飛行教導群
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飛行教導群 Tactical Fighter Training Group | |
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![]() 飛行教導群のF-15DJ(2014年) | |
創設 | 1981年(昭和56年)12月17日 |
所属政体 |
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所属組織 |
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所在地 | 石川県小松基地 |
編成地 | 福岡県築城基地 |
上級単位 | 航空総隊 → 航空戦術教導団 |
飛行教導群(ひこうきょうどうぐん、英称:Tactical Fighter Training Group)とは航空自衛隊における仮想敵機部隊(いわゆるアグレッサー部隊)のことである。 要撃機パイロットの技量向上などを目的とし、航空自衛隊の戦闘機パイロットの中でも特に傑出した戦闘技量を持つパイロットが配属されている。主に各戦闘機部隊について巡回指導を行っている。
概要[編集]
要撃機パイロット・要撃管制官の技量向上などを目的として、1981年(昭和56年)12月17日に築城基地にて編成された。当初の使用機種は冷戦時の東側諸国の代表的戦闘機であるMiG-21に比較的飛行特性が似ていて、シルエットも小さいT-2が選ばれた。築城基地が選ばれた理由として、当時同基地に所属する第6飛行隊には、同じ機体T-2がベースになっているF-1が配備されており、運用面の負担軽減が考慮されたと言われている。
その後、訓練空域に近く天候も安定している点から、1983年(昭和58年)3月16日に宮崎県の新田原基地に移動する。 1980年代後半、飛行教導隊所属のT-2高等練習機が機動中に空中分解するなどの重大事故が頻発した。練度の高いパイロットが運用するとはいえ、格闘戦能力に圧倒的に優れるF-15Jなどを相手にしての訓練は、本来T-2の想定外であったため安全対策上も考慮され、空幕は1989年以降使用機種をF-15J/DJに更新することを決定し、1990年(平成 2年)12月17日にF-15DJに機種更新した。
F-15への機種更新当初は、安全上の監視態勢の観点から複座型のF-15DJが配備されていたが、2000年(平成12年)以降は単座型のF-15Jも少数機配備されている[1]。
2014年(平成26年)、空自教導部隊等を一括指揮する「航空戦術教導団」の新編に伴い、同隷下。隊編成から群編成となり、「飛行教導群」に改称。飛行隊と整備隊の2個隊を改新編し隷下部隊とした。
2016年(平成28年)6月10日、長年ホームにしていた新田原を離れ、小松基地に移駐した。
T-2時代は、視認性を低く抑え、またソ連の戦闘機の塗装や機番の表記特徴を模した塗装になっていたが、F-15に機種更新してからは、一転して空中での識別を容易にするため、また仮想敵の役割(戦闘機か戦闘爆撃機か)によって、様々な塗装を施している[2]。
飛行教導群に配属されるのは、操縦技量が高いことは最大の前提条件であるが、原則として希望して配属される部隊ではなく、教導群の隊員が認めたパイロットのみ、一本釣りのような形で打診があると言われている。配属後は、飛行教導群としての訓練を重ねる事になるが、操縦技量のさらなる向上だけでなく、格闘戦の組み立て方や、指導する相手側(一般部隊)へのコーチング能力の向上が重視され、非常に理路整然と両者の操縦を判断できる能力を要求されるため、配属間もないパイロットにとっては、非常に大きな壁を感じる事もあると言われている。
また、要撃管制班は、武器(バトラー)使用等について、アグレッサーに指示を行う地上要員であり、パイロットと並んで重要な役割を担う。要撃管制班は各航空方面隊駐屯基地等に編成されている。警戒群の要撃管制官の教導にも携わる。
部隊マークのコブラは、「高い知能を持ち、一撃必殺の毒で敵を仕留め、背後の敵機の警戒も万全である」という意味がこめられている。また、パイロットが身に着けているフライトスーツのドクロのパッチは、「撃墜されたらこうなる運命」との戒めである。
沿革[編集]
- 1981年(昭和56年)12月17日 - 築城基地にて、T-2高等練習機後期型を装備する「飛行教導隊」編成[1]。
- 1983年(昭和58年)3月16日 - 新田原基地へ移動[1]。
- 1990年(平成 2年)12月17日 - F-15DJに機種更新[1]。
- 2014年(平成26年)8月1日 - 航空総隊直轄の飛行教導隊から同日付で新編された航空戦術教導団隷下の「飛行教導群」に改組[3]。
- 2016年(平成28年)6月10日 - 新田原基地から小松基地へ移動。
部隊編成[編集]
特別事項ないものは小松基地駐在
- 群本部
- 教導隊
