鬼畜系

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鬼畜系(きちくけい)とは悪趣味にまつわるサブカルチャーの一ジャンルで、1990年代悪趣味ブームにおいて鬼畜ライター村崎百郎によって作り上げられた造語概念である。現在では成人向け漫画などにおける反社会的行為、ないし残酷描写が含まれる作品、またその作家を指す言葉として用いられている。

サブカルチャーに於ける鬼畜系[編集]

前史[編集]

近世以前[編集]

は生物にとって根本的なものであり、日本列島の各地では生殖器崇拝が行われていた。

江戸時代[編集]

日本におけるエログロ文化は、江戸時代後期の艶本春画においても見出すことができる。鳥居清信の春画の一つ(1700年頃)には性的倒錯の一種の裸の男と服を着た女のシチュエーションがある[1]葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通』(1814年頃)における「蛸と海女」は、獣姦アートの中でも蛸が相手というかなりのキワモノであった。蘭学の医学書・解剖図の影響も見られる渓斎英泉の艶本『閨中紀聞 枕文庫』(1822年)は、当時の性の医学書・百科事典にして性奥義の指南書であり、同時に、奇書の中の奇書として知られている(特に膣の内部に大きな関心が抱かれている)[2]

西洋でもルネッサンス以降、医学書・解剖図や解剖図を反映した等身大の人体蝋人形などが数々制作された。中でも、Marie Marguerite Bihéron (1719 - 1795) の作品が有名であり、妊婦の解剖人形などは非常に精巧だったとされる[3][4][5]

1785年には鬼畜SM小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』が出版された。マゾ文学は1871年の『毛皮を着たヴィーナス』にて開花したと言われている。死や汚穢趣味[6]にエロティシズムを見出す文学は世界各地に見られる。

文明開化[編集]

19世紀のイギリスやアメリカでは、フリーク・ショウと呼ばれる見世物小屋にて世の中の奇怪なもの(奇形、部族の全身入れ墨や身体改造など)を、人間動物園では西洋文化以外の部族・人種や非健常者を見せ物にしていた差別極まりないものであった。また、1840年に実用的な写真技術が発明されて以来、そのような奇怪なものの写真(髭の生えた女性、シャムの双子、小人症、4本足の人物など)やヌード・ポルノ写真も巷に出回り、人々の好奇を集めていた。19世紀終盤に映画が発明されると、すぐさまポルノ映画が地下で制作されるようになった(当然、欧米および日本では公権力の下では非合法だった)。このような悪趣味な習慣は、部分的に明治維新後(1868年)の日本にも伝わったと考えられる。

その他にも、故人を生きているかのようにポーズを取らせて写真を取ることも流行した[7]が、これは葬儀の風習の一貫である。

イギリスでは風刺漫画雑誌『パンチ』が1841年に刊行され、社会を面白おかしくまたは皮肉的に風刺した。 この頃の日本では、時には不謹慎とも見なされた社会風刺雑誌としては、以下のようなものがあった。

第一次世界大戦後[編集]

雑誌『グロテスク』1929年(昭和4年)1月新年号の発禁処分に対抗して梅原北明が『読売新聞1928年12月30日朝刊に出した死亡広告。通知によると「愚息『グロテスク』新年号儀サンザン母親に生みの苦しみを味わわせ、漸く出産致せし甲斐もなく、急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候……」。この新年号は372ページの増大号で、グラビアに狸の睾丸八畳敷きの画集を添え、記事内容は「聖天秘抄」(酒井潔)、「阿片考」(北明)、「世界残虐刑罰史」(才田礼門)、「日本残虐刑罰史」(高田義一郎)、「童貞論」(浅田一)、「近世詐欺取物考」(北明)などの他、特別付録として生方敏郎大泉黒石随筆などを載せている[8]
梅原北明1928年(昭和3年)に起こした出版法違反事件(27件)の決着を祝って1929年(昭和4年)3月20日に関係者40数名を集めて華々しく催された「梅原北明罰金刑祝賀会」の様子[9]。北明は官憲相手に諧謔エログロで無意味なまでに対抗する姿勢を見せつけたことで「猥本の出版狂」とも呼ばれていた。
『グロテスク』復活記念号(1931年4月号)。表紙には「侮り難きヨタ雑誌」「エログロの総本山」という言葉が並び、内容的にも華々しさより焼け糞さが目立つ復刊であった。
エログロの極めつけの阿部定事件1936年)。この2年前には世紀の猟奇殺人犯アルバート・フィッシュの逮捕騒動もあった。

1920年代は、破壊的だった第一次世界大戦からの反動で、既存の権威に対する不信感が高まり、より自由な社会を望む風潮が世界的に高まった。アメリカでは女性の参政権が成立し、女性の服装や髪型は動きやすいボーイッシュなものが流行した。日本でも大正デモクラシーという運動が盛んになった。しかし、1929年の世界恐慌の発生によって社会・政治が保守化したことで、社会の解放のムードは戦後まで抑圧されることになった。

世界では、ダダイズムなどの反芸術の流れが起き、マルセル・デュシャンは小便器を芸術作品として発表し(1917年)、マン・レイは性交中の結合部のアップの写真を芸術作品として発表する(1920年代)などしていた。

昭和初期の1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけて「エログロナンセンス」と呼ばれる退廃文化日本を席巻した。

このブームの中心人物こそ「エログロナンセンスの帝王」「地下出版の帝王」「発禁王」「罰金王」「猥褻研究王」などと謳われたエログロナンセンスのオルガナイザー梅原北明である。梅原は『デカメロン』『エプタメロン』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月に既成文壇へのカウンター誌『文藝市場』(文藝市場社)を創刊。同誌の創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して田山花袋岡本一平辻潤春画売買容疑で取調べられている横で、菊池寛邸が全焼し、上司小剣が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対してイデオロギーを持たず無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の同人からも「焼糞の決死的道楽出版」と評された[10][11]。結果、梅原は生涯で家宅捜索数十回、刑法適用25回、出版法適用12回、罰金刑十数回、体刑5年以下の懲罰を受けることになった[12]

その後、梅原は出版法19条の「風俗壊乱」の疑いで市ヶ谷刑務所に投獄され、前科一犯となるが、仮出獄後すぐに『文藝市場』の後継誌『グロテスク』(グロテスク社→文藝市場社→談奇館書局)を1928年(昭和3年)11月に創刊。新年号が発禁になると、それを逆手にとって全国紙読売新聞』に「急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候」という死亡広告を出すなどして世人の注目を集めた。また梅原は度重なる発禁処分を「金鵄勲章ならぬ禁止勲章授与、数十回」と声高らかに喧伝し、警察からは「正気だか気ちがいだか、わけのわからぬ猥本の出版狂」と見なされた[11]。戦後、発禁本研究家の斎藤昌三は「軟派の出版界に君臨した二大異端者を擧げるなら、梅原北明宮武外骨老の二人に匹敵する者はまずない。その実績に於て北明は東の大関である」と梅原について評価している[13]

後に梅原は当局から逃れるため満州に逃亡し、梅原の雑誌は廃刊を余儀なくされる。また二・二六事件以降は国内での検閲発禁が激化していき、一連のムーブメントは1936年(昭和11年)頃を最後に終息していった。この年、日本三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』を著した夢野久作も急逝する。

第二次世界大戦後[編集]

終戦後は出版自由化に同調する形で再びエロ性風俗)やグロ(猟奇・犯罪)に特化した低俗な大衆向け娯楽雑誌が大量に出回るようになる。これらの多くは3号で廃刊(=3号雑誌)したことから「3飲むと酔い潰れる」粗悪なカストリ酒にかけて「カストリ雑誌」と総称された。

