阪神浜田球場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪神浜田球場 | |
---|---|
![]() | |
施設データ | |
所在地 | 兵庫県尼崎市大庄川田町 |
座標 |
北緯34度43分33.2秒 東経135度23分46.5秒 |
開場 | 1979年 |
閉場 | 2016年 |
所有者 | 阪神電気鉄道 |
使用チーム • 開催試合 | |
阪神タイガース二軍(1979年 - 1994年) | |
収容能力 | |
グラウンドデータ | |
阪神浜田球場(はんしん・はまだ・きゅうじょう)は、かつて兵庫県尼崎市大庄川田町に存在した阪神電気鉄道(以下、阪神電鉄)所有の野球場。開設当初は主にプロ野球阪神タイガース・二軍の練習および試合(ウエスタン・リーグ)に利用されていた。
概要[編集]
阪神タイガースの本拠地である、西宮市の阪神甲子園球場より東方約3.5kmに位置し、入口は国道2号に面している。
隣接地には阪神バスの本社および浜田車庫(尼崎営業所)と、自動車整備工場「阪急阪神エムテック」尼崎工場といった同じ阪神グループの施設がある。かつてはボウリング場「ボウル阪神」(2013年1月27日営業終了)やファミリーレストラン等の飲食店も営業していた。
沿革[編集]
本球場の場所はそれまで、阪神電鉄の路面電車(国道線・甲子園線)の車庫として使われていたが、1975年5月5日に国道線等の線路と共に廃止された。
廃止された車庫の跡地については当初、複数の大手スーパーからゼネコンを通じてショッピングセンター(SC)の開発計画が提案されたが、阪神電鉄でも詳細な市場調査の結果「勝算あり」と判断していた。
しかし当時は大規模小売店舗法の規制が厳しく、新たなSCの建設には行政と地元に対する事前協議が必要だった。尼崎市に打診したところ、当時申請が出ていた「つかしん」の審査が決着するまでの数年間は、新規の届け出は受け付けないとの回答だった。
そこで当時阪神タイガースの球団社長を兼ねていた、小津正次郎専務取締役の鶴の一声によりSC建設までの数年間、跡地を二軍の本拠地および練習場として使用することになり[1]、1979年3月30日に本球場が竣工、使用開始された。
その後施設の老朽化やグラウンドの狭隘化などのため、甲子園球場南方約2.5kmの位置にある西宮市鳴尾浜に阪神鳴尾浜球場を建設することになり、1994年10月7日竣工、1995年に本拠地を移転した。[2]
移転後も球場自体は残され、地元の草野球・少年野球の愛好家に開放されていた。末期は、老朽化のためボールカウンターランプは外された状態になっていた。
2016年をもって球場は閉鎖され、解体された。跡地には物販販売・飲食店舗が整備される予定となっている[3]。
なお、鳴尾浜球場は観客席が500人と少なく、老朽化や室内練習場が手狭であることなどを考慮し、二軍本拠地を2025年をめどに尼崎市小田南公園へ移転を検討することが明らかになった[4][5]。これが実現すると約30年ぶりに二軍本拠地が尼崎市に戻ることになる。
交通[編集]
鉄道[編集]
- 阪神 尼崎センタープール前駅下車 徒歩約12分(北へ約1km)
- JR立花駅下車 徒歩約15分(南へ約1.2km)
バス[編集]
脚注[編集]
- ^ 当時の本拠地は、一軍と同じ甲子園球場。
- ^ この時、甲子園球場東側(西宮市甲子園七番町)にあった合宿所「虎風荘」も、鳴尾浜球場の隣に移転している。
- ^ 阪神浜田球場跡地の一部に物販販売・飲食店舗計画/6棟延べ1万3400平方㍍/K&K 建設ニュース 2018年8月16日
- ^ “【阪神】2軍の本拠地を鳴尾浜から尼崎に移転検討 2025年の完成を目指す”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年10月2日) 2020年10月7日閲覧。
- ^ “新・虎の穴計画!阪神2軍本拠地に尼崎・大物が候補、手狭な鳴尾浜から移転”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2020年10月2日) 2020年10月7日閲覧。
- ^ 旧・尼崎市交通局
|