韓国鉄道日本製動車

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韓国鉄道日本製動車
鉄道博物館に保存されている672
鉄道博物館に保存されている672
基本情報
運用者 韓国鉄道庁
製造所 新潟鐵工所近畿車輌日本車輌製造川崎重工業
製造年 1961年 - 1975年
製造数 159両
運用開始 1961年
運用終了 1997年
廃車 1997年1月31日
主要諸元
編成 1両 - 5両編成
軌間 1,435 mm
設計最高速度 100 km/h
車両定員 126人(1961年 - 1963年製)
132人(1966年 - 1968年製)
174人(1975年製)
車両重量 37 t
全長 21,500 mm
車体長 20,809 mm
全幅 3,055 mm
車体幅 2,983 mm
全高 3,885 mm
車体高 3,730 mm
車輪径 860 mm
機関 DMH17H(1,500 rpm)(登場時)
Cummins N855R(交換後)
機関出力 132.4 kw(180 HP)(登場時)
154.5 kw(210 HP)(交換後)
変速機 DBG115(トルクコンバータ
歯車比 2.784
出力 264.8 kw(360 HP)(登場時)
308.9 kw(420 HP)(交換後)
制動装置 空気ブレーキ、手ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3]に基づく。
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韓国鉄道日本製動車(かんこくてつどうにほんせいどうしゃ)(朝鮮語: 통근형 디젤 액압 동차)は、かつて韓国鉄道庁が所有していた、新潟鐵工所を始めとする日本の鉄道車両メーカーが製造を手掛けた気動車の総称。大韓民国成立後初めて新製された気動車であり、製造メーカーにちなみ新潟動車朝鮮語: 니가타 동차)、川崎動車朝鮮語: 가와사키 동차)とも呼ばれた[注釈 1][4][2][5]

導入までの経緯[編集]

1945年8月15日の第二次世界大戦終戦の時点で朝鮮半島には日本統治時代に導入された気動車が60両存在していたが、そのほとんどは戦時中の酷使により老朽化が進み、更に朝鮮戦争による被害から1950年代末期には6両のみが使用可能と言う状態に陥った。それ以降はICAの支援を受けて既存車両の復旧が進んだ一方、1961年から始まった動力近代化施策により短距離運転に適した気動車の需要が高まった。それを受け、1961年12月に導入された2両を皮切りに日本各地の鉄道車両メーカーによって製造・輸出が行われたのが一連の日本製気動車である[1][4][5]

概要[編集]

貫通扉を中央に配する前面を持つ両運転台の車体を有する車両で、日本国有鉄道向けに製造されたキハ52形気動車を基に設計が行われた。座席は車体中央部がボックスシート、運転台寄りがロングシートとなっており、満員時の立席定員の便が図られた。また車内には便所の他床下機器の配置の都合から水タンクも設置されていた。2箇所設置された乗降扉は折り戸式で、低床式プラットホームに対応するため2段のステップが備わっていた。なお1966年以降製造された車両は扉が2枚折り戸から1枚引き戸に変更された他、乗降扉近くに設置されたクロスシートの一部がロングシートに改められた事で定員数が増加した[1][6]

機関や変速機、制御装置についてもキハ52形と同様の機器を用い、床下には新潟鐵工所製のDMH17Hが2基設置されそれぞれボギー台車のうち1軸を駆動させる構造となっていた。その一方で変速機の変速-直結間への切り替えは自動変速装置により自動的に行われるようになっていた他、変速クラッチと直結クラッチが同時にかかるコンバータブレーキ、セルモーターの故障蓄電池の容量不足の際に他の車両からの機関で装置を動かすことができる逆起動装置など、韓国側の要望により製造当時の日本の鉄道車両で採用されていない最新技術が多数採用された。台車は日本国有鉄道で標準的に採用されていたDT22A形を基に標準軌向けに設計されたものを用いた[1]

通常の旅客営業に用いる車両に加え、最初に製造された2両(201・202)をはじめ11両は鉄道庁や政府の要員を輸送するVIP用特別車両として製造され、それらの一部は後年に旅客車両への格下げ改造が施された。また、韓国鉄道庁以外にも1975年には浦項市の浦項総合製鉄(現:ポスコ)の専用鉄道へ向けて新潟鐵工所製の車両が2両製造されたが、これらは片運転台・オールロングシートと仕様が異なっていた[2][5][7]

各車両の製造年、車両番号および製造所は以下の通りである[8]