- 総括班
- 飛行班
- 要撃管制班(入間)
- 整備隊
- 総括班
- 整備小隊
航空機整備等については第6航空団整備補給群が担当。(新田原駐屯時代は第5航空団整備補給群が担当)
歴代運用機[編集]
主要幹部[編集]
官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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航空戦術教導団 飛行教導群司令 |
1等空佐 | 鈴木繁直 | 2018年 | 3月27日中部航空方面隊司令部防衛部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 上岡陽 | 1981年12月17日 - 1983年 | 7月31日第8航空団勤務 | 航空救難団副司令 |
2 | 眞田泰穗 | 1983年 | 8月 1日 - 1985年 3月15日航空幕僚監部防衛部調査第2課 技術情報班長 |
統合幕僚会議事務局第1幕僚室勤務 |
3 | 増田直之 | 1985年 | 3月16日 - 1988年 3月15日第5航空団飛行群司令 | 警戒航空隊司令 |
4 | 杉下誠治 | 1988年 | 3月16日 - 1990年 3月15日第5航空団飛行群司令 | 北部航空方面隊司令部防衛部長 |
5 | 市来徹夫 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月15日第8航空団飛行群司令 | 中部航空方面隊司令部防衛部長 |
6 | 三輪泰彦 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 7月31日第7航空団飛行群司令 | 第83航空隊副司令 |
7 | 大久保淳 | 1994年 | 8月 1日 - 1996年 7月31日飛行教導隊勤務 | 航空総隊司令部防衛部運用課長 |
8 | 西井健樹 | 1996年 | 8月 1日 - 1997年11月30日航空幕僚監部防衛部運用課 特別航空輸送隊運用室長 |
航空総隊司令部勤務 |
9 | 鈴木孝雄 | 1997年12月 | 1日 - 1999年 7月31日北部航空方面隊司令部防衛部長 | 第2航空団副司令 |
10 | 入澤滋 | 1999年 | 8月 1日 - 2002年 7月31日第1航空団飛行群司令 | 西部航空方面隊司令部幕僚長 |
11 | 辻章嗣 | 2002年 | 8月 1日 - 2003年 7月31日航空自衛隊幹部学校勤務 | 北部航空方面隊司令部防衛部長 |
12 | 神内裕明 | 2003年 | 8月 1日 - 2006年12月 5日北部航空方面隊司令部防衛部 防衛課長 |
第13飛行教育団副司令 |
13 | 尾瀬佐一郎 | 2006年12月 | 6日 - 2009年 3月31日統合幕僚監部運用部運用第2課 運用調整官 |
中部航空方面隊司令部防衛部長 |
14 | 岩本真一 | 2009年 | 4月 1日 - 2011年11月30日第2航空団飛行群司令 | 航空総隊司令部監理監察官 |
15 | 廣島美朗 | 2011年12月 | 1日 - 2013年11月30日第5航空団飛行群司令 | 航空安全管理隊航空事故調査部長 |
末 | 芳賀和典 | 2013年12月 | 1日 - 2014年 7月31日飛行教導隊勤務 | 航空戦術教導団飛行教導群司令 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 芳賀和典 | 2014年 | 8月 1日 - 2015年11月30日飛行教導隊司令 | 航空自衛隊幹部学校主任教官 兼 航空自衛隊幹部学校勤務 |
2 | 吉田昭則 | 2015年12月 | 1日 - 2018年 3月26日中部航空方面隊司令部防衛部長 | 航空戦術教導団副司令 |
3 | 鈴木繁直 | 2018年 | 3月27日 -中部航空方面隊司令部防衛部長 |
脚注[編集]
- ^ a b c d イカロス出版 Jwing No.194 2014年10月号 36頁-41頁 「特集 空自創設60周年記念シリーズ企画第3弾!! 日本を守る主力戦闘機 やっぱり、F-15 航空自衛隊F-15部隊ガイド」松崎豊一
- ^ “コブラマークのF15は空中戦教習用 新田原基地で激写”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2008年9月15日). オリジナルの2008年9月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ 防衛省組織令の一部を改正する政令(平成二十六年七月二十四日公布政令第二百六十三号)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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