高木壬太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかぎ みずたろう
高木 壬太郎
生誕 (1864-06-23) 1864年6月23日
遠江国川根本町(現・静岡県川根本町)
死没 (1921-01-27) 1921年1月27日(56歳没)
日本の旗 日本 東京府
国籍 日本の旗 日本
出身校 蘭学塾静岡師範学校東洋英和学校ヴィクトリア大学
職業 牧師(メソジスト派)、教育者
配偶者 梨花
子供 一三(長男)、二郎(二男)、武夫(三男)

高木 壬太郎(たかぎ みずたろう、1864年6月23日元治元年5月20日) - 1921年大正10年)1月27日)は、明治時代から大正時代にかけて活動したメソジスト派牧師、教育者である。静岡バンドのメンバー。

青山学院第4代目院長。

生涯[編集]

幼少期[編集]

1864年(元治元年)遠江国榛原郡中川根村(現在の川根本町)上長尾で、父高木龍介(通称源左衛門)・母その子 の長男として生まれる[1][2]。幼少より漢学を学ぶ。

1869年(明治2年)村の儒学者・川村半山に学ぶ[2]

1874年(明治7年)1月 智満寺にあった長尾学校に入学[2]

1877年(明治10年)

  • 長尾学校を卒業[2]
  • 10月 掛川の蘭学者岡田清直の蘭学塾に入る[3]

1878年(明治11年)3月 静岡師範学校に入学[1][3]。この静岡師範学校で、山路愛山と出会う[1]

1879年(明治12年)10月 静岡師範学校一等小学師範学科から新設の高等師範学科に転入。

1880年(明治13年)10月 山路愛山と文学雑誌『呉山一峰』を創刊[2]

1881年(明治14年)

1884年(明治17年)2月 中郷学校を退任[1]

1885年(明治18年)キリスト教宣教師F.A.カシディの説教を聞きキリスト教の求道を初める。

  • 夏頃 静岡教会員になる[1]
  • 10 月 大石梨花と結婚[1]

1886年(明治19年)10月31日 カナダ・メソジスト教会静岡教会平岩愃保牧師より山路愛山と共に洗礼を受ける[1][3][4]。静岡教会は高木の他に、今井信郎らを輩出した[5]

1887年(明治20年)6月 平岩愃保牧師が静岡教会から麻布教会(現鳥居坂教会)に転任。

1888年(明治21年)

1889年(明治22年)

  • 5月 教職試補となる[3]
  • 9月21日 妻と子を残し、上京[1]平岩愃保牧師らが創設した東洋英和学校の神学部に入学する[1]

牧師時代[編集]

1892年(明治25年)平岩愃保牧師、麻布教会牧師を退任し東洋英和学校専任校長となる。

  • 7月 平岩愃保の後任として麻布教会の3代目牧師となる[1][3]
  • 9月24日 次男の二郎誕生[1]

1893年(明治26年)

  • 6月 東洋英和学校神学課程を卒業[1][3]

1894年(明治27年)

  • 7月 按手礼を受け、日本メソジスト教会教職(正格教師)となる[1][3]
  • 11月3日 三男の武夫誕生[1]

1895年(明治28年)

1898年(明治31年)

  • 4月 ヴィクトリア大学神学部卒業[1][3]
  • 10 月 帰国[3]

1899年(明治32年)6月 中央会堂(現在の本郷中央教会)牧師となる[1]

1900年(明治33年)

  • 5月 駒込教会牧師(中央会堂と兼牧)に任命される[1]
  • 6月2日 メソジスト教会機関誌『護教』3代目主筆となる[6]

青山学院教授[編集]

1904年(明治37年)6月 麻布教会に転任し、第7代牧師となる[3]。青山学院神学部教授の兼任は継続 [3]

1906年(明治39年)10月 ヴィクトリア大学神学部より日本人初の名誉神学博士号を授与された[4]

1907年(明治40年)