製造年度 製造両数 車両番号
(登場時)
製造所 補足
1961年度 9両 201-209 新潟鐵工所 韓国政府保有外貨資金を使用
1962年度 7両 210-216
1963年度 52両 251-276
301-326 近畿車輌
1966年度 2両 551-552 日本車輌製造 韓国政府保有外貨資金を使用
85両 277-296 近畿車輌 日本政府開発援助を使用
327-351 新潟鐵工所
401-405 川崎重工業
501-510 日本車輌製造
701-725
1969年度 2両 1001-1002 日本政府開発援助を使用
事業用車両
1975年度 2両 511-512 新潟鐵工所 浦項総合製鉄向け

付随車[編集]

動力車不足を補うため、1965年から1968年にかけて韓国鉄道庁が所有していた仁川工作廠で33両の付随車が日本製動車への増結用車両として製造された。車体はピドゥルギ号向け客車と同じ構造で座席配置はオールロングシートであった。1965年に製造された4両は両開きの乗降扉が両端に2箇所設置された一方、1966年1968年製の29両は中央部に乗降扉が増設された。主要諸元は以下の通りである[2][9]

車両番号(製造時) 製造年 全長 全幅 全高 自重 着席定員 軌間 備考
19401-19404 1965年 21,100mm 31t 69人 1,435mm
19411-19439 1966年 - 1968年 21,100mm 35t 70人 1,435mm

運用[編集]

1961年に最初の車両が導入されて以降、浦項総合製鉄向けの2両を含め1975年までに159両が製造された。当初はソウル近郊の路線で活躍し、ソウル駅 - 東仁川駅駅の所要時間をそれまでの客車列車の55分から10分短縮させたが、1974年から電化が始まって以降は韓国各地の地方路線へ転出していった。主に普通(ポトン)1983年12月23日以降ピドゥルギ号へ改称)で使用されたが、1985年9月以降9両(501 - 509)が座席を転換式クロスシートへ改造しトンイル号へ転用された。1992年10月1日に実施された気動車の車号改正以降[注釈 2]、トンイル号用車両は9501形[注釈 3]、ピドゥルギ号用車両は9601形という形式名となっていた[4][10][5]

単行運転から連結運転まで様々な編成が組まれた他、1965年以降は付随車を増結した列車も登場し、2両の気動車の間に3両の付随車を挟んだ最大5両編成による営業運転も行われた。しかし、付随車の連結などによる酷使に伴いトラブルが頻発したため1973年以降エンジンがカミンズ製のN855R(210HP)に交換された他、20両はエンジンを撤去し付随車として使用された[2][4][10]

導入された全159両のうち49両は事故で廃車となり、うち8両は前述のエンジンの酷使による過熱から生じた火災が原因であった。残った車両は以降も韓国各地で活躍したが、1980年代以降は老朽化による廃車が進み1992年時点で35両にまで減少した。トンイル号用の9501形は1995年3月をもって運用が消滅し、1両(9505)のみピトゥルギ号用に格下げされたが、それを含む残りの車両も1997年初頭に引退した。最後の現役車両となった9654が廃車されたのは同年の1月31日である[11][4][10]

保存[編集]

2019年現在、鉄道博物館に672(1963年・新潟鐵工所製)と9601(1966年・川崎重工業製)が保存されている。うち672はピドゥルギ号時代の塗装で静態保存されている一方9601は屋外で保存されており、2012年の時点では動態保存運転が実施されていたが2019年現在保存運転は休止されている。なおこの9601はVIP用特別車両として製造された車両である[12][13]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 川崎重工業製造の5両(401-405)は"川崎動車"、それ以外の車両は製造メーカーを問わず"新潟動車"と呼ばれていた。
  2. ^ セマウル号に車両番号の枠を明け渡すため(元番+9000)。当時の韓国鉄道庁では車両(殊に動力車)の改番は頻繁に行われた
  3. ^ 1996年4月1日同一形式を有する気動車が営業運転を開始したため、"9501形"としては初代にあたる。

出典[編集]

参考資料[編集]

  • 中田廣、山田俊英 『韓国の鉄道 100周年を迎える隣国の鉄道大百科』 JTB、1997年12月。ISBN 4-533-02943-4。 
  • やまだトシヒデ 『ポケット図解 韓国鉄道の今と昔をとことん楽しむ』 秀和システム、2012年3月22日。ISBN 4798032735。 
  • 철도차량기술검정단 한국철도차량 100년사 편찬위원회 편찬 (1999-8). “1.5 내연동차 (INTERNAL COMBUSTION ENGINE RAIL CAR)”. 한국철도차량100년사. 철도차량기술검정단. pp. 231-304.