周囲からは「これからが梅原北明の真の出番だ」と期待されたが、すでに梅原にその意志はなく、1946年(昭和21年)に発疹チフスであっけなく死亡する。終戦でエロ産業は一挙に解放され、巷は第二の桃色風俗出版ブームの華々しい黄金時代を迎えようとしていた[14]。この時代の代表的なカストリ雑誌に『猟奇』『りべらる』『あまとりあ』『奇譚クラブ』などがある。なお『奇譚クラブ』は後にSM雑誌に転身して団鬼六の『花と蛇』や沼正三の『家畜人ヤプー』を連載する。

欧米では、1930年代から活動しているフェティッシュ・アーティストジョン・ウィリーによるSM雑誌『Bizarre』(1946年に刊行されたが、当局の検閲で1947年に廃刊となった)やGene Bilbrewによる『ENEG』、『Exotique』(1956–1959年)などが出版されている。中でも有名なSM雑誌はイギリスの『AtomAge』(1957年刊)である。

カウンターカルチャー・ムーブメント[編集]

1960年代は、世界的にカウンターカルチャームーブメントが広がり、既存の社会規範から解放されようという動きが一般に浸透した時代であった。この時代には、それまでアンダーグラウンドだったエロやグロの表現が徐々に表立つようになり、後にはさらに過激化させる方向に進んでいくことになる。ショック・アートなど反芸術的な前衛芸術はさらに先鋭化し(人糞を展示するに至る)、ショック・ロックなどミュージシャンのファッションやパフォーマンスも過激化した(脱衣や自傷行為、さらには嘔吐・小便・大便の汚物三種の神器を舞台で行うに至る[15])時代でもあった。こうした風潮はフリーク・シーンとも呼ばれた。

ヨーロッパアメリカでは、観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系ドキュメンタリーモキュメンタリー映画が登場し、人気を博していた。これらの映画は俗に「モンド映画」(Mondo film)と呼ばれ、世界中の悪趣味(バッド・テイスト)文化に多大な影響を及ぼしたことで知られている[注 1]。なお、著名なモンド映画監督に『世界残酷物語』のグァルティエロ・ヤコペッティ、『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズ、『ファスター・プシィキャット!キル!キル!』のラス・メイヤーなどがいる。

その後、モンド映画ブームは収束するが、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年MGM)がアメリカの映画館で深夜上映されたのを皮切りに、1970年代よりアメリカでカルトムービーインディーズ・ムービーが深夜上映の形態で続々公開されるようになり、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。この一連のムーブメントは「ミッドナイトムービー・ブーム」と呼ばれ、このブームから『ピンク・フラミンゴ』(犬の糞を食べるシーンがある)『エル・トポ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ロッキー・ホラー・ショー』『イレイザーヘッド』『エレファントマン』など多数のカルト映画が生み出されていった。

1963年にはスプラッター映画の走りとなった『血の祝祭日』が公開され、これ以降の映画で人体損傷シーンを過激化していくきっかけを作った。1975年には『ソドムの市』が公開された。これは、金持ちの権力者たちが街で狩ってきた少年・少女たちを囲って、拷問したり食糞したりするという内容の、悪趣味映画の極みであった。1978年にはモンド映画の中でも解剖、処刑、事故、屠殺といった「死」の風景ばかりを扱う、日米合作による『ジャンク』が公開される。

また、1960年代のアメリカではセクスプロイテーション映画と呼ばれる、独立系映画制作会社による低予算の、お色気女優が性的搾取されるシチュエーションを扱うジャンルが隆盛した。『Olga's Girls』(1964年)などSM行為を含むエロ映画もこの頃に多数制作されたである。1969年のデンマークを皮切りに、(擬似ではなく)本物の性交を行うポルノ映画が合法となった(ポルノ解禁)。ポルノが合法になる以前からも、スタッグフィルムと呼ばれる非合法のポルノ映画が地下で流通しており、SMポルノ映画もこの頃から制作されていた。デンマークのColor Climax Corporation(1967年〜)は、すぐさま獣姦、飲尿、さらに法律の不備をついて児童ポルノなど様々なジャンルのポルノを制作した。スカトロ行為を行うポルノ動画がいつ頃から登場したかは定かではないが、『HARD GAMES – Klistier Exzess (Anita Feller)』(1980年)やVeronica Moserなどは確認できる初期の例である。1980年代にはイギリスでアニマル・ファームという獣姦ジャンルのポルノ動画がいくつも作成された。中には、ウナギを挿入するものもあった。現在では、動物の権利の観点から、獣姦ポルノは法律で禁止されている国もある。

1971年に出版されたエド・サンダーソン著のマンソンファミリーを扱った書籍は、殺人を撮影するスナッフフィルムに対する社会の関心を読び起こした[16]。これをきっかけに、スナッフフィルムは「裏世界では娯楽のために人が殺され、その模様を収めたフィルムがひそかに売買されているらしい」などといった噂とともに知られるようになり、様々な作品の題材に取り上げられている。特に1975年のモンド映画『スナッフ/SNUFF』は実際のスナッフフィルムとの触れ込みで公開されたことで有名である。また『食人族』(1983年)のように、劇中の映画撮影隊が殺人行為を撮影したり殺されたりする場面をリアルに演出し、さらに誇大宣伝をすることによって本物の殺人映像と思い込ませた例も出現した。

1963年、ティック・クアン・ドックがベトナム戦争に抗議して大使館前で焼身自殺。1970年、三島由紀夫が自衛隊の前で公開割腹自殺。1974年には、クリスティーン・チュバックが世界で初めてテレビの生放送中に自殺を遂げた。

一方、日本国内では1960年代よりテレビの普及に伴い、映画館の観客動員数が減少し、これに対抗した大手以外の独立系映画会社が「テレビでは出来ないこと」としてピンク映画の製作に舵を切り始め、隆盛を極めていた。これに目を付けた東映が『網走番外地』シリーズで知られる映画監督石井輝男と『くノ一忍法』『893愚連隊』『日本暗殺秘録』で知られる中島貞夫を抜擢し、日本の大手映画会社としては初となるポルノ映画大奥㊙物語』(監督・中島貞夫)および『徳川女系図』(監督・石井輝男)を製作した。これに手応えを感じた東映と石井は本作より「異常性愛路線」を前面に打ち出し、作中にサドマゾ拷問処刑などグロテスクな描写を次々に取り入れ、エログロサディズムの極限を追求した成人映画を立て続けに製作し、和製モンドの一ジャンルを築き上げた。これら一連の作品によって石井輝男は国内におけるカルトムービーパイオニアとしてみなされている。

この「異常性愛路線」は1968年公開の『徳川女系図』の大ヒットを嚆矢として『徳川女刑罰史』『異常性愛記録 ハレンチ』『徳川いれずみ師 責め地獄』『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』とシリーズを重ねるごとに、その過激さを加速度的にエスカレートさせていくが、1969年の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の興行的失敗、併映作『㊙劇画 浮世絵千一夜』の警視庁から東映映倫に対するわいせつシーンの削除要請、そして警察庁による取り締まり強化宣言などによって60年代末に終焉を迎えることとなる[17]

