青山道雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青山 道雄
横浜DeNAベイスターズ ヘッドコーチ #83
Aoyama michio.jpg
2013年7月18日、こまちスタジアムにて(ロッテ二軍監督時代)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県静岡市
生年月日 (1959-12-17) 1959年12月17日(59歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1983年 ドラフト3位
初出場 1984年4月2日
最終出場 1992年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手、プロ野球コーチ。

現在は横浜DeNAベイスターズの一軍ヘッドコーチを務める。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

東海大工高では1977年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、エース井辺康二を擁する兄弟校[1]東海大一高に敗れ、甲子園には出場できなかった。井辺とともに進学した東海大学では在学中首都大学リーグで5度優勝。しかし3年時の秋季リーグ以降は、白武佳久らのいた日体大の台頭により優勝から遠ざかる。1981年の第10回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。リーグ戦通算62試合出場、183打数61安打、打率.333、1本塁打、15打点。ベストナイン2回受賞。大学の一期上に原辰徳津末英明市川和正、同期には井辺の他、伊藤寿文がいる。卒業後はプリンスホテルに入社。1983年都市対抗では一番打者として活躍した。1983年のドラフト会議では3位で西武ライオンズに指名され入団。 1984年はアメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。

プロ入り後[編集]

1990年開幕直前、村岡耕一河野誉彦との交換トレード駒崎幸一秋元宏作と共に横浜大洋ホエールズに移籍すると、その年は62試合出場を果たした。

1992年9月9日読売ジャイアンツ戦で宮本和知から代打満塁本塁打を記録[2]するも、同年現役引退

現役引退後[編集]

1993年1995年横浜二軍外野守備走塁コーチ、1996年2003年横浜一軍外野守備走塁コーチ、2004年2006年二軍外野守備走塁コーチ、2007年2008年一軍外野守備走塁コーチを務めた。

1990年代後半は、主に三塁コーチャーズボックスに入ることが多かったが、ホームインに間に合わなさそうなタイミングでも走者を本塁に突入させてアウトとなり、しばしば得点のチャンスを潰したことから、一部からは「壊れた信号機」と呼ばれた。

2009年から1年間千葉ロッテマリーンズの球団部編成調査担当を務めた。

同年10月16日、ロッテの一軍外野守備兼総合ベンチコーチに就任した。ヘッドコーチ格。

2011年は一軍総合コーチ。

2012年からはロッテ二軍監督を務め同年のイースタン・リーグおよびファーム日本選手権優勝を果たした。

2015年4月28日に、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」でNPB選抜監督を務める事が発表された[3]

2016年からは二軍総合兼外野守備・走塁コーチとしてベイスターズへ8年ぶりに復帰。

2017年からは一軍総合コーチに配置転換。参謀役としてアレックス・ラミレス監督を支える。

2018年からは一軍ヘッドコーチ。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1984 西武 10 9 6 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 0 0 2 0 .000 .143 .000 .143
1985 15 12 10 2 1 0 0 0 1 0 1 1 0 0 1 0 1 2 0 .100 .250 .100 .350
1986 7 4 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1989 8 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .000 .000 .000 .000
1990 大洋 62 71 63 13 9 1 2 2 20 4 2 0 4 0 2 0 2 13 1 .143 .194 .317 .511
1992 38 39 34 2 9 2 0 1 14 11 0 0 0 1 4 0 0 8 0 .265 .342 .412 .754
NPB:6年 140 141 123 21 19 3 2 3 35 15 3 1 6 1 8 0 3 28 2 .154 .224 .285 .509

記録[編集]

背番号[編集]

  • 50 (1984年 - 1989年)
  • 0 (1990年 - 1992年)
  • 73 (1993年 - 2008年)
  • 76 (2010年 - 2015年)
  • 83 (2016年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 1999年に合併し東海大翔洋高に。2015年には東海大静岡翔洋高に改称。
  2. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、6ページ
  3. ^ 侍J大学代表vsNPB選抜 メンバー発表 日本野球機構公式サイト (2015年4月28日) 2015年5月22日閲覧

関連項目[編集]