高濱卓也

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髙濱 卓也
千葉ロッテマリーンズ #127
2012marines takahama.jpg
千葉ロッテ時代(2012年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 (1989-07-06) 1989年7月6日(31歳)
身長
体重
184 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2011年5月24日
年俸 1,000万円(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手内野手育成選手)。右投左打。

北海道日本ハムファイターズに所属する高濱祐仁内野手は実弟。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることもある。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

福岡県で出生後に佐賀県佐賀市へ転居。佐賀市の北小ジュニアソフトボールクラブでソフトボール、小学校4年時に北川副少年野球団で軟式野球を始める。佐賀市立城南中学校では軟式野球部で主に投手を務め、打撃でも硬式球より飛びにくいとされる軟式球で推定飛距離130 mの本塁打を放つなど活躍した。

当初は佐賀県内の高校への進学を希望していたが、高濱の出場した試合を横浜高校硬式野球部監督(当時)の渡辺元智が観戦していたことをきっかけに横浜高校へ進学。入学後に内野手へ転向すると、1年時から1番打者としてレギュラーの座を確保した。2年時の夏には、第78回選抜高等学校野球大会に「3番・遊撃手」として出場。1学年先輩の福田永将佐藤賢治とのクリーンナップで、土井健大を擁する履正社高校大嶺祐太を擁する八重山商工斎藤佑樹を擁する早稲田実業高校尾藤竜一を擁する岐阜城北高校などを破った末に優勝した。夏の第88回全国高等学校野球選手権大会でも阪神甲子園球場に登場したが、中田翔を擁する大阪桐蔭高校の前に初戦で敗退。3年時の夏には選手権神奈川大会準決勝で菅野智之擁する東海大相模高校に敗れた。ちなみに、実弟の祐仁も、自身の卒業後に横浜高校へ進学。渡辺の指導を、孫で同級生の渡邊佳明などと共に受けている。

打球を広角へ打ち分けられる打力、下級生時から中心選手として活躍した実績、俊足、強肩、高い野球センスを持ち合わせることから、『速報!甲子園への道』(ABCテレビ制作の選手権地方大会ダイジェスト番組)では、当時「高校ビッグ3」と呼ばれた中田・佐藤由規唐川侑己に並ぶ格好で「高校四天王」の1人に数えられていた。実際には、対外試合で通算18本塁打を放った一方で、両膝を痛めることが相次いでいた。

2007年のNPB高校生ドラフト会議では、1巡目で阪神タイガース横浜ベイスターズから指名された。阪神は中田、横浜は佐藤への独占交渉権を指名重複による抽選で逃していたが、高濱への再指名でも重複。抽選の結果、阪神が交渉権を獲得したため、後に契約金8,000万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は36

阪神時代[編集]

阪神時代(2009年7月15日)

2008年には、高校時代から繰り返している膝の故障によって、春季キャンプから別メニューでの調整が続いた。シーズンに入ってからも公式戦での出場機会はなく、首脳陣からは、外野手としての起用で膝への負担の軽減と出場機会の増加を図ることも検討された。

2009年には、ウエスタン・リーグ公式戦28試合に出場。通算の打率は.198で、三振数(17)が打席数(31)の半分近くに達していたものの、出塁率.306を記録した。守備面では、本来のポジションである遊撃手としての出場が2試合にとどまる一方で、10試合で外野を守った。

2010年には、ウエスタン・リーグ公式戦39試合に出場すると、打率.195, 出塁率.241をマーク。守備では主に遊撃手として起用されたが、32試合で8失策を記録した。シーズン終了後に背番号を66へ変更したが、後述する事情から、実際に着用したのは1ヶ月ほどだった。

2011年には、春季キャンプのスタートを二軍で迎えながら、キャンプ中に開かれた一・二軍合同の紅白戦3戦で9打数6安打と活躍。この試合を境に一軍へ帯同する[1]と、キャンプ後に出場したオープン戦を含めて、実戦6試合で14打数8安打を記録した[2]

ロッテ時代[編集]

2011年オープン戦期間中の3月1日に、千葉ロッテマリーンズへの移籍が発表された。前年に小林宏之国内FA権の行使を経てロッテから阪神へ移籍したことに伴う人的補償措置[3]で、移籍当初の背番号は00[4]

