飫肥
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飫肥(おび)は、宮崎県の南部、日南市中央部にある地区。もと那珂郡飫肥村で、飫肥城を中心とした伊東氏飫肥藩5万1000石の旧城下町でもある。
江戸時代の武家屋敷町・町人町・寺町などの町並みが多く残され、市街地の八幡通り・横馬場通り・大手門通りなど7街路を含む19.8haが、文化財保護法に基づき九州・沖縄地方で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。
「九州の小京都」とも称され、多くの観光客が訪れている。
歴史[編集]
- 1587年(天正15年)豊臣秀吉により伊東祐兵がこの地に封ぜられるにおよんで、本格的に城下の整備がなされた。以後廃藩置県まで一貫して14代にわたり伊東氏が飫肥藩主を務める。
- 1950年(昭和25年)合併により日南市となる。
- 1977年(昭和52年)国(文部大臣)により九州・沖縄地方で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定される(岡山県吹屋と共に、我が国で2番目に選定された2地区のうちの一つ)。保存地区内には城下町時代の道路や地割が良好に保存され、石垣、土塀、生垣で囲まれた武家屋敷跡が残る。地区内には飫肥城跡のほか、五百禩(いおし)神社、最後の藩主伊東祐帰(すけより)が住んだ邸宅である豫章館、振徳堂(藩校)、小村寿太郎生家などがある。
重要伝統的建造物群保存地区データ[編集]
選定内容については重要伝統的建造物群保存地区を参照のこと。
主な施設[編集]
- 飫肥城跡
- 五百禩(いおし)神社(国登録有形文化財、2010年9月10日登録)
- 豫章館
- 振徳堂(藩校)
- 小村寿太郎生家
- 国際交流センター 小村(寿太郎)記念館[2]
- 高橋家住宅(旧高橋源次郎家) - 2010年に主屋や蔵等の5件が国の登録有形文化財(建造物)となり、翌年より飫肥城由緒施設として公開[3]。高橋源次郎は地元資産家高橋曽一の娘婿で多額納税者として貴族院議員となり、宮崎農工銀行頭取などを務めた[4]。娘の泰子は堀江正夫の妻で料理研究家。
- 公益財団法人服部植物研究所[5](世界で唯一の苔専門研究所。国登録有形文化財、2019年3月29日登録)
- 飫肥駅
- 飫肥郵便局
参考文献[編集]
- 参考文献
- 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 昭和61年10月 角川書店 ISBN 4-04-001450-2
脚注[編集]
- ^ 国指定文化財等データベース:日南市飫肥 - 文化庁
- ^ 国際交流センター小村記念館(飫肥城下町保存会)
- ^ 旧高橋源次郎家一般財団法人飫肥城下町保存会
- ^ 高橋源次郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 公益財団法人服部植物研究所 ホームページ
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 飫肥城下町保存会
- 宮崎県日南市飫肥の観光情報です! 日南商工会議所
座標: 北緯31度37分40.17秒 東経131度21分10.07秒 / 北緯31.6278250度 東経131.3527972度
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