その後、エログロ路線が下火になる中、1971年東京テレビ動画(後の日本テレビ動画)は谷岡ヤスジ原作の劇場用アニメ映画ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を製作。本作はそれまで子供向けであると言われたアニメの世界にエログロバイオレンス表現を大胆に取り入れ、強姦獣姦幼児姦近親相姦といったハードコア要素を存分に詰め込んだアブノーマルな世界観に仕上がっており[18]、今日では伝説的なカルトムービーとして一部で再評価されている。しかし、公開前に映倫からのクレームで11カ所がカットされ、主人公がメスゴリラ姦通した後、割腹自殺を遂げるラストシーンは前年の三島事件を連想させるとのことで全面的に撮り直された[18]。そのうえ公開後は全く客が入らず、2週続映が1週で打ち切られ、ほとんどの批評誌からも酷評されるなど興行は大失敗に終わり、本作を最後に東京テレビ動画は解散を余儀なくされた[18]。その後、1984年にワンダーキッズが中島史雄原作の成人向けOVA雪の紅化粧/少女薔薇刑』を公開するまで国産アダルトアニメは12年半にわたり姿を消すこととなった。

黎明期[編集]

20世紀末の日本で花開いた「鬼畜系」の系譜において伝説的編集者の高杉弾山崎春美1979年3月に創刊した伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』(エルシー企画アリス出版群雄社出版)が元祖的存在としてしばしば挙げられる[19][20]。とくに同誌を有名にしたのは『Jam』創刊号掲載の爆弾企画「芸能人ゴミあさりシリーズ」で、この企画では山口百恵かたせ梨乃など有名芸能人の自宅から出たゴミを回収し、誌面のグラビア電波系ファンレターから使用済み生理用品まで大々的に公開したことで物議を醸した(なお雑誌のゴミ漁り企画はアメリカのアンダーグラウンド・マガジン『WET』(1976-81) の企画が元祖である)。また、それ以外にも同誌ではドラッグパンク・ロック皇室臨済禅神秘主義フリーミュージック英語版など先鋭的なオルタナティブ・カルチャーを積極的に取り上げ、冗談諧謔に満ちたパンクな誌面を展開したことから今日では「伝説のサブカル雑誌」として神話化・伝説化されている[21]。なお大塚英志はエロ本に限らず、80年代に特異なサブカル雑誌が出現した背景について「全共闘世代が〈おたく〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており[22]、これに関して高杉弾は「あの頃は自販機本の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『Jam』や『HEAVEN』を作ったんだよね」と述懐している[23]

鬼畜系文筆家の草分け的存在である青山正明村崎百郎は同誌の影響を強く受けており、青山は慶應義塾大学在学中の1981年にキャンパスマガジン『突然変異』(突然変異社)を創刊。障害者奇形ドラッグロリコン皇室揶揄まで幅広くタブーを扱い[24]、熱狂的な読者を獲得したものの、椎名誠などなどの文化人から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」[25]と袋叩きに遭い、わずか4号で廃刊。一方の村崎は『Jam』からヒントを得て「鬼畜ゴミ漁り」というスタイルを後に確立することになる[26]

1981年には白夜書房がスーパー変態マガジン『Billy』を創刊。当初は芸能人インタビュー雑誌だったが全く売れず路線変更し、死体奇形女装スカトロ、果ては獣姦切腹幼児マニアまで何でもありの最低路線を突き進んだ。その後も一貫して悪趣味の限りを尽くし、日本を代表する変態総合雑誌として、その立ち位置を不動のものにしたが、度重なる条例違反有害図書指定を受け、誌名を変更するなどしたが全く内容が変わっておらず、1985年8月号をもって廃刊に追い込まれた[27]

成熟期[編集]

鬼畜系」という言葉自体は1995年に創刊された東京公司編集/データハウス発行の鬼畜系ムック危ない1号』の周辺から生まれた1990年代の特徴的なキーワードおよびムーブメントであるが[28]、鬼畜ブームの直接的な引き金となった『危ない1号』以前にも青山正明1992年に上梓した日本初の実用的なドラッグマニュアル『危ない薬』(データハウス)が10万部を超えるヒットを記録したほか[29]1993年鶴見済が発表した単行本『完全自殺マニュアル』(太田出版)は100万部を売り上げるミリオンセラーを記録している[28]

1994年には『Billy』元編集長の小林小太郎奇形&死体雑誌TOO NEGATIVE』(吐夢書房)を創刊し、同年にはアルバロ・フェルナンデス(無記名)の死体写真集『SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』が発刊され、定価15000円で2000部を売り上げるなど1980年代後半から始まったバブル景気が崩壊した1993年頃から自殺や死体など危ない書籍に対して大衆的な注目が集まるようになり[30]、これらは1990年代後半以降に「鬼畜/悪趣味」という一語にまとめられることになる[28]

周辺文化研究家のばるぼらは、これら『危ない1号』以前の「悪趣味」について、どこかフェティッシュで学術的な内容が強い「外部からの視点」のものであるとし、村崎百郎の定義した鬼畜的な行為あるいは妄想に「娯楽性」を見出す積極的意識こそが『危ない1号』以降の「鬼畜系鬼畜ブーム」の本質であることを指摘している[28]

なおエロティシズム文化に詳しい伴田良輔は「悪趣味」の起源そのものは「キッチュ」「マニエリスム」「バロック」「グロテスク」といったヨーロッパ文化にあると指摘し、それが大量消費時代を迎えた1950年代以降のアメリカ合衆国で「モンド」「スカム」「ビザール」「ローファイ」「バッド・テイスト」に発展し、それが米国での流行の経緯とは無関係に日本で新しい意味や機能が付け加えられて蘇ったと解説している(ただし、伴田の定義する「悪趣味」とは、ある範囲の事物に共通して見られる「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」の類型的特徴を意味しており、最初から露悪的な表現や様式を追求するような「鬼畜系」は含まれていない)[31]

鬼畜・悪趣味ブーム[編集]

戦後最大の都市型大災害、阪神淡路大震災(1995年1月)
戦後最悪の無差別テロ、地下鉄サリン事件(1995年3月)
アロマ企画直営のアングラ系カルトビデオショップ「高円寺バロック」跡地。1994年10月開店。タコシェ模索舎トライアングルと並ぶ日本四大カルトショップのひとつ。ヴィレッジヴァンガードエログロ版といった趣。1990年代の鬼畜・悪趣味ブームの波に乗り、インディーズAV総合ショップから鬼畜系総合カルトショップへと変貌を遂げた。1995年以降は『危ない1号』『SPA!』『GON!』などでも特集が組まれ、最盛期にはタイ死体雑誌『アチャヤーガム』をはじめとする死体関連グッズや猟奇殺人鬼グッズ、山野一丸尾末広日野日出志など青林堂発行のガロ系漫画、ボンテージ・ビザール関連商品、アロマ企画のオリジナルビデオ、フェチ系のアダルトビデオSMスカトロ妊婦レズ唾液咀嚼ブス女だるま女=穴留玉狂監督『猟奇エロチカ 肉だるま』)などのカルト商品が多数陳列されていた。

1990年代中頃になると鬼畜系サブカルチャー鬼畜ブーム・悪趣味ブームとして爛熟を迎え、不道徳な文脈で裏社会やタブーを娯楽感覚で覗き見ようとする露悪的なサブカルアングラ文化が「鬼畜系」または「悪趣味系」と称されるようになった[32]

青土社発行の芸術総合誌『ユリイカ1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」では文学映画アートファッションなどあらゆるカルチャーにキッチュで俗悪な「悪趣味」という文化潮流が存在することが提示され、これを境に露悪趣味(バッド・テイスト)を全面に押し出した雑誌ムックが相次いで創刊され一大ブームとなる。また同年6月には世紀末B級ニュースマガジン『GON!』(1994年4月創刊)が月刊化された。

