鬼頭数雄

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鬼頭 数雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市南区野立町
生年月日 1917年4月25日
没年月日 1944年7月(満27歳没)
身長
体重
168 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 二塁手外野手
プロ入り 1936年
初出場 1936年4月29日
最終出場 1941年11月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鬼頭 数雄(きとう かずお、1917年4月25日 - 1944年7月)は、愛知県出身のプロ野球選手

弟に鬼頭政一鬼頭勝治がいる。

来歴・人物[編集]

中京商業が3連覇を達成した第19回全国中等学校優勝野球大会の優勝メンバー。伝説の試合・中京商対明石中延長25回にも「9番・センター」で先発出場している。日本大学に進学するが、1936年大東京軍が結成されると大学を中退して入団。

同年春期から中堅手のレギュラーとなり、クリーンナップを任される。なお、この年は二塁を2試合守っているが、鬼頭は左投げでありながら二塁手としてプレーした初の選手である(5月17日対セネタース戦で初めて二塁を守る)。後に山田伝西本幸雄も守っているが、2017年現在NPBではわずか3人の珍しい記録となっている。1937年左翼手に移って一番や三番などの上位を打ってほぼフル出場し、春期.275(10位)・秋期.321(2位)の好打率を挙げ、秋期は22盗塁名古屋金鯱軍島秀之助盗塁王のタイトルを分け合った。なお、この年の春秋通して放った127安打は戦前の年間最多安打記録であろ。

1939年からは主に四番を打って打率.304で打撃成績5位に入る。翌1940年はリーグの打率が.206という投手上位の環境下で、巨人の川上哲治と鬼頭のみが終始3割台の打率をキープして熾烈な首位打者争いを展開[1]、日本プロ野球初のタイトル争いとも言われた[2]。春は鬼頭がリードし夏は川上が逆転するが、8月の満州シリーズを終わった時点で、鬼頭.3249-川上.3246と鬼頭が僅か3毛差でリードする。9月中旬にリーグ戦が再開されると、その後約1ヶ月に亘って鬼頭と川上は抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げるが、10月中旬に鬼頭が川上に1分の差を付けて突き放し[3]、結局川上.311に対して鬼頭は.321で躱して首位打者を獲得、ベストナインにも選ばれる。なおこの年、鬼頭の打率.321に対して所属するライオンの勝率は.240であり、「所属チームの勝率より打率の高い首位打者」になっている。プロ野球ではほかには1944年の岡村俊昭近畿日本)、2008年内川聖一横浜)しかいない珍しい記録であるが、鬼頭と岡村は1941年の1シーズンだけチームメイトでもあった。またこの年に打った124安打は戦前のシーズン最多安打記録となっている。

1941年南海へ移籍。南海では前半戦は四番に座るものの前年ほどの調子が上がらず、後半は一番に移るが打率.199(リーグ34位)に終わった。1942年応召され、1944年7月マリアナ諸島沖で戦死(戦死公報が入ったのは、それから約1年後の1945年5月になってからだった)。27歳没。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

選手としての特徴[編集]

全く華やいだところがなく、脇役のムードを持ったいぶし銀のような打者だった。小柄ながら柔らかい打撃フォームで好球必打する打撃の天分と、ライバルであった川上哲治以上の努力ぶりを併せ持っていたという[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1936春夏 大東京
ライオン
14 67 60 7 13 4 0 0 17 5 3 -- 2 -- 6 -- 1 4 -- .217 .299 .283 .582
1936 15 51 44 3 9 0 0 0 9 2 2 -- 0 -- 7 -- 0 2 -- .205 .314 .205 .518
1937 56 261 244 26 67 10 4 1 88 21 15 -- 0 -- 16 -- 1 10 -- .275 .322 .361 .682
1937 49 220 187 34 60 8 4 2 82 22 22 -- 0 -- 29 -- 4 7 -- .321 .423 .439 .861
1938 24 103 96 11 21 2 1 2 31 11 2 -- 1 -- 5 -- 1 7 -- .219 .265 .323 .588
1938 40 187 146 20 36 3 1 1 44 18 2 -- 3 -- 37 -- 1 9 -- .247 .402 .301 .704
1939 94 402 365 32 111 15 6 2 144 48 18 -- 2 3 32 -- 0 12 -- .304 .360 .395 .755
1940 102 430 386 34 124 22 13 1 175 46 13 -- 2 4 37 -- 1 14 -- .321 .382 .453 .835
1941 南海 60 252 231 14 46 6 2 0 56 17 3 -- 1 -- 19 -- 1 12 -- .199 .263 .242 .505
通算:6年 454 1973 1759 181 487 70 31 9 646 190 80 -- 11 7 188 -- 10 77 -- .277 .350 .367 .717
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大東京(大東京軍)は、1937年秋季にライオン(ライオン軍)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

背番号[編集]

  • 3 (1936年)
  • 7 (1937年 - 1940年)
  • 8 (1941年)

脚注[編集]

  1. ^ 『プロ野球記録大鑑』265頁
  2. ^ a b 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』179頁
  3. ^ 『プロ野球記録大鑑』266頁

参考文献[編集]

  • 宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』講談社、1993年
  • 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年

関連項目[編集]