阿羅健一

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阿羅 健一(あら けんいち、 1944年[1]2月9日[要出典] - )は、日本の評論家・近現代史研究家。1980年代まで畠中秀夫というペンネームを使用していた。「百人斬り訴訟を支援する会」会長[1]を経て、「中国の抗日記念館の不当な写真の撤去を求める国民の会」会長[1]主権回復を目指す会顧問[1]、「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」顧問[1]を務める。

宮城県[1]仙台市[要出典]出身、仙台二高[要出典]及び東北大学文学部卒業[1]1966年[1][要出典]からキングレコードに勤務[1]し、1984年にフリーとなる[1]

1970年代ジャイアント馬場全盛時の全日本プロレスの熱狂的ファン、自身も空手黒帯[要出典]

主な著述活動[編集]

主に『正論』『諸君!』などにおいて論文を発表している。

『正論』昭和60年(1986年)5月号から翌年5月号までの13回の連載をまとめたものが、『聞き書 南京事件 日本人の見た南京虐殺事件』として出版された。なお平成14年(2002年)に絶版となった前著を一部加筆編集され『「南京事件」日本人48人の証言』として再版された。本書に関しては、「クロを証言する人は避け、シロと主張する人だけをまわって、全体としてシロと結論付ける戦術が丸見え」との評価もある[2]。また、雑誌連載から書籍化、単行本から文庫化がされる際に、都合の悪い証言が削除されているという指摘もある[3]

『【再検証】南京で本当は何が起こったのか』では、昭和7年(1932年)4月29日の天長節(天皇誕生日)に上海虹口公園で発生した上海天長節爆弾事件テロ実行犯である尹奉吉を事件前にかくまった人物が、ジョージ・アシュモア・フィッチであったと主張した。

著書[編集]

  • 『聞き書 南京事件 日本人の見た南京虐殺事件』 (図書出版社、昭和61年/1987年)現在絶版
  • 『ジャカルタ夜明け前―インドネシア独立に賭けた人たち』(勁草書房、平成6年/1994年) ISBN 4-326-65154-7
  • 『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、平成14年/2002年) ISBN 4-09-402546-4
  • 『南京「事件」研究の最前線 : 日本「南京」学会年報. 平成17年・18年合併版』 阿羅健一ほか共著(展転社、平成17年/2005年)ISBN 4-88656-279-5
  • 『【再検証】南京で本当は何が起こったのか』(徳間書店、平成19年/2007年) ISBN 978-4-19-862430-9
  • 『日中戦争はドイツが仕組んだ―上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』(小学館、平成20年/2008年12月)ISBN 978-4093878142

監修[編集]

  • 野田毅) 『野田日記』(展転社、平成19年/2007年)ISBN 4886563112

寄稿[編集]

  • 「架空だった南京大虐殺の証拠 謎の「崇善堂」とその実態」『正論』昭和60年(1985年)10月号
  • 「南京事件『従軍日記』のまぼろし」『諸君』平成8年(1996年)7月号
  • 「反日プロパガンダに使われる日本の“謝罪金” 村山元首相がばらまいた金の行方」『正論』平成11年(1999年)6月号
  • 《「南京事件」今改めて見直すべき日本人48人の証言の「真実」》『SAPIO』平成14年(2002年)2月27日号
  • 「『南京戦・元兵士102人の証言』のデタラメさ」『正論』平成14年(2002年)11月号
  • 「百人斬り訴訟レポート 名誉回復のその日まで」『正論』平成15年(2003年)12月号
  • 「『中国の南京「虐殺」宣伝に風穴を』」日本青年協議会機関誌『祖国と青年』平成15年(2003年)2月号

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 阿羅健一(あら・けんいち)”. PHP研究所 (2013年). 2019年9月5日閲覧。
  2. ^ 秦郁彦『昭和史の謎を追う』文藝春秋、昭和58年(1993年)
  3. ^ 笠原十九司『南京事件論争史』平凡社新書、平成19年(2007年)

関連項目[編集]