このブームを代表する1995年7月創刊の鬼畜系ムック危ない1号』(東京公司データハウス)では「妄想にタブーなし」を謳い文句に「鬼畜系」を標榜し、ドラッグ強姦死体ロリコンスカトロ電波系障害者変態畸形獣姦殺人風俗盗聴テクノカニバリズムフリークス身体改造精神疾患動物虐待肛門性交変態漫画児童買春ゴミ漁りゲテモノ新左翼内ゲバV&Rプランニング青山正明全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超えるヒットとなり、初代編集長の青山正明は鬼畜ブームの立役者とみなされた[32][33]

また鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の創刊以降

などの鬼畜/悪趣味を前面に押し出した雑誌週刊誌月刊誌隔月刊誌ムック単行本が相次いで出版されるようになり、ますますブームの過熱を煽っていった[34]

電波系鬼畜ライター・村崎百郎の登場[編集]

まぼろし博覧会内の常設展示「村崎百郎館」に設置されている村崎百郎の等身大人形
支離滅裂な主義主張を喧伝する電波ビラの典型。かつて東京メトロ銀座線で湊昌子(港雅子)という女性が「トリコじかけの明け暮れ」と書かれた電波ビラを配布しており、これに触発された特殊漫画家根本敬は雑誌『宝島30』に連載していたコラム『人生解毒波止場』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。なお根本のフォロワーである電気グルーヴ石野卓球1995年にリリースしたシングル』で「トリコじかけにする」というフレーズを用いている。

青林堂(当時)発行の『月刊漫画ガロ1993年10月号の特集「根本敬幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」でメディアに初登場し、1995年4月刊行の『悪趣味大全』で本格的に文筆デビューした鬼畜系電波系ライター村崎百郎は、1995年から「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに「日本一ゲスで下品なライター活動をはじめる」と宣言して[35]、鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の編集・執筆に同年から参加し、編集長の青山正明と知己を得る。

1996年1月10日には新宿ロフトプラスワンで『危ない1号』関係者総決起集会『鬼畜ナイト』(東京公司新年会青山正明を励ます会)が村崎百郎の主催で開催され、大麻取締法違反で保釈されたばかりの青山正明が一日店長を務めたほか、吉永嘉明柳下毅一郎根本敬佐川一政夏原武釣崎清隆宇川直宏石丸元章クーロン黒沢ら30人以上の鬼畜系文化人が総決起し「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。このイベントの模様は同年8月に『鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ~な夜』(データハウス)として書籍化され、7万部を売り上げるヒットを記録した[36]

その後も村崎は、同年7月刊行の著書『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス)で他人のゴミを漁ってプライバシーを暴き出す「ダスト・ハンティング」を世に紹介し、同年9月には電波系にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』を特殊漫画家根本敬との共著で太田出版から上梓する。

鬼畜ブームの背景[編集]

ばるぼらは鬼畜ブームについて「95年8月に創刊した『危ない1号』(データハウス)を中心に流行した、死体畸形写真を見て楽しんだり、ドラッグを嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『完全自殺マニュアル』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『死体ブーム』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『悪趣味ブーム』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『鬼畜だった。『危ない1号』の編集長、青山正明氏の出所記念イベント『鬼畜ナイト』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している[34]

なお鬼畜・悪趣味ブームの背景について、週刊誌SPA!』は「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」とブーム当時指摘していたが[37]、一方でロマン優光オウム真理教阪神・淡路大震災などの影響で「たいした根はないけど変な終末『気分』になっていた人が増えていた」という状況に触れ「金銭や名誉、勉強やスポーツ、地道に文化を身につけるといったことから落ちこぼれたり、回避したりしながらも、他人との差異をつけたがるような自意識をこじらせた人たちが他人と違う自分を演出するためのアイテムとして、死体写真を使うようになった」と分析し、こうした新しい流れは悪趣味系/鬼畜系から派生したものというより、自販機本などの過去のアングラサブカルチャーの流れを踏まえた界隈に流れこんでいったと結んでいる[38]

前述したように『危ない1号』が創刊された1995年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件などの重大事件が立て続けに発生しており、それらに起因する一連の社会現象が悪趣味ブームと深く関わっているとされている[39]。特に1995年は「インターネット元年」[40]と呼ばれるように社会環境が大きく移り変わっていった激動の年でもあり[39]劇作家宮沢章夫はこれらの事象による社会の混乱や不安定な情勢が、ある種の世紀末的世界観や終末的空気感を醸し出している悪趣味ブームの土壌になったことを指摘している[39][41]。また宮沢は自身が講師を務めるNHK教育テレビ教養番組ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』の最終回において1995年を「サブカル」のターニングポイントと定義し、根本敬村崎百郎をはじめとする1990年代の鬼畜系サブカルチャーを取り上げている[39]

インターネットでの動向[編集]

1990年代にはインターネットが商用化され、ポルノ、スカトロ、暴力場面、侮辱、苦痛、卑語など扱うショックサイトなるものも誕生した[34]

1995年夏には地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲーム霞ヶ関』がパソコン通信上に出回るようになり、これを『朝日新聞』と『毎日新聞』が1995年10月26日夕刊が取り上げたことで、多くのメディアの注目を集めた[42]。当時このゲームを所有していたしばは、このソフトを配布する目的で電子掲示板あやしいわーるど」を起ち上げ、同サイトは1990年代後半から2000年代初頭にかけて日本最大の規模を誇るアンダーグラウンドサイトに発展する[34]

1996年4月には日本初と推定されるグロサイト「Guilty」が開設され[34]、同年5月には高杉弾(伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長)のWEBマガジン《JWEbB》が創刊される[43]。同年11月には北のりゆき(現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』〈冥土出版・1994年12月〉で一躍有名になった『危ない1号』と『危ない28号』のライター。別名義に死売狂生・行方未知など)主宰の危険文書サイトの最左翼「遊撃インターネット」がスタートし、翌1997年にはスーパー変態マガジン『Billy』『TOO NEGATIVE』元編集長の小林小太郎が運営していた死体写真ギャラリー「NG Gallery」のWEBサイトや漫画誌『ガロ』の裏サイト「裏ガロ」が本格始動する[34]

1998年には『コンピューター悪のマニュアル』の著者であるKuRaReを編集長に『危ない1号』の事実上の後継誌『危ない28号』がデータハウスの鵜野義嗣によって創刊される(これについてばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化が引き継いだ」と指摘している[44])。同誌はハッキングドラッグ兵器安楽死など様々な違法・非合法行為のハウツーが記載された危険情報満載のムック本で『危ない1号』に次ぐヒットを飛ばしたが、発売前の段階にもかかわらず有害図書指定を受けるなど自治体からの風当たりも強く、のちにKuRaReは「どんだけ何も見てない連中なんだよ。そうやって仮想の敵をやっつけて良いことをしたと思う自慰的行為」「28号は意識的に有害図書指定になろうとしてたので、別にいいのですが」と述懐している[45]

そして2000年1月浦和駅東海村大阪府で発生した一連の連続爆発事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述[46]した結果、同誌は全国18都道府県有害図書指定され[47]、発行済みの第5巻(1999年11月発行)を最後に廃刊を余儀なくされた。

こうしたインターネット発のアングラカルチャーは1996年アダルトサイト摘発、1999年通信傍受法成立と悪趣味ブームの終焉、そして2000年不正アクセス禁止法が決定打となり、完全消滅したとされている[34][48]

ブームの終焉[編集]

1997年神戸連続児童殺傷事件以降は、悪趣味系のサブカルチャー書籍を棚から撤去する書店が続々と現れるようになり[49]2000年の『危ない28号』廃刊をもって悪趣味ブームは完全に終焉を迎えた。時期を同じくして悪趣味系に属する雑誌の廃刊や路線変更が相次ぎ、鬼畜系のシーンは拡散・消滅した。

