高畠藩

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高畠藩(たかはたはん)は、出羽国(後の羽前国置賜郡(現在の山形県東置賜郡高畠町)に存在した。ただし、現在の高畠町の全域を領地としていたわけではなく、町の中心部にあった高畠村、小郡山村、泉岡村、塩森村、相森村、柏木目村の6村のみであった。高畠城は上杉氏が管理していたが、織田氏は無城(陣屋)大名に降格(詳細は次項「歴史」参照)されたため、高畠陣屋を藩庁とした(上杉氏は織田領以外の町域[1]を高畠城で統治[2])。

藩史[編集]

藩主家は織田氏である。明和4年(1767年)8月、上野国小幡藩織田信邦明和事件に連座したため、信邦は幕命により強制隠居の上、蟄居を命じられた。その上で家督は弟の信浮が相続し、小幡から高畠への移封を命じられたのである(封地としては、上述の高畠の六村と天童など村山郡の一部、信夫郡の一部)。なお、この時にそれまでの国主格などの特権も全て剥奪された。信浮をはじめ藩士は陣屋が藩庁として整うまで、上杉氏の役宅などに在住するなど庇護を受ける[3]

さらに悪いときに悪いことは続くもので、天明の大飢饉で藩財政が悪化し、家臣団ですら食うに困って織田家から辞した者も少なくなく、藩主は小幡への復帰を嘆願するほどであったと言われている。文政9年(1826年)には陣屋が焼失し、再び上杉氏の援助を受ける。

第3代藩主・織田信美は所領の大部分が天童を中心とした村山郡に集中していることを考慮して、居館を高畠陣屋から天童に移そうとした。文政11年(1828年)5月に幕府からもそれを許され、信美は天保元年(1830年)に陣屋を天童に移した。このため、以後は天童藩となった。

歴代藩主[編集]

織田家

2万石 外様

  1. 信邦(のぶくに)〔従五位下 美濃守〕
  2. 信浮(のぶちか)〔従五位下 左近将監〕
  3. 信美(のぶかず)〔従五位下 越前守〕

脚注[編集]

  1. ^ 上杉氏の預り地は織田氏高畠藩より広大(屋代のみでも最大で3万7千石、ほかに村山郡あり)
  2. ^ 嘉永元年(1848年)から米沢藩領
  3. ^ 中江克己「御家建て直し」(2004年)ほか

関連項目[編集]