高島四郎兵衛

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高島 四郎兵衛(たかしま しろべえ)は江戸時代長崎町年寄高島家当主の名[1]

概要[編集]

初代茂春は高島氏春の子で、良悦(了悦)と号した[1]。高島家は近江国高島郡高島庄の出身で、天正元年(1573年)に一族が離散したため父と共に肥前国藤津郡に逃れ、翌2年(1574年)に長崎に移住[2]。後に頭人(とうにん)と呼ばれる町の指導者層の1人となる[1][2][3][4][5][6][7][8]元和8年(1622年)7月12日没[1]

茂春の子・四郎兵衛茂定は宗悦と号し、元和元年(1615年)に長崎の町年寄となる[1]延宝元年(1673年)10月3日没[1]。以後、高島家の当主が長崎町年寄を世襲し、その多くが四郎兵衛を名乗った[1]

茂定の子・四郎兵衛茂卿は、寛永13年(1636年)に築造された出島の建造費用出資者である出島町人の1人に名を連ねた[1][9][10][11]島原の乱の際の長崎警備における功労により江戸で将軍徳川家光に拝謁し、時服2領と銀100枚を賜った[1]。延宝元年(1673年)8月8日没[1]

茂卿の子・四郎兵衛茂村は、延宝4年(1676年)に長崎代官末次平蔵が密貿易の咎により流罪となった後、他の町年寄達と共に代官職を代行した[1]元禄4年(1691年)11月1日没[1]

高島家の本邸は大村町にあり、広さは1024坪(『長崎名家略譜』[12][13]。幕末の砲術家高島秋帆は四郎兵衛の家系の出である[1][14]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 「高島四郎兵衛」『国史大辞典』第9巻 吉川弘文館、27-28頁。
  2. ^ a b 「長崎町」『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社、108頁。
  3. ^ 「伝統と格式を誇る『長崎町年寄』」赤瀬浩著 『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、121-123頁。
  4. ^ 『長崎県の歴史』 山川出版社、146-147頁。
  5. ^ 「町年寄」原田博二著 『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』河出書房新社、113-114頁。
  6. ^ 『長崎 歴史の旅』 外山幹夫 朝日新聞社、17頁。
  7. ^ 「町年寄」『長崎県大百科事典』 長崎新聞社、797頁。
  8. ^ 「長崎町年寄」『国史大辞典』第10巻 吉川弘文館、582頁。
  9. ^ 『長崎県の歴史』 山川出版社、178頁。
  10. ^ 原田博二著 『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』河出書房新社、42頁。
  11. ^ 『長崎 歴史の旅』 外山幹夫 朝日新聞社、24頁。
  12. ^ 有馬成甫著 『高島秋帆 人物叢書』 吉川弘文館、34-35頁。
  13. ^ 「大村町」『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社、120頁。
  14. ^ 「高島秋帆」『国史大辞典』第9巻 吉川弘文館、27-28頁。

参考文献[編集]

  • 赤瀬浩著 『「株式会社」長崎出島』 講談社選書メチエ ISBN 4-06-258336-4
  • 有馬成甫著 『人物叢書 高島秋帆』 吉川弘文館 4-642-05155-4
  • 外山幹夫著 『長崎 歴史の旅』 朝日新聞社 ISBN 4-02-259511-6
  • 原田博二著 『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』 河出書房新社 ISBN 4-309-72612-7
  • 国史大辞典』第9巻 吉川弘文館 ISBN ISBN 978-4-642-00509-8
  • 『国史大辞典』第10巻 吉川弘文館 ISBN 978-4-642-00510-4
  • 『長崎県大百科事典』 長崎新聞社
  • 『長崎県の歴史』 山川出版社 ISBN 4-634-32420-2
  • 『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社