またインターネット上でも1999年以降はテイストレスに興味を持つ人口も減少したようで、死体や奇形など悪趣味に特化したグロサイトは殆ど作られなくなった(テイストレスサイトの総本山だった「下水道入口」も1999年6月17日付で閉鎖している)[34]。これについてばるぼらは「おそらく『何か変わったもの』だったはずの死体や畸形画像が、いつのまにか『ありふれたもの』になってしまい、当時アクセスしていた人々はまた別の変なものを求めて、ネットを徘徊しているのだろうと思う。そもそも2004年本物の殺人動画あの首切り映像が出回ったウェブに、これ以上何を求めればいいのだろう。いつかまた会うその時まで、死体は墓に埋めておいてほしい」とコメントしている[34]

青山正明の自殺(2001年)[編集]

2001年6月17日青山正明神奈川県横須賀市の自宅で首を吊って自殺した[50]

ともに鬼畜ブームを牽引した村崎百郎は青山の訃報に際して雑誌に次の文章を寄稿している。

サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。

鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。

次に主張しておきたいのは「青山正明鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。

俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真フリークスマニアスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。

(中略)ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。 — 村崎百郎非追悼 青山正明──またはカリスマ鬼畜アウトローを論ずる試み太田出版『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁

青山の没後、村崎百郎が明かしたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間で本当に「鬼畜」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である[28]。これについてばるぼらは「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり鬼畜ブームは実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している[28]

村崎百郎の刺殺(2010年)[編集]

2010年7月23日村崎百郎は読者を名乗る男に東京都練馬区の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされて殺害された[注 2][51]。犯人は精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となり、精神病院措置入院となった[52]

同年11月、村崎本人が遺した文章や関係者の証言などから綴った鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』がアスペクトから刊行された。

関連年表[編集]

