千木・鰹木

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多田神社兵庫県川西市)本殿
屋根の上にあるのが鰹木、両端で交叉しているのが千木。

千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)は、神社建築などに見られる、建造物の屋根に設けられた部材である。

概要[編集]

千木は屋根の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材である。どちらも本来は上流階級の邸宅にも用いられたが、今では神社の他、相撲土俵上の屋根にみられる(詳細は土俵の方を参照)。

千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる。千木・鰹木ともに本来は建物の補強が目的だったと考えられる。「鰹木」の名称は、形が鰹節に似ていることが由来とされる。鰹木は「堅緒木」「堅魚木」「勝男木」などとも書く。

近世の『和漢三才図会』(下 寺島良安 東京美術)では、千木は「知岐」、鰹木は「加豆手木」と表記される。三才図会の説明によれば、鰹木は、「大社で、8本、長さ5尺、径9寸、中社で、6本、長さ4尺、径5寸、小社で、4本、長さ4尺、径3寸」と記される。大きさと本数の指定は、宝亀2年(771年)2月13日の『太政官符』から記される(岡田米夫 『日本史小百科 神社』 p.31)。

文献上での初見は、『古事記』の出雲大社創建条の「氷木(ひぎ)」であり(後述書 p.30)、また「冰椽」とも表記され、『日本書紀』の神武天皇紀にも表記は異なるが、「ヒギ」と読ませている(後述書 p.30)。『延喜式』の祝詞において、「千木」の表記が現れることから、平安時代中期には、「チギ」と読まれたとみられる(後述書 p.30)。椽は垂木を意味する(後述書 p.30)。日本の原初的な住居の建築様式を「天地根源造」というが、2本の垂木を交差させたものを両端に置き、その交差した所に棟木を載せ渡した造りである。垂木の棟木に接したところから上は、屋根よりも高くそびえ、この突き出た部分を千木と呼んだ訳だが、一説にヒギとは、「火を防ぐ」の意味であるとか(後述書 p.30)、チギは「茅屋の木」の略称、または「違い木」の略称ともいわれるが(後述書 p.30)、東風をコチということから、チギは「風木」という説が強く、神武紀の表記からも風除けの意味が秘められているとみられる(岡田米夫 『日本史小百科 神社』 東京堂出版 (初版1977年)4版1997年 p.30)。構造的にも強風避けとして、風穴が開けられている(同書 pp.30 - 31)。千木が垂木の延長であるのに対し、鰹木は茅葺の押さえとして起こったものであり(同書 p.31)、『古事記』の雄略天皇の条において、「堅魚を上げて舎屋を作る家あり」とあるのが初見である(同書 p.31)。

事例[編集]

古墳時代の家形埴輪の棟木の上に何本か並列に並べられている様子が、今城塚古墳大阪府高槻市)出土の埴輪等にみられる。

神社建築の例としては、出雲大社を始めとした出雲諸社は、祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にしており、他の神社でもこれに倣うことが多い。また鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の社に見られる。

一方、伊勢神宮の場合、内宮の祭神天照坐皇大御神外宮の祭神豊受大御神とともに主祭神が女神であるにもかかわらず、内宮では千木・鰹木が内削ぎ10本、外宮は外削ぎ9本である。同様に、別宮では、例えば内宮別宮の月讀宮・外宮別宮の月夜見宮は主祭神はともに同じ祭神である月讀尊(外宮別宮は「月夜見尊」と表記している)と男神であるが、祭神の男女を問わず内宮別宮は内削ぎで偶数の鰹木、外宮別宮は外削ぎで奇数の鰹木であり、摂社・末社・所管社も同様である。この理由には諸説あり、外宮の祭神が本来男神的性格を帯びていたためとする説もある。

海外の千木の例[編集]

千木は日本建築に限ったものではなく、中国雲南省ワ族タイ王国ラワ族ラフ族・アカ族・カレン族などの高床式住居にも千木はあり、彫刻もされており、伊勢神宮の千木の「風口」と同様の切りこみも施されている[1]。また、紀元前国の青銅製の神殿にも見られることから、千木の起源は太古まで遡るものとみられている[2]。この青銅製の神殿に、神社建築の二大原型とされる「神明造」と「大社造」の源流が認められるとされる[3]

脚注[編集]

  1. ^ 鳥越憲三郎 『古代中国と倭族』 中公新書 2000年 ISBN 4-12-101517-7 pp.232 - 235.
  2. ^ 同『古代中国と倭族』 p.235.
  3. ^ 同『古代中国と倭族』 p.193.