馬屋原彰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

馬屋原 彰(うまやばら[1] / うまやはら[2] / まやはら[3] あきら、1844年3月31日(天保15年2月13日[3])- 1919年大正8年)1月8日[2])は、幕末長州藩士明治・大正期の法制官僚政治家貴族院勅選議員錦鶏間祗候。初名、閑助[4]・閑輔[1]。号・平舟[1]従三位勲二等

経歴[編集]

長州藩士・馬屋原良蔵の息子として生まれる[1][3]藩校明倫館で学び、後に江戸で騎兵術を修めた[1]。帰藩して選鋒隊に加わり藩世子毛利定広に従い江戸と京都間を行き来した[1]慶応2年(1866年第二次長州征討の石州口の戦いに従軍し軍功を挙げた[1][3]。慶応3年(1867年)明倫館と兵学寮の都講となった[1]

明治4年7月25日1871年9月9日)明治政府に出仕し民部省に入り民部庶務大祐に就任[4]。以後、大蔵省戸籍十一等出仕、太政官一等出仕、同大主記、左院大掌記、同少議生、五等議官、太政官少書記官、同権大書記官、参事院議官補、法制局参事官、同司法部長、行政裁判所評定官などを歴任[2][4][5]1893年3月10日に行政裁判所評定官を依願免本官となり退官した[6]

1891年12月22日、貴族院勅選議員に任じられ[7]、死去するまで在任した[2]1897年12月8日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[8]1919年1月8日薨去

栄典[編集]

位階
勲章等

著作[編集]

訳書
  • 『和蘭議員選挙法 : 1850年校定』文部省、1872年。

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『増補 近世防長人名辞典』55頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』101頁。
  3. ^ a b c d 『日本人名大事典』第6巻、7頁。
  4. ^ a b c 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』321-323頁。
  5. ^ 「従四位勲三等馬屋原彰特旨進階ノ件」
  6. ^ 『官報』第2908号、明治26年3月13日。
  7. ^ 『官報』第2546号、明治24年12月23日。
  8. ^ 『官報』第4333号、明治30年12月9日。
  9. ^ 『官報』第3838号「叙任及辞令」1896年4月18日。
  10. ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。

参考文献[編集]

  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 吉田祥朔『増補 近世防長人名辞典』マツノ書店、1976年。
  • 『日本人名大事典』第6巻、平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(昭和13年刊)の改題複製)。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
  • 内閣「従四位勲三等馬屋原彰特旨進階ノ件」明治29年。国立公文書館 請求番号:叙00040100・本館-2A-016-00