は成立しづらい為、前線に出た金で模様を良くし持久戦を志向するのが基本となっている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 週刊将棋編集部「第29回 向かい飛車」『ご存じですか? 将棋用語のおもしろ辞典』マイナビ出版、2012年5月31日。
  2. ^ 米長邦雄『米長の将棋 完全版第二巻』マイナビ出版、2013年7月13日、358頁。
  3. ^ 1862年3月15日の渡瀬荘次郎対小林東四郎戦を参照(結果は渡瀬勝ち)。
  4. ^ 豊川孝弘『パワーアップ戦法塾』より。
  5. ^ ちなみに、南禅寺の決戦で後手の坂田は二手目で端の9四の歩を突いて、日本中を驚かせた
  6. ^ 2016.9.9 第66期王将戦二次予選など
  7. ^ 2018.4.25 第31期竜王戦 3組昇級者決定戦
  8. ^ 2015.8.19 第57期王位戦予選など
  9. ^ 第68期王将戦 挑戦者決定リーグ戦 7回戦・佐藤天彦戦(2018年11月26日)携帯中継コメント(当該対局でも勝利)

参考文献[編集]