小林の移籍をめぐっては、FA権の行使に関するNPBの規定で、移籍先の阪神にロッテへの補償義務が発生。ロッテでは当初、金銭による補償や、阪神が設定する保有選手のプロテクトリスト(28人)から外れた投手での人的補償を求めることを検討していた[5][6]。その一方で、前年までの正遊撃手だった西岡剛MLBミネソタ・ツインズへ移籍したほか、正三塁手の今江敏晃が故障。このような事情で内野陣の層が薄くなっていたことから、春季キャンプから活躍していたにもかかわらず、チーム事情で阪神のプロテクトリストから外れていた高濱に白羽の矢を立てた[7]

移籍後に迎えた2011年のレギュラーシーズンでは、西岡から正遊撃手の座を引き継いだ荻野貴司の故障離脱や、荻野の離脱後に遊撃手として起用された高口隆行細谷圭の打撃の低調などを背景に、5月24日の対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に「2番・遊撃手」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー。4回表の第2打席で福井優也から一軍公式戦初安打を記録したことを皮切りに、2安打を放った。5月25日には、甲子園球場での対阪神戦に移籍後初めて出場。7回表に先頭打者として二塁打を放った後に、今江の適時打で本塁へ生還した。6月7日に出場選手登録をいったん抹消されたが、シーズン終盤の9月11日に再び登録されると、「9番・遊撃手」としてのスタメンや代打に起用された。

2012年には、イースタン・リーグ公式戦で内野の全てのポジションでの試合出場を経験するとともに、リーグの規定打席へ到達。リーグ5位の打率.301を記録したが、一軍公式戦では通算2試合の出場で3打数ノーヒットだった。

2013年には、根元俊一早坂圭介の故障をきっかけに、シーズンの途中で一軍へ昇格。一軍公式戦では2年振りの安打を放ったものの、10日ほどで二軍に逆戻りするなど、6試合の出場にとどまった。イースタン・リーグ公式戦では、前年と同じく、内野の全ポジションに起用。最終規定打席へ到達すると共に、リーグ13位の打率.283を記録した。

2014年には、イースタン・リーグ公式戦で、主に遊撃手として起用されながら73試合に出場。打率.355で首位打者、出塁率.438で最高出塁率のタイトルを獲得するとともに、リーグの技能賞も受賞した。一軍公式戦にも36試合の出場で、打率.232、7打点をマーク。

2015年には、レギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えながら、イースタン・リーグの公式戦では前年に続いて開幕から好調。一軍には後半から合流したものの、公式戦33試合の出場で打率.286、2打点を記録した。10月4日には、ロッテ移籍後から2年間交際してきた一般女性と結婚した[8]

2016年には、プロ入り後初めて開幕一軍入りを果たすと、3月25日に北海道日本ハムファイターズとの開幕戦で「2番・三塁手」としてスタメンに抜擢。4月15日から札幌ドームで催された同カードの3連戦では、同日の第1戦8回表に榎下陽大から一軍公式戦初本塁打、17日の第3戦延長10回表に決勝打を放った。同月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦試合前のフリー打撃練習中にギックリ腰を発症した[9]ため、1ヶ月にわたって戦線離脱を余儀なくされたが、5月20日に一軍へ復帰してからも好調をキープ。6月3日の対広島東洋カープ戦では3安打4打点[10]、同月9日には古巣・阪神戦(いずれもQVCマリンフィールド)での初本塁打を記録した[11]。同月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)でも「2番・三塁手」としてスタメンで出場することが発表されていたが、試合前の打撃練習後に強い腰の張りを訴えたため急遽欠場する[12][13]と、翌27日に出場選手登録を再び抹消された。後半戦では調子を落としたため、一軍公式戦での通算打率は.215にとどまったが、53試合の出場で3本塁打、13打点をマーク。勝負どころの打席で適時打を何度も放ったことも球団に評価されたため、シーズン終了後には、背番号を「チームの出世番号」とされる32へ変更した[14]。その一方で、推定年俸1,450万円で契約を更改した直後の記者会見では、「1,220万円」と報じられていた前年(2015年)の年俸を950万円に訂正したことを皮切りに、阪神時代から年俸が実額より高く推定されていたことを指摘した[15]。なお、シーズン中に再三悩まされた腰の痛みについては、椎間板ヘルニアに起因することが後に判明している。