  • 4月 麻布教会牧師を退任。青山学院専任教授となり、新約神学を講る。[1]
  • 5月 『護教』3代目主筆を辞任[6]

1911年(明治44年)

  • 10月 メソジスト教会機関誌『護教』の5代目主筆となる[1][3]
  • 11月 『基督教大辞典』を刊行。

1912年(明治45年)第2次西園寺内閣の時に、床次竹二郎内務事務官の主催により、三教合同が開催された。高木、柏木義円内村鑑三、明石繁太郎らはこの会合に反対した[7]

1913年(大正2年)5月 小方仙之助の後をついで青山学院第4代目院長に就任する[1][3][4]

1914年(大正3年)4月 『護教』の主筆を退任[1][3]

1920年(大正9年)

  • 1月1日 『護教』が『教界時報』と改題され委員長に就任[6]
  • 青山学院大学設置計画を発表。キリスト教主義大学の設立事業の実現に向けて全力を傾ける[3]

1921年(大正10年)1月27日 病気のため霊岸島病院で召天[1][3][4]

親族[編集]

著書[編集]

  • 『心の写真 MENTAL PHOTOGRAPHY』(1888年3月)
  • ジョン・ウェスレー伝』(警醒社書店、1903年11月)[9]
  • 『基督教的品性』(教文館、1903年12月)[10]
  • 『宗教小観』(教文館、1904年3月)[11]
  • 『基督教安心論』(梁江堂、1908年2月)[12]
  • 『基督教大辞典』(警醒社書店、1911年11月)[13]
  • 『八木翁紀念帖』(教文館、1913年3月)
  • 『生活と宗教』(警醒社書店、1914年)[14]
  • 本多庸一先生遺稿』(日本基督教興文協会、1918年)[15]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 司, 川崎「高木壬太郎(たかぎみずたろう)の足跡をたどって : 1889年〜1898年」『聖学院大学論叢』第15巻第1号、2017年9月13日、 37–54、 ISSN 0915-2539
  2. ^ a b c d e 図説 中川根の歴史. 中川根町史編さん委員会. (2002年11月2日). pp. 30-31. 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 鳥居坂教会百年史. 日本基督教団鳥居坂教会. (1987年11月15日). pp. 87-88. 
  4. ^ a b c d 静岡教会一二五年史. 日本基督教団静岡教会. (2009年7月31日). p. 43. 
  5. ^ 高橋2003、66頁
  6. ^ a b c 澤田奏紳 (2006年7月25日). 日本メソヂスト教会史研究. 日本基督教団出版局. pp. 298-308. 
  7. ^ 高橋2003、192-193頁
  8. ^ a b c 明治初期の静岡. 可美古業書刊行会. (1989年7月30日). p. 111. 
  9. ^ ジョン・ウェスレー伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  10. ^ 基督教的品性 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  11. ^ 宗教小観 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  12. ^ 基督教安心論 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  13. ^ 基督教大辞典 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  14. ^ 生活と宗教 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。
  15. ^ 本多庸一先生遺稿 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2019年5月20日閲覧。

参考文献[編集]

  • 警醒社編『信仰三十年基督者列伝』,「故高木壬太郎氏略歴」
  • 高橋昌郎「帝国憲法発布まで」『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年2月10日。ISBN 4-642-03752-7。
  • 守部喜雅「47都道府県それぞれの物語」『日本宣教の夜明け』いのちのことば社〈マナブックス〉、2009年4月20日。ISBN 978-4-264-02638-9。
  • 静岡教会一二五年史』日本基督教団静岡教会、2009年7月31日
  • 『鳥居坂教会百年史』日本基督教団鳥居坂教会、1987年11月15日
  • 澤田奏紳『日本メソヂスト教会史研究』日本基督教団出版局、2006年7月25日
  • 『明治初期の静岡』可美古業書刊行会、1989年7月30日
  • 『図説 中川根の歴史』中川根町史編さん委員会、2002年11月2日