高野永貞

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高野永貞
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年(1693年
死没 安永2年5月19日1773年7月8日
改名 永貞→栄軒(号)
別名 通称:秀右衛門
墓所 新潟県長岡市西新町の長福寺
官位 なし
主君 牧野忠辰忠寿忠周忠敬忠利忠寛忠精
越後長岡藩
氏族 高野氏
常道

高野 永貞(たかの ながさだ)は、江戸時代中期の儒臣。越後長岡藩士。一般的には高野栄軒の方で著名。家老山本精義(勘右衛門)と共に藩の文武振興に貢献した。

略歴[編集]

元禄6年(1693年)、誕生。

延享3年(1746年)12月、6代藩藩主・牧野忠敬より家譜編纂を命じられた山本老迂斎の命令を受けて今泉親徳(岡右衛門)と共に家譜に着手した。

安永2年(1773年)、死去。子・常道(余慶)もまた儒臣として重用される。

出典[編集]

  • 『三百藩家臣人名事典4』(新人物往来社
  • 『長岡市史』(1931年)