2017年には、春季一軍キャンプ中の練習試合から、主に一塁手として起用された。一軍公式戦には、8月から28試合に出場。20試合で一塁、9試合で三塁、1試合で二塁を守ったものの、遊撃を守る機会はなく[16]、打撃面でも打率.171と低迷した。

2018年には、シーズンの終盤に一軍公式戦10試合へ出場しただけで、シーズンの大半を二軍で過ごした。もっとも、打撃フォームの改造に着手した[17]結果、イースタン・リーグ公式戦では99試合の出場で打率.306、4本塁打、29打点という好成績を残した。

2019年には、根元の現役引退(二軍コーチ就任)によってチームに左の代打要員が不足したことから、代打に専念することを決意[17]。オープン戦の前半までは代打で好成績を残したものの、レギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えた。イースタン・リーグ公式戦ではスタメンに起用されることが多かったが、5月9日の対西武戦(埼玉県営大宮公園野球場)で、一軍公式戦にシーズン初出場。同点で迎えた延長11回表1死2塁からの代打起用で、勝ち越しの二塁打を放ったことによってチームの勝利に貢献した[18]。同月11日の対ホークス戦では代打で途中出場し、一軍では8年ぶりに遊撃手を守った。しかし、チーム事情や腰痛の影響もあり、5月20日に登録抹消されるとそのまま一軍に昇格する事がなくシーズンを終えた。結局一軍では全て代打で出場し、打率.286を記録したが、10月3日に球団から支配下選手契約の解除を通告[19]、12月2日にはNPBの規定で自由契約選手として公示された[20]が、実際には11月26日に育成選手として契約を更改した[21]うえで、12月6日に腰の手術(全内視鏡下腰椎椎間板ヘルニア摘出術)を受けた[22]。育成選手としての背番号は127[23]。この年には、日本ハムに在籍する実弟の祐仁も、支配下選手契約の解除通告を受けた[24]後に育成選手契約へ移行している[25]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2011 ロッテ 19 56 48 4 10 1 0 0 11 0 0 0 7 0 1 0 0 21 0 .208 .224 .229 .454
2012 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2013 6 14 14 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .214 .214 .214 .429
2014 36 78 69 12 16 1 3 0 23 7 0 1 3 0 6 0 0 11 1 .232 .293 .333 .627
2015 33 45 42 5 12 2 0 0 14 4 0 0 2 0 1 0 0 11 0 .286 .302 .333 .636
2016 53 158 144 19 31 6 0 3 46 13 0 0 6 0 8 0 0 30 2 .215 .257 .319 .576
2017 28 38 35 1 6 2 0 0 8 1 0 0 0 0 3 0 0 6 4 .171 .237 .229 .465
2018 10 12 12 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .250 .250 .250 .500
2019 8 7 7 0 2 2 0 0 4 3 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .286 .286 .571 .857
通算:9年 195 411 374 42 83 14 3 3 112 28 0 1 18 0 19 0 0 88 8 .222 .260 .299 .559
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2011 ロッテ - - 3 0 5 1 0 .833 14 15 34 2 9 .961
2012 - - 1 2 0 0 0 1.000 -
2013 - 6 16 9 0 2 1.000 - -
2014 19 78 9 1 5 .989 6 14 20 1 4 .971 9 8 10 0 0 1.000 -
2015 24 63 5 0 2 1.000 2 3 1 0 1 1.000 9 10 12 2 2 .917 -
2016 19 54 4 0 4 1.000 7 7 8 0 1 1.000 37 25 54 4 4 .952 -
2017 20 60 6 0 3 1.000 1 1 1 0 0 1.000 9 5 7 1 1 .923 -
2018 - - 2 0 1 0 0 1.000 -
2019 2 0 0 0 0 ---- 1 0 0 0 0 ---- 1 0 1 0 0 1.000 1 0 3 0 0 1.000
通算 84 255 24 1 14 .996 23 41 39 1 8 .988 71 50 90 8 7 .946 15 15 37 2 9 .963
  • 2019年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 36 (2008年 - 2010年)
  • 66 (2011年 - 同年途中)
  • 00 (2011年途中 - 2016年)
  • 32 (2017年 - 2019年)
  • 127 (2020年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 高浜も残った!鮮やか下柳&岩田撃ち デイリースポーツ、2011年2月21日。
  2. ^ 高浜にロッテの目!FA人的補償に結論か 日刊スポーツ、2011年2月28日。
  3. ^ FA移籍の人的補償について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年3月1日閲覧