1979年
1980年
1981年
  • 3月 - 明石賢生の逮捕により『Jam』の後継誌『HEAVEN』(アリス出版群雄社出版)廃刊。
  • 4月 - ロリータ障害者皇室などを取り扱い、鬼畜系サブカルチャーの原型となった伝説のミニコミ誌『突然変異』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)創刊。編集に慶大在学中の青山正明が参加。後に作家の椎名誠が同誌に対して『朝日新聞』誌上で名指し批判を行ったほか、2018年になって野間易通が発表した著書『実録・レイシストをしばき隊』(河出書房新社)の中でヘイトスピーチの源泉として「何でもありのポストモダン1980年代」という構図があると仮定し、青山らが同誌で皇室障害者も等価に茶化そうとした姿勢に「権威の頂点と弱者を同じレベルで茶化した場合、弱者には大きなダメージがいく」「等価という青山の視線は自分の行為にしか向いておらず、社会構造の非対称性は無視されている」と批判している。
  • 6月11日 - 佐川一政パリ人肉事件を起こす。
  • 6月17日 - 幼児を含む数名を殺傷した電波系による無差別殺人事件・深川通り魔殺人事件が起きる。犯人は初公判で読み上げた書状で「私が事件を引き起こしたのは、とても世間一般の常識では考えることのできない非人間的な、人間に対して絶対に行うべきではない、普通の人であったら一週間ももたないうちに神経衰弱になるだろう、心理的電波・テープによる男と女のキチガイのような声に、何年ものあいだ計画的に毎日毎晩、昼夜の区別なく、一瞬の休みもなく、この世のものとは思えない壮絶な大声でいじめられ続けたことが、原因なのであります」と語る。
  • 根本敬の入選作「青春むせび泣き」が『月刊漫画ガロ』(青林堂)9月号に掲載され、特殊漫画家デビュー。
1982年
1983年
1984年
  • 2月 - 犯罪マニュアル本『悪の手引書』(データハウス)がベストセラーとなり、その後の同社の「危ない」「悪い」路線を決定づける。
  • 9月 - 青林堂から丸尾末広の代表作『少女椿』出版。
1985年
1987年
  • 幻の名盤解放同盟が韓国旅行記『ディープ・コリア―観光鯨狩りガイド』(ナユタ出版会)を刊行。その後も出版社を変えつつ四半世紀にわたり増補改訂を繰り返し、最新版では600頁を越える大著となっている。
1989年
  • 根本敬が『月刊漫画ガロ1989年2・3月号から1992年4月号にかけて大河精子ロマン三部作『タケオの世界』『ミクロの精子圏』『未来精子ブラジル』を連載する。突然変異で生まれた巨大精子のタケオが、ありとあらゆる差別と悲劇に直面しながらも成長していく第1部『タケオの世界』は1990年の単行本『怪人無礼講ララバイ』(青林堂青林工藝舎)に収録され、気弱で善良ないじめられ役の「村田藤吉」といつも独善的に振る舞い村田一家を苦しめる「吉田佐吉」の因縁をめぐる第2部『ミクロの精子圏』は1990年の単行本『龜ノ頭のスープ』(マガジンハウス青林工藝舎)に収録された。なお第3部『未来精子ブラジル』は執筆中断中のため2019年現在まで未完となっている。
  • 9月20日 - 『危ない1号』の前身にあたる特殊海外旅行誌『エキセントリック』(全英出版/中央法科研究所)創刊。90年8月刊行の第6号「バンコクびっくりショー!」は青山正明が編集を務める。後に『エキセントリック』編集部を母体として編集プロダクション東京公司」結成。
  • この年、宮崎勤東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を起こす。
1990年
1991年
  • 中森明夫赤田祐一が『週刊SPA!』(扶桑社)12月25日号で90年代サブカルの起点となる[54]カラー16ページ特集「サブカルチャー最終戦争」を組む。この特集で赤田は『Quick Japan』の創刊を宣言し、中森は同号で予告した新連載「中森文化新聞」を同誌に10年以上にわたって連載する。
  • 卯月妙子三和出版エロ本で漫画家デビュー。後に特殊系AV女優として1994年井口昇監督のアダルトビデオ『史上最強のエログロドキュメント ウンゲロミミズ』に、1995年には『エログロドキュメント ウンゲロミミズ2』に出演する(いずれもV&Rプランニング作品)。卯月はこれら作品でスカトロやゲテモノ食いなどのハードプレイを演じ「エログロの極み」と評される。その後、元夫が投身自殺し、幼少の頃から悩まされていた統合失調症が悪化する。2008年には飛び降り自殺未遂を起こし、顔面崩壊および片眼を失明する。2012年描き下ろしの近況自伝エッセイ『人間仮免中』を発表し作家復帰する。
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
  • 1月10日 - 大麻取締法違反で逮捕されていた青山正明が95年8月末に保釈されたのを記念して村崎百郎とニコラス啓司による「鬼畜ナイト実行委員会」の主催で東京公司のトークライブイベント『鬼畜ナイト―新宿でいちばんイヤ~な夜』が新宿ロフトプラスワンにて開催される。8月にはイベントのダイジェスト版が『別冊危ない1号』としてデータハウスから書籍化され、8万部を売り上げる。主な出演者は青山正明村崎百郎石丸元章釣崎清隆柳下毅一郎根本敬夏原武宇川直宏吉永嘉明佐川一政クーロン黒沢など30人以上にのぼった。
  • 2月 - 悪趣味ブームの元祖本としてアメリカの大衆文化に根ざしたバット・テイスト文化を評論したジェーン・スターン&マイケル・スターン著/伴田良輔監訳『悪趣味百科』(新潮社)が刊行。
  • 3月 - 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』刊行。根本敬による蛭子伝説「茶の間のピンヘッドは無意識の殺人者!?」が掲載。1990年代当時すでに人気タレントとなっていた蛭子能収の知られざる素顔について鬼畜系の文脈で紹介。
  • 4月 - 『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」刊行。第2巻では村崎百郎のアイデアで「鬼畜系カルチャー入門講座」と称し、多様多種なジャンルの危ないコンテンツをガイドブックのような形式で横断的に紹介したほか、元祖鬼畜系漫画家の山野一ロングインタビューなどが掲載。
  • 6月 - 24歳で夭折した漫画家の山田花子が遺した日記やメモなどをまとめた単行本『自殺直前日記』(太田出版)が¥800本シリーズから刊行。
  • 7月 - 村崎百郎『鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス)刊行。
  • 雑誌『ホットドッグ・プレス』(講談社)8月25日号で「いいかもしれない“悪趣味”の世界 BAD TASTE BOOK」特集。根本敬は「ブームの終焉を見たなと思ったのは『ホットドッグ・プレス』で悪趣味特集やった時ね」と述べている[65]
  • 9月 - 根本敬と村崎百郎の共著『電波系』(太田出版)刊行。
  • 相良好彦編集『マンガ地獄変』(水声社)シリーズがスタート。吉田豪植地毅大西祥平宇田川岳夫などが執筆し、それまで『紙のプロレス』の読者以外には余り知られていなかった吉田豪が広く知られる切っかけとなる。また『マンガ地獄変3』(1998年)で大西が紹介したB級ホラー漫画記事をきっかけに押切蓮介漫画家を志す。
  • 土屋静光編集の悪趣味総決算ムック『世紀末倶楽部』(コアマガジン)創刊。交通事故で内臓が飛び出した死体写真や奇形児などの写真が大量に掲載されていたこのシリーズはビジュアル面によせた見世物的かつ即物的なつくりのものが多いが、第1弾の『特集チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』は1冊丸ごとマンソン特集という圧巻ぶりで読みものとしても評価が高い。第2号には『危ない1号』初代編集長の青山正明カルト映画恐怖奇形人間』の石井輝男監督、スーパー変態マガジン『Billy』編集人の小林小太郎V&Rプランニング創業者の安達かおるなど鬼畜系キーマンにまつわる貴重なインタビュー記事を多数掲載。
  • 10月30日 - 東京大学教養学部「オタク文化論」ゼミ講師の岡田斗司夫に招かれて村崎百郎が登壇。この日のテーマはゴミ漁り。講義の模様は岡田斗司夫『東大オタク学講座』(講談社・1997年)の「第九講 ゴミ漁り想像力補完計画」に収録。
  • 11月 - 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』(いずれも宝島社)刊行。
  • 11月 - 鶴見済『人格改造マニュアル』(太田出版)刊行。厳しい世の中を自殺せず生き抜くための大脳コントロール法。
  • 11月1日 - 『危ない1号』『危ない28号』ライターの北のりゆきが主宰する同人サークル「遊撃隊」「冥土出版」の合同ホームページとして「遊撃インターネット」開設。
  • 11月30日 - B級のエロネタ中心の悪趣味雑誌『BAD TASTE』(フロム出版)創刊。米澤嘉博の遺作『戦後エロマンガ史』の初出(のちに青林工藝舎アックス』に移籍)。
  • 12月 - 『Quick Japan』(太田出版)11号で山崎春美特集「山崎春美という伝説─“自殺未遂ギグ”の本音」掲載。
  • 週刊SPA!』12月11日号で「鬼畜たちの倫理観─死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」特集。
    • ロリータ官能小説家の斉田石也、V&Rプランニング代表の安達かおる、雑誌『BUBKA』創刊編集長の寺島知裕、KUKIの鬼畜レーベル“餓鬼”の山本雅弘、特殊漫画家の根本敬らにコメントを求め、鬼畜系ショップ「高円寺バロック」周辺の客に質問し、日本でベストセラーとなった『FBI心理分析官』著者のロバート・K・レスラー、『痴呆系―すばらしき痴呆老人の世界』著者の直崎人士タコシェ創設者の松沢呉一らが鬼畜ブームに一言呈した上で、ラストに青山正明村崎百郎の対談「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」を掲載。
    • 後に青山と交友があったデザイナーのこじままさきは「『SPA!』のインタビューを受けた直後に本人から聞いた話なんですが、『SPA!』的には(青山に)村崎百郎さん的な鬼畜キャラを期待してたらしいんですよ。そうしたらものすごく普通の、インテリジェントな人だから、予定していた見開き2ページを埋めるのは無理だと判断したらしくて。『小さなコラム扱いになっちゃったんだよねー』って話してたのが一番印象に残ってますね。本当に常識的で穏やかないい人なんですよ。どちらかというと気弱で温厚で」と語っている[66]
    • 「鬼畜系」について『SPA!』編集部は特集冒頭で「モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンス」と改めて定義し、「死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れとモンド・カルチャーの脱力感が合流。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらにドラッグレイプ幼児買春などの犯罪情報が合体した」ことを踏まえつつ「インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう」と「鬼畜系」の誕生プロセスについて簡単に解説。
  • マーケティング雑誌『流行観測アクロス』(パルコ出版)12月号に竹熊健太郎岡田斗司夫の対談「“鬼畜”に走るサブカル雑誌に未来はあるか?」掲載。
1997年
1998年
1999年
  • 青山正明の2冊目の単著である『危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」が刊行され、『危ない1号』シリーズ終刊。
  • 1997年に第5回日本ホラー小説大賞に応募されるも落選した高見広春の小説『バトル・ロワイアル』に興味を持った赤田祐一が『Quick Japan』の誌面で「尋ね人」の広告を出し、高見とコンタクトを取ることに成功。1999年4月に太田出版から刊行され、100万部を超えるミリオンセラーとなる。
  • 11月1日 - 児童ポルノ禁止法施行。
  • 12月6日 - 『BURST』2000年1月号で「世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括―90年代式幽霊列車の葬送」特集。『世紀末倶楽部』『トラッシュメン』編集人の土屋静光によるコラム「悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」が掲載。小林小太郎による『Billy』『ORGANIZER』『TOO NEGATIVE』、比嘉健二による『GON!』『ティーンズロード』、のちの『映画秘宝』につながる『悪趣味洋画劇場』『悪趣味邦画劇場』などの紹介や『世紀末倶楽部』を編集する上で影響を受けたという海外ミニコミ『FUCK!』『BOILD ANGEL』の解説などを収録。
  • この年、アロマ企画が疑似殺人を記録した穴留玉狂監督のアダルトビデオ『猟奇エロチカ 肉だるま』発売。発売直前に出演女優の大場加奈子が電車に飛び込み自殺[67]
2000年
2001年
2004年
2005年
  • ばるぼら+加野瀬未友責任編集『ユリイカ』8月臨時増刊号で「総特集=オタクVSサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」特集。ばるぼらと加野瀬未友の対談「オタク×サブカル15年戦争」が掲載されたほか、90年代サブカルに関連して近藤正高「カミガミの黄昏〈一九九三年〉以前・以後」、屋根裏「悪趣味と前衛が支えたアングラ」、オクダケンゴ「平成大赦(仮)-平成サブカルチャー年表-」などの記事が収録されている。
  • 5月 - 『危ない1号』以降、鬼畜系雑誌の代表とされたカウンターカルチャー誌『BURST』が6月号を最後に休刊することが発表される。
2006年
  • 3月 - 吉永嘉明『自殺されちゃった僕たち』が『実話GON!ナックルズ』で連載開始(~2008年11月号まで全32回)
  • STUDIO VOICE』12月号で「90年代カルチャー完全マニュアル」特集。村崎百郎インタビュー「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」掲載。
2008年
  • 2006年6月から7月にかけてウクライナドニプロペトロウシクに住む若者らが約1ヶ月の間に快楽目的で21人を殺害した。2008年末には殺人行為を記録したビデオがインターネット上に流出し、そのうち「ウクライナ21」と称される動画は動画共有サイトに完全な状態で流出した(この前後に日本では「検索してはいけない言葉」という言葉が定着している)。その後、ウクライナ21に触発された模倣犯が「アカデミーマニアックス」事件を起こす。
2010年
  • 6月30日 - 元『週刊SPA!』編集長のツルシカズヒコが『「週刊SPA!」黄金伝説』(朝日新聞出版)を刊行。
  • 7月23日 - 村崎百郎が読者を名乗る男に自宅で48ヶ所を滅多刺しにされ刺殺鬼畜系終焉
  • 9月 - 根本敬『生きる2010』(青林工藝舎)刊行。
  • 11月25日 - 村崎百郎(鬼畜系)総括の書『村崎百郎の本』(アスペクト)刊行。根本敬は同書のインタビューで「90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ。それに『影響受けました!』っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな“悪い悪趣味”が台頭してくるようになる。だいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ90年代終わりからここ数年、特に激しいじゃない?」と語る。
2012年
2013年
2015年
2014年
2016年
2017年
2018年
  • 5月2日 - 大阪ロフトプラスワン・ウエスト宮沢章夫野間易通幻の名盤解放同盟の韓国旅行記『ディープ・コリア』をめぐる対談イベント「サブカルに決着をつける」を行った。これを発端として音楽評論家高橋健太郎Twitter上で『ディープ・コリア』論争を起こす[68]。識者の見解や論争の流れについては香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』(太田出版)やロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)に詳しい。
  • 5月30日 - 政治活動家で作家の雨宮処凛が『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』という論考を発表。 これは「90年代、私はクソサブカル女だった」と語る雨宮が「鬼畜ブーム的なものが盛り上がる中、意図的に見ないふりをしてきたことについて、改めて考えなくてはいけないと思っている」と自己批判あるいは反省を促す内容で、これを皮切りにTwitter上で90年代サブカル論争が起こる。
  • 6月24日 - ブロガーのHagexが荒らしユーザーに刺殺される
  • 9月1日 - RRR(両国楽園部屋)で催された『バースト・ジェネレーション』創刊記念座談会「90年代カウンターカルチャーを振り返る」に登壇した幻の名盤解放同盟根本敬が『ディープ・コリア』論争について「その頃はいわゆる進歩的な文化人とされる左翼系の人達が言論界を握っていて、韓国に対して悪い事を言うと贖罪意識が強過ぎて、非常に風当たりが強かった。(中略)良い意味の間抜け加減とか、そういうものに対しても、みんな口を閉ざして」いた80年代の空気感に言及しながら、あえて「韓国のことを正直に書く」ことによって、執拗な贖罪意識にとらわれた形でしか韓国を語れず、硬直していた日本の韓国観に対し「ある種のカウンターカルチャー」として機能していたと改めて解説した[69]。また根本は高橋の『ディープ・コリア』に対する執拗なバッシングについて「それこそ本も読まないで、その行間も読まないで、そして80年代がどんな空気だったのかってことを無視して…(中略)その男が『あれはヘイト本のルーツだ』っていうキャンペーンを始めたんですよ」と不快感を示し、「結局『ディープ・コリア』バッシングっていうのは、実はある音楽評論家が『ディープ・コリア』とヘイトスピーチを結びつけて、それを自分が社会正義の立場からバッシングしているという事に置き換えてるんですけど、実は(同い年で自分より先に出世した湯浅学に対する)極めて個人的な嫉妬」が全ての元凶として一蹴している[69]。以上のように当時の時代性を考慮せずに『ディープ・コリア』がヘイト本のルーツというような批判・主張については的外れであるとしながらも「非常に表層の部分だけを捉えれば、それはもしかしたら受け手によっては『韓国をバカにしてる』『ヘイトスピーチに何かしら影響を与えたことは否めない』と捉えられるかもしれない」と受け手がそういった解釈をしてしまう可能性については根本も認めている[69][70]
  • かつて鬼畜本ブームを仕掛けたデータハウス社長の鵜野義嗣が村田らむのインタビューで「『危ない』系の本は今は絶対ダメですね。『危ない』のに興味を持つのは、経済的に余裕がある時なんですよ。どうやって食っていくか大変な時代に、『危ない』とかそんなことは言ってられない。こういう“すねた本”がうけるのって実は貴族文化なんですよ」と語る[71]
  • 12月5日 - 『BURST』の後継誌『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)創刊号が発売。責任編集はケロッピー前田。カバーガールは姫乃たま
2019年
参考文献

