静石飛行場

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静石飛行場
정석비행장
IATA: なし - ICAO: RKPD
概要
国・地域 大韓民国の旗 大韓民国
所在地 済州特別自治道西帰浦市
種類 私用
所有者 大韓航空
標高 357.8 m
座標 北緯33度23分54秒 東経126度42分47秒 / 北緯33.39833度 東経126.71306度 / 33.39833; 126.71306
地図
空港の位置
空港の位置
PKPD
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
01/19 2,300×45 アスファルト
15/33 900×25 アスファルト
リスト
空港の一覧
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静石飛行場(チョンソクひこうじょう、韓国語: 정석비행장)は、大韓民国済州特別自治道西帰浦市にある大韓航空の訓練飛行場である。大韓航空の操縦士養成教育が韓国航空大学校に委託され、実施されている。

位置[編集]

大韓民国の西南部にある離島、済州島の中央に聳える漢拏山の東麓に位置し、標高の高い場所にある。行政区画上は西帰浦市に属しているが、島の北側を占める済州市と南側を占める西帰浦市の境界に近く、市街地からは離れている。附近は大韓航空の子会社でケータリングなどの地上業務を行っている韓国空港が設けた済東牧場の敷地である。

名称[編集]

「静石飛行場」の名は、大韓航空の創立者である趙重勳の号が「静石」であったことに由来する[1]。当初、単に「大韓航空訓練飛行場」と呼ばれていたが、後に「静石飛行場」に変更された[2]

旅客利用[編集]

通常は旅客輸送には使用されていないが、2002 FIFAワールドカップの際、2002年6月8日に済州ワールドカップ競技場で開催されたブラジル対中国戦の観客輸送のため、2002年6月8日と6月9日の両日に限り、チャーター便の発着に使用されたことがある。

また2008年3月11日にはジョージ・H・W・ブッシュ元アメリカ合衆国大統領が済州を訪問し、この際、静石飛行場を利用した。ブッシュの韓国訪問は豊山グループの会長である柳津の招請に応じたもので、大韓航空が趙亮鎬・韓進グループ会長の専用機として使用されているガルフストリーム IV機を提供、上海から静石飛行場に到着した。大韓航空が本来は訓練用の飛行場を使用したことには批判もあり、一部では済州国際空港を利用した場合に必要な着陸料約30万ウォンの支払いを免れるために静石飛行場を使用したのではないかという指摘も出た。

歴史[編集]

静石飛行場の位置する一帯では、かつて日本陸軍が飛行場を建設していた。この飛行場は1945年6月、1000m×100mと900m×50mの滑走路を持つ飛行場として計画され、7月末には完成したとみられる[3]

この飛行場との関係は不明であるが、後に同じ場所に900mの訓練用の滑走路が建設され、軽飛行機による飛行訓練に使用されるようになった。

1989年1月には韓国政府が全国民の海外旅行を自由化し、操縦士の需要増大が見込まれたことから、同年4月、大韓航空は飛行場の施設を拡張し、大型機の離着陸が可能な滑走路の増設を計画した。しかし、騒音による住環境の悪化や家畜への被害を懸念した周辺住民が強く反対し[4]、計画は一旦保留された[5]。その後、1993年に開催された大田国際博覧会に大韓航空が出展した「未来航空館」の現地移設を条件に地元が受け入れに転じ、1995年に拡張工事が開始された。工事は1998年に完成、ILSを備えた2300mの本格的な滑走路が整備された。

年表[編集]

静石航空館[編集]

静石航空館は、大韓航空が静石飛行場に隣接して設置している航空博物館である。1993年に開催された大田国際博覧会に出展した大韓航空が場内に設けた展示施設「未来航空館」の建物を移築して開設された。

開館前の1999年には、静石航空館に併設される屋外展示施設に展示する予定として、大韓航空が導入したボーイング747の第一号機が静石飛行場に移された。このほかエアバスA300ロッキード コンステレーション機などが集められたが、その後の動きは特になく、機体は飛行場に置かれたままとなっている[6]。このうちコンステレーション機は1960年代に存在した航空会社である韓国航空の塗装がなされているが、実際に韓国航空が使用した機体ではなく、別の同型機に当時の塗装を施したものである。

事件・事故[編集]

  • 1990年9月9日午前10時頃、飛行場を離陸後、済州島の南海上を飛行していたPA-34訓練機が空中で爆発、海に墜落した[7]
  • 1991年3月20日午後4時30分頃、飛行場を離陸後、済州島上空を飛行していたPA-42訓練機が済州島の山中に不時着した[8]

脚注[編集]

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  1. ^ 李東翰「제주 대한항공 민간 비행장 개장」『朝鮮日報』第24146号、1998年8月28日、27面。
  2. ^ 부산지방항공청고시고시제1998-14호「비행장명칭변경」『관보』第13932号、1998年6月17日、30ページ。
  3. ^ 塚﨑昌之「済州島における日本軍の「本土決戦」準備――済州島と巨大軍事地下施設」『青丘学術論集』第22集、韓国文化研究振興財団、2003年、287ページ。
  4. ^ 張昇洪「[기동취재]〝소음…畜産장애…水害우려 住民반발〟――KAL 済州훈련장 확장 암초에――점보機 이착륙 규모 내년 완공――千명 反対서명‥‥ 정부선 〝무마조건부 허가〟」『朝鮮日報』第20922号、1989年4月1日、16版、13面。
  5. ^ 張昇洪「대한항공 훈련비행장 주민반대로 확장유보」『朝鮮日報』第20930号、1989年4月12日、15版、13面。
  6. ^ 大路聡「韓国の展示機ガイド第5回 静石飛行場のコニーと済州島の展示機+α編」『航空ファン』2008年11月号(第57巻第11号・通巻671号)、文林堂、68-70ページ。
  7. ^ 張昇洪「KAL훈련機 空中폭발――済州서 바다추락――6인승…… 실종 2명 숨진듯」『朝鮮日報』第21393号、1990年9月10日、15版、15面。
  8. ^ 張昇洪「비행훈련機 숲속 추락」『朝鮮日報』第21579号、1991年3月21日、15版、22面。