革命的議会主義

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革命的議会主義(かくめいてきぎかいしゅぎ)とは、共産主義者による用語の一つで、本来は議会主義を否定して暴力革命を掲げる党派が、革命情況作りや組織宣伝のため議会闘争をおこなうこと[1]

概要[編集]

1914年、レフ・トロツキーは論文『議会主義と労働者階級』で、アナーキストによる議会に対するボイコット主義を批判し、扇動目的での議会戦術を主張した。

現代の立憲国家ないし議会制国家は、文明諸国において王権絶対主義、すなわち君主とその官僚の無制限の権力と交替して登場した。(中略)ロシア・ブルジョアジーにとっての議会は人民の意志の機関ではなく、旧体制の勢力と合意に達するための便利な舞台にすぎないということは、完全な明確さをもって暴露されている。(中略)ロシア社会民主党は、議会制度に対する関係において、3つの段階を経てきた。それらは、古い議会制諸国の労働者運動の歴史にも確認することができる。
まず最初に、ボイコット主義、すなわち議会活動の拒否。それは、大衆にとって、革命を清算しようとして議会(ないしその幻影)にしがみついているブルジョアジーと一線を画す最も簡単で手ごろな形態である。
次に、議会戦術の原則的承認。ただし純煽動的目的でのそれ。これは、「組織的」活動、すなわち改良のための直接的闘争を、ユートピア的なものとして、ないし日和見主義的なものとして、拒否する。
最後に、第3段階として、労働者大衆が直接的闘争を遂行している当面の諸要求を国会の演壇に持ち込むこと。党の国会議員団は、単に宣伝を行なう集団から、階級運動の戦闘的な政治組織になる。

(中略)第1段階 - ボイコット主義 - の場合、無政府主義的な受動性に堕落する危険があり、また、第2段階 - 純粋な煽動 - の場合には、議会活動がエセ革命的教条主義に陥る危険性があるとすれば、第3段階においては、改良主義日和見主義に陥る危険性が生じる。

— レフ・トロツキー『議会主義と労働者階級』[2]

1920年 コミンテルン第二回大会で決議された「共産党と議会に関するテーゼ」では、「帝国主義によって行われた荒廃、掠奪、暴力、盗奪、破壊に直面して、秩序と耐久性と系統とに欠ける議会的改良は、労働者階級にとってはもはや一切の実際的意義を持たない」「この機関を支配階級の手からもぎとり、それを破壊し、全廃し、そのあとに新しいプロレタリアートの権力機関を置き換えることが、労働者階級の当面の歴史的任務である。」としながらも、「同時に、しかしながら労働者階級の革命的参謀本部は、この破壊事業を容易にするために、ブルジョワジーの議会諸機関の内部に偵察部隊を持つことに強い関心をもつものである。ここから、革命的目的で議会に入っていく共産主義者の戦術と、社会主義的議会主義者のそれとの根本的な相違が生まれる。」「共産党がこの制度の中にはいるのは、議会の中でその一部としての機能を果たすためではなくて、議会内の行動によって、国家機関と議会そのものを打ち砕くために大衆を援助するためである」「議会内活動は、全体として、かつ完全に、議会外の大衆闘争の目的と任務に従属さるべきである。」と共産党のブルジョア議会に対する態度を定式化した。

日本[編集]

日本では、1950年代に日本共産党が武装闘争路線の際にも議会闘争を継続した。また1987年4月の第11回統一地方選挙では、中核派第四インター日本労働党など新左翼系の15党派が市町村区議選を中心に74名の候補者を立て、34名が当選して注目された[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集 三訂」(警備研究会、立花書房、2008年)p134
  2. ^ レフ・トロツキー『議会主義と労働者階級』

関連項目[編集]