高野六郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高野 六郎(たかの ろくろう、1884年9月3日 - 1960年12月15日)は日本の医学者。東京帝国大学医学部卒業。予防衛生の先駆者。

人物[編集]

茨城県八千代町生まれ。内務省伝染病研究所技師、北里研究所所長、慶應義塾大学医学部教授厚生省予防衛生局長などを歴任し、結核予防会の設立、医療機関の整備に尽力した。コレラ菌腸チフス菌、各種ワクチンの研究や公衆衛生の指導に取り組み医学界に貢献した。また、ラサ島住民に感チフスワクチンの予防接種を行った。勲一等瑞宝章を受章。

また、高野は文筆家としての側面も有しており、随筆集を出すほどでもあった。高校・大学時代には斎藤茂吉と同級であり、自身も青坡と号するアララギ派の歌人であったことが知られている[1]

内務省式改良便池の設計者[編集]

内務省衛生局に入って以来、寄生虫や感染症の予防のため、都会のように下水道や水洗便所を整備することができない農村の事情に鑑み、汲取便所の改良に執念を燃やした。

当時は改良便所として、大正便所や昭和便所などの先駆的な試みが存在したが、高野はチフス菌、赤痢菌、コレラ菌などを培養した便汁を3年浴び続け、ついに全ての菌や寄生虫を死滅させる、衛生的な内務省式改良便池を1927年に完成させる。その苦労は『便所の進化』(1941年)に詳しい。

ただし、内務省式改良便池は隔壁が多いために便池が詰まりやすい問題があったため、戦後に隔壁を少なくするなど改良した「厚生省式改良便所」が開発された。

著書[編集]

  • 「屎・尿・屁」(1930年)
  • 「便所の進化」(1941年)
  • 「銀座の鰯」(1944年)
  • 「食物衛生」 (1948年、柴山知輝との共著)
  • 「健康医学」(1949年)
  • 「結核の予防と施設」(1950年)
  • 「ローベルト・コッホ (文化を築いた人々〈第4〉」(1951年)
  • 「北里柴三郎 (現代伝記全集〈第3〉)」(1959年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 株本千鶴. 衛生局技術官僚の特性 副田義彦編『内務省の歴史社会学』. 東京大学出版会.