ポルノグラフィに於ける鬼畜系[編集]

成人向け漫画アダルトゲームなどのポルノにおいて、SM緊縛拉致監禁拷問調教洗脳催眠強姦輪姦屍姦獣姦異種姦・臍姦・カニバリズムスカトロロリコン孕ませ寝取られ触手責め拡張プレイ異物挿入焼印欠損寄生蟲責め・悪堕ち・肉体改造人体破壊内臓掻爬四肢切断精神崩壊公衆便所など強制的な性行為を強調した作品は「鬼畜系」(または「陵辱系」)と呼ばれており、これは度が過ぎるサディストを指した用語でもある。それに対して恋愛や合意の上での性行為を重視した作品を「純愛系」と呼ぶことがある[72]

いずれもオタク系の媒体で用いられることの多い表現であり、評論家本田透は「鬼畜系」について「萌え」とは対極に位置する概念であると指摘し[73]監禁調教といった鬼畜系のジャンルは1990年代半ば(鬼畜ブーム期)までがピークとして「現在(2005年時点)では一部の根強いファンだけに支えられている」と主張していた[74]

また、成人向け漫画の世界で自分の世界を築き上げる作家も多く、もちろん、性的描写を避けては描けない世界というものでもある。また一つには性的描写が必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台であり、その自由度の高さから作家独自の嗜好によって特異ともいえる表現が追及され、一般誌では掲載不可能な作風を実現する作家も存在する。

アダルトビデオに於ける鬼畜系[編集]

V&Rプランニング[編集]

安達かおる1986年に創業したアダルトビデオメーカーV&Rプランニングレイプスカトロ蟲責めなどを題材にしたキワモノ系の異色作・問題作を1990年代に多数リリースして異彩を放ち、鬼畜ブーム時には『危ない1号』に特集が組まれるなどマニアの間で密かに注目を集めていた。

V&Rは当時台頭していた規制の少ないインディーズメーカーを差し置くほど過激極まりない作風で知られ[75]、当時加盟していた日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)からはしばしば発売禁止・審査拒否の対象となった。

例えば1993年に制作されたスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』(監督:安達かおる)では身体障害者が出演したことが問題視されお蔵入りとなり[76]平野勝之監督の『水戸拷悶2 狂気の選択』(1997年)では過激な描写を追求するあまり2名が負傷して3名が引退宣言し、撮影の舞台となった渋谷はパニック状態に陥り警察が出動する騒ぎとなった(当然ビデ倫からは「論外の外」と審査拒否されたため、自主規制した不完全版のみが流通した[77])。また下水道を舞台に撮影を敢行した平野監督の『ザ・ガマン』(1993年)でも警察官水道局員が大挙する騒動に発展している[77]

