高橋敬緯子

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たかはし けいこ
高橋敬緯子
Takahashi Keiko.png
高橋敬緯子
プロフィール
公称サイズ(1955時点)
身長 / 体重 166 cm / 55 kg
BMI 20
スリーサイズ 86 - 64 - 89 cm
活動
ジャンル ファッション
備考 ミス・ユニバース1955 第5位入賞
事務所 NDK
モデル: テンプレート - カテゴリ

高橋 敬緯子(たかはし けいこ)は、日本のファッションモデル。1955年ミス・ユニバース・ジャパンであり、同年7月にカリフォルニア州ロングビーチで行われたミス・ユニバース1955(第4回世界大会)に出場し、第5位に入賞した。

経歴・人物[編集]

1955年、20歳のとき[1]東京代表として[2]ミス・ユニバース・ジャパンに応募。優勝し、国を代表して世界大会に出場する権利を得る。この時の体重は54キロ、スリーサイズは85-56-86と報道されている[3]

写真家・林忠彦は日本代表選考会の様子を撮影、「バヤリース・フオトコンテスト」に組写真「日本代表誕生」を応募、一等入選。その特典として高橋敬緯子とともに渡米、ミス・ユニバースの取材の他全米各地の写真を撮影した[4][5]

1955年7月、カリフォルニア州ロングビーチで行われたミス・ユニバース1955(第4回世界大会)に出場し、第5位に入賞した[6]。このときは166センチ、55キロ。86-64-89[7]

1956年11月28日、馬場祥江らと共に大阪市中央区道頓堀の文楽座でネッカチーフのショーに出演[8]。1956年12月、弘前市でのイベントに招待され、その足で喫茶店「万茶ン」に立ち寄ったと記録に残っている。店主・香西慶子の祖母の弟にロサンゼルスでは世話になったと告げたところ、驚かれた[9]

その後、2年ほどNDKに所属しファッションモデルとして活動した後、1957年5月、第一物産[10]社員と結婚した[3](夫は後に三井物産の社員を経て常務となった)。1959年当時、夫と共に東京都内の公団住宅に住んでいた[3]1974年時点で14歳の娘があり、家族3人でニューヨークに住んでいた[11]。その後、夫は常務を退き、2015年に86歳で死去。敬緯子は告別式で喪主を務めた[12]

脚注[編集]

  1. ^ 相沢正夫『数字雑学事典』毎日新聞社、1977年4月5日、90-91頁。NCID BA75766185
  2. ^ 「ミス・ユニバース ミス・ワールド 日本大会の足跡」『週刊サンケイ』第8巻第29号、産業経済新聞社、1959年7月10日、 70頁、 doi:10.11501/1809539
  3. ^ a b c 「高橋敬緯子」『週刊サンケイ』第8巻第29号、産業経済新聞社、1959年7月10日、 38頁、 doi:10.11501/1809539
  4. ^ 林義勝 (2015年8月17日). “林忠彦写真集「AMERICA1955」発売中!”. jps.gr.jp. 公益社団法人日本写真家協会. 2021年4月22日閲覧。
  5. ^ 林忠彦プロフィール”. fotonoma.jp. 富士フィルム株式会社. 2012年7月12日閲覧。
  6. ^ 1955”. pageantopolis.com. 2012年2月7日閲覧。
  7. ^ 鈴木義一郎『情報量規準による統計解析入門』講談社、1995年、154頁。ISBN 978-4-06-153935-8。
  8. ^ 「ネッカチーフ・ショウ 大阪でY・N・Sが開催」『装粧品新聞』第104号、財団法人日本装業会、1956年12月15日、 8頁。
  9. ^ 突然現れたミス日本 (PDF)”. 弘前市土手町: 万茶ン. 2004年8月7日閲覧。
  10. ^ 財閥解体の時期における旧三井物産系の中心会社
  11. ^ 「23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?」『週刊朝日』第79巻第20号、朝日新聞社、1974年5月3日、 139-143頁。
  12. ^ 「辻暎一郎氏が死去 元三井物産常務」『日本経済新聞』、2015年7月18日。