雀家翫之助

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雀家 翫之助(すずめや かんのすけ)は、落語家名跡

代々代数不明。初代は雀屋を用いた。

  1. 初代雀屋翫之助 - 下記にて詳述。
  2. 後の初代三遊亭遊三
  3. 後の三遊亭花圓遊
  4. 初代雀屋翫之助 - 下記にて詳述。

初代雀屋翫之助[編集]

初代雀屋 翫之助(すずめや かんのすけ、生没年不詳)は、主に天保期に活躍した落語家。俗称「勇治良」。

江戸下谷で八百屋を営む伊三郎の弟で俗称「勇治良」という。

はじめ歌舞伎役者の2代目中村歌右衛門の門弟で中村駒市という。後に落語に転じ初代隅田川馬石の門弟で初代馬好、から2代目金原亭馬之助の門下で金原野翫之助から雀々屋翫之助を経て初代雀屋翫之助。安政末ごろまで存命が確認される。歌舞伎出身だけあって大道具芝居掛け噺を得意とした。

阿部常吉の雀家翫之助[編集]

雀家 翫之助(すずめや かんのすけ、生没年不詳)は、主に明治中期から昭和戦前期に活躍した落語家。本名は阿部常吉。

1892年頃に初代春風亭小柳枝(のちの4代目春風亭柳枝から初代春風亭華柳)の弟子で春風亭小柳三、3月に芝の恵智十が初舞台。明治30年末には4代目春風亭枝雀に改名。1908年5月に真打昇進し雀家翫之助を襲名。昇進披露は下席の神田白梅亭。真打昇進後も東京ではほとんど活動せず、地方廻りが多く果ては朝鮮まで赴いた。1917年に睦会発足時に伊予[要曖昧さ回避]松本[要曖昧さ回避]幇間していた所呼び戻され専属となった。芸は落語よりも芝居・映画などを題材にした活劇や忍術劇を売りにした。昭和になってからは北海道函館幇間になる、以降時折東京にも出ていたが昭和10年代はほとんど活動実績はない、没年未詳。

出典[編集]

  • 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、ISBN 458212612X)
  • ご存じ古今東西噺家紳士録