AV史上最大の問題作とされるバクシーシ山下監督のデビュー作『女犯』(1990年)は既存のレイプ作品では到底考えられないほど迫真に迫ったリアルな描写・演出から女性人権団体から抗議が殺到、社会問題化した[78]。しかし、後に山下が語るところによれば作品は意図的に後味の悪さを狙ったもので、事前に山下は本気で嫌がるよう女優に説明し、あえて男優にその事実を教えなかったという[78]。これらを踏まえて著作家本橋信宏は「実際に弄ばれていたのは女優でなく男優だった」と述べている[78]。その後も山下は抗議に萎縮することなく、1992年には路上ドキュメント『ボディコン労働者階級』を監督し、山谷ドヤ街を舞台に日雇い労働者AV女優との交接を描いたことで物議を醸すことになった[78]死体写真家釣崎清隆は人権団体と争ってまで問題作を送り出すV&Rプランニングの姿勢に感銘を受け、過去にAV業界で活動していたこともある。

V&Rのスカトロ作品では井口昇監督・卯月妙子主演の『ウンゲロミミズ エログロドキュメント』(1994年)が最も有名で排泄物食糞、塗糞、脱糞に始まり、嘔吐物ミミズまでを扱った過激な演出からマニアの間でカルト的な人気を集め、翌1995年には続編も制作された。

2004年にはV&Rプランニングの制作陣によってV&Rプロダクツが発足し、現在も事業を継続中である。なお、2015年には封印されていた障害者主演のスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』がアップリンク渋谷で上映され、制作から22年目にしての解禁となった[79]

バッキービジュアルプランニング[編集]

アダルトアニメに於ける鬼畜系[編集]

鬼畜系漫画家[編集]

主に鬼畜系、陵辱系、猟奇系(リョナ)の漫画を執筆している漫画家イラストレーターを生年順に挙げる。

1940年代生

1950年代生

  • 平口広美
  • 内山亜紀
  • 丸尾末広 - 高畠華宵の影響を受けたレトロなタッチに幻想・怪奇・猟奇・グロテスクな描写を交えた過激な作風を特徴としている。代表作に『少女椿』(青林工藝舎)ほか多数。
  • 森園みるく - 鬼畜系・電波系ライターの夫・村崎百郎が原作を担当し、妻の森園が作画を担当した漫画作品が多数ある。
  • 根本敬 - 自称・特殊漫画家東洋大学文学部中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本オルタナティブ・コミックの作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『平凡パンチ』から『月刊現代』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。
  • 海明寺裕
  • 蛭児神建(文筆家・イラストレーター) - 主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラストおよび変質者ルックで知られた。

1960年代生

1970年代生

1980年代生

1990年代生

生年不詳

関連ライター[編集]

関連雑誌[編集]

休廃刊[編集]

刊行中[編集]

関連項目[編集]

関連書籍[編集]

  • 青山正明『危ない薬』データハウス 1992年11月
  • 鶴見済完全自殺マニュアル太田出版 1993年7月
  • 鶴見済編『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』太田出版 1994年2月
  • 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月
  • マガジンハウスBRUTUS』1995年3月15日号「特集・インモラル図書館へようこそ!」
  • 青土社ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
  • 宮台真司『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』筑摩書房 1995年7月(1998年3月に同社より文庫化)
  • 竹熊健太郎『私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教』太田出版 1995年11月(2000年7月に筑摩書房より文庫化)
  • 別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』宝島社 1995年8月
  • 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』宝島社 1996年3月
  • 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』宝島社 1996年11月
  • 別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙―ストーカーから電波ビラ、謀略史観まで!』宝島社 1998年1月
  • 村崎百郎『鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』データハウス 1996年7月
  • 東京公司+鬼畜ナイト実行委員会『鬼畜ナイト―新宿でいちばんイヤ~な夜』データハウス 1996年8月
  • 根本敬村崎百郎電波系』太田出版 1996年9月
  • 青山正明危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」データハウス 1999年9月
  • 桃園ムック92『鬼畜系美少女ゲーム攻略200連発』桃園書房 2002年2月
  • 青土社『ユリイカ』2005年4月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」
    • 近藤正高「カミガミの黄昏〈一九九三年〉以前・以後」
    • 屋根裏「悪趣味と前衛が支えたアングラ」
  • アスペクト編『村崎百郎の本』2010年12月
  • Quick Japan』Vol.135 太田出版 2017年12月
  • ケロッピー前田責任編集『BURST Generation 01』東京キララ社 2018年12月
  • 木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス 2019年1月
  • ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン 2019年3月
  • 香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』太田出版 2019年3月

参考文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 日本のサブカルチャーに「MONDO」という概念・用語を輸入したのは伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾であるといわれている。高杉は「MONDO」に一番近い日本語として「ひょっとこ」を挙げている。
  2. ^ 当初犯人は特殊漫画家根本敬を殺害する予定であったが、根本が不在だったため『電波系』(太田出版)の共同執筆者であった村崎の自宅に向かったという。
  3. ^ 「鬼畜系作家」というのは自称でなく通称であり、京極夏彦の対談では「鬼畜系作家」でなくハートレスな「キクチ系作家」として呼んで欲しいとのこと。

    京極:平山さんは、いうなれば鬼畜系ですよね。
    平山:それを言われると嫁が泣く(笑)。ネットで「鬼畜系作家」と書かれているのを読んで、「あなた鬼畜系なの?私は鬼畜の嫁なの?」って泣いたんだよね(笑)。まあいいんだけど、漢字だと重たいから、できればカタカナにしてもらえたら(笑)。
    京極:表記の問題なのか(笑)。でも音で区別はつかないから。発音を変えて対談するしかないじゃないですか。「キチク」……「キクチ」ならいい?
    平山:そうそう、「キチク」とか「キクチ」とか……「キクチ」だね。
    京極:じゃあ「キクチ」系にしましょう(笑)。で、「キクチ」系作家の平山夢明さんとしては、ハートフルな小説というのはあまりお書きになりませんね?ハートレスですよね(笑)。
    平山:ハートレスだね。(中略)僕が書くこわい話なんかは、どっちにしろ死んでるやつのほうが多く出てくるわけ。そういう生き物より死人のほうが多いような小説はともかく(笑)。でも、そうじゃない小説って、みんな愛の方向にもっていくでしょう?
    京極:もっていきがちですわね、愛の方向に。
    平山:愛なんて所詮、算数でいうゼロみたいなもの。幸も不幸もゼロを掛ければみんな同じ。駆け込み寺みたいな安易な逃げ場所なんだけど、酷いことを書いて、そのまんまで終わらせちゃうとだいたい鬼畜系作家とか言われちゃうわけだよね。

    対談 京極夏彦×平山夢明 - レンザブロー

出典[編集]

  1. ^ Torii Kiyonobu I -By the Light of a Hexagonal Lantern early 1700s
  2. ^ How Does the Interior of a Vagina Look Like?
  3. ^ PARIS, CAPITAL OF CORPSES
  4. ^ Skeletons in the cupboard of medical science
  5. ^ Skeletons in the cupboard of medical science
  6. ^ うんち大全 ジャン・フェクサス
  7. ^ 故人をまるで生きているかのようにポーズをとらせて遺体を記念撮影する、ビクトリア時代の「遺体記念写真」
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  9. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 56頁。
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  13. ^ 斉藤昌三『三十六人の好色家―性研究家列伝』創芸社 1956年
  14. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 63頁。
  15. ^ 14 Of The Craziest Things Famous Musicians Have Done On Stage
  16. ^ その本の中で「マンソンファミリーが殺人の様子を撮影したビデオが存在する」旨でインタビューが行われたためである。しかし、そのインタビュー対象者は実際にはスナッフフィルムを見てはいなかった。
  17. ^ “現代の映画とセックス 人間の深奥へ ますます大胆な追求”. 読売新聞 夕刊 (東京): pp. 9. (1970年3月7日) 
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