高井観海

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たかい かんかい
高井 観海
生誕 (1884-07-01) 1884年7月1日[1]
和歌山県
死没 (1953-01-09) 1953年1月9日(68歳没)
国籍 日本の旗 日本
教育 智山勧学院、智山専門学校、大正大学
出身校 智山勧学院[2]
職業 仏教僧侶
大学教授。
宗教 仏教真言宗智山派
子供 高井隆秀
高井観海
(1884-07-01) 1884年7月1日 - (1953-01-09) 1953年1月9日(68歳没)
宗旨 真言宗
宗派 真言宗智山派
井上円了
弟子 長澤實導
著作 #著作の節を参照。

高井 観海(たかい かんかい、1884年 - 1953年1月9日)は日本の仏教学者僧侶である。哲学館(現東洋大)で井上円了から仏教学を学んだ後に[2]、智山専門学校校長。大正大学教授。真言宗智山派管長。智積院55世能化。真言宗上品蓮台寺住職となる。仏教学の専門は密教学。

略歴[編集]

  • 1884年、和歌山県那賀郡根来村(現・岩出市)生まれ。
  • 1896年、単身高野山に登る。
  • 1900年、智積院中学林に入学。
  • 1909年、滋賀県宝幢院住職。
  • 1912年、智山勧学院教授。
  • 1929年、智山勧学院の移東により、智山専門学校校長。
  • 1942年、智山派集議席。
  • 1944年、智山専門学校、大正大学との合併により同大教授。自坊に引退、著述業に専念。
  • 1946年、真言宗智山派管長、智積院第55世化主に能化。
  • 1948年、智積院火災で復興に尽力したが、病で上品蓮台寺に引退。
  • 1953年、遷化

著書[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

先代:
齋藤隆現
智積院化主
第55代:1946年 - 1948年
次代:
御嶽隆道
先代:
齋藤隆現
智山派管長
第9代:1946年 - 1948年
次代:
御嶽隆道