雲林院祐基

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雲林院祐基
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 慶次郎、慶四郎
官位 出羽守
主君 織田信包信長豊臣秀吉
氏族 長野工藤氏→雲林院氏
父母 父:長野稙藤
兄弟 長野藤定祐基細野藤光
祐光、矢部家定

雲林院 祐基(うじい すけもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。「雲林院大夫」・「祐尊」も同一人物か。

略歴[編集]

雲林院氏は伊勢国国人長野工藤氏の支流。

長野工藤氏14代当主・長野稙藤の子として生まれた祐基は、分家である雲林院氏を継承した。織田信長の伊勢侵攻により、永禄11年(1568年)2月に長野工藤氏が信長の実弟・織田信包を養子に迎えることになった際、祐基はそれを認めて臣従した。その後は信長に接近して雲林院氏の存続を図ったが、一方で信包とは対立したため、天正8年(1580年)、居城・雲林院城を奪われて追放された。

そのため、婿の矢部家定を頼り、家定の執り成しによって微禄ではあるが信長の直臣として召し抱えられた(勢州軍記)。信長死後は伊勢に戻り、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉に属した。

子・祐光(兵部大輔)は滝川一益の婿であり、諸国を流浪した後に豊臣秀吉に召抱えられたといわれる(勢州軍記)。