  4. ^ 高濱選手が入団会見 - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年3月4日閲覧
  5. ^ 【ロッテ】FA補償の候補は3人 日刊スポーツ、2011年2月11日。
  6. ^ ロッテ視察団来た…トラ戦々恐々 デイリースポーツ、2011年2月17日。
  7. ^ 虎ショック!高浜ロッテに獲られた〜 デイリースポーツ、2011年2月28日。
  8. ^ “ロッテ高浜が結婚 CS決めた10・4に婚姻届提出”. 日刊スポーツ. (2015年11月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1568891.html 2019年10月3日閲覧。 
  9. ^ “ロッテ高浜、フリー打撃中に腰痛め登録抹消へ”. 日刊スポーツ. (2016年4月19日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1634283.html 2019年12月7日閲覧。 
  10. ^ “ロッテ・高浜、1試合4打点の大暴れ! 好調の裏に試合前の“ある”練習が関係する!?”. BASEBALL KING. (2016年6月3日). https://baseballking.jp/ns/74060 2019年12月7日閲覧。 
  11. ^ “ロッテ・高浜が恩返し弾!「古巣・阪神には感謝しかない」”. BASEBALL KING. (2016年6月9日). https://baseballking.jp/ns/75028 2019年12月7日閲覧。 
  12. ^ “ロッテ高浜、試合直前に中村と交代 打撃練習後、腰に強い張り”. スポーツニッポン. (2016年6月26日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/06/26/kiji/K20160626012852940.html 2019年12月7日閲覧。 
  13. ^ “ロッテ高浜 スタメンに名前も腰の張りで退く”. 日刊スポーツ. (2016年6月26日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1668984.html 2019年12月7日閲覧。 
  14. ^ “ロッテ・高浜は500万円アップ 「数字が欲しかった」来季は出世背番32”. スポーツニッポン. (2016年6月26日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/25/kiji/K20161125013789600.html 2019年12月7日閲覧。 
  15. ^ “ロッテ高浜 昨季年俸自ら訂正 背番号00→32に”. 日刊スポーツ. (2016年11月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1743051.html 2019年12月7日閲覧。 
  16. ^ 2017年度 千葉ロッテマリーンズ 個人守備成績(パシフィック・リーグ)NPB日本野球機構
  17. ^ a b “ロッテ高浜 生き残りの道を模索「代打の道も…」 100万円減1100万円で更改”. スポーツニッポン. (2018年12月3日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/03/kiji/20181203s00001173259000c.html 2019年12月7日閲覧。 
  18. ^ “前日初昇格したばかり…ロッテ・高浜が延長11回の今季初打席で決勝打「気持ちの分、飛んでくれた」”. スポーツニッポン. (2019年5月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/05/09/kiji/20190509s00001173404000c.html 2019年12月7日閲覧。 
  19. ^ “関谷投手・大嶺祐投手・島投手・阿部投手・髙濱選手・李杜軒選手・大木選手・伊志嶺選手の来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ. (2019年10月3日). https://www.marines.co.jp/news/detail/00004863.html 2019年10月28日閲覧。 
  20. ^ 2019年度自由契約選手NPB日本野球機構
  21. ^ “大嶺祐投手・高濱選手 来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ. (2019年10月3日). https://www.marines.co.jp/news/detail/00004863.html 2019年12月7日閲覧。 
  22. ^ “高濱選手の手術について”. 千葉ロッテマリーンズ. (2019年12月6日). https://www.marines.co.jp/news/detail/00005027.html 2019年12月7日閲覧。 
  23. ^ “大嶺祐投手・高濱選手 背番号変更について”. 千葉ロッテマリーンズ. (2019年12月17日). https://www.marines.co.jp/news/detail/00005045.html 2019年12月26日閲覧。 
  24. ^ “来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ. (2019年10月24日). https://www.fighters.co.jp/news/detail/00002256.html 2019年10月28日閲覧。 
  25. ^ “高濱祐仁選手、高山優希投手と育成選手契約締結”. 北海道日本ハムファイターズ. (2019年11月19日). https://www.fighters.co.jp/news/detail/00002306.html 2019年12月7日閲覧。 

関連項目[編集]