鳳来寺鉄道1号形蒸気機関車

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鳳来寺鉄道1号形蒸気機関車(ほうらいじてつどう1ごうがたじょうききかんしゃ)は、かつて鳳来寺鉄道[1]が使用したタンク式蒸気機関車である。

概要[編集]

この機関車は、鳳来寺鉄道が1923年(大正12年)の開業に際して、ドイツオーレンシュタイン・ウント・コッペルから輸入した、車軸配置0-6-0(C)、飽和式2気筒単式のサイド・ウェルタンク機関車である。1922年(大正11年)10月に2両(製造番号 10291, 10292)が製造され、1, 2と付番された。

新設計180HPタイプと呼ばれる規格設計の機関車で、このタイプには寸法の異なる3タイプがあるが、その中で最も大型のタイプである。動輪の軸距は3,050mmで、第1動輪と第2動輪の間隔は1,730mm、第2動輪と第3動輪の間隔は1,320mmで、動輪径は1,000mmである。また、他のタイプと異なり、主動輪は第2動輪となっている。

水タンクは、サイドタンクとウェルタンクで、ウェルタンクは第1動輪および第2動輪上部および両動輪間の台枠内に設けられている。サイドタンクは運転室の前部から第1動輪上まで伸びており、前端の上部が斜めに切り取られている。炭庫は運転室の後部に張り出して設けられた。

鳳来寺鉄道は1925年(大正14年)に電化されたため、2が親会社にあたる豊川鉄道に譲渡され、5となった。この機関車は、1929年(昭和4年)に神中鉄道に譲渡され同社の10となったが、1937年(昭和12年)に日本化成三菱化成)黒崎工場に譲渡され、その1となり、1959年(昭和34年)7月まで使用された。一方、鳳来寺鉄道に残った1は、1937年に磐城セメント(住友セメント)四ツ倉工場に譲渡され、そのままの番号で使用されたが、後にC251に改番された。同機はその後七尾工場に移っている。

主要諸元[編集]

  • 全長 : 8,053mm
  • 全高 : 3,486mm
  • シリンダ寸法 : 330mm×500mm
  • ボイラー中心高 : 2,025mm
  • 使用圧力 : 12.37atm
  • 火格子面積 : 0.86m2
  • 伝熱面積 : 51.47m2
  • 運転整備重量 : 25.4t
  • 水タンク容量 : 4.64m3
  • 積載燃料 : 1.13m3
  • シリンダ引張力 : 5,730kg
  • ブレーキ装置 : 手用ブレーキ蒸気ブレーキ
  • 弁装置 : ワルシャート式

類形機[編集]

全く同形の機関車は他にないが、類形機が3社に5両存在した。

口之津鉄道10[編集]

口之津鉄道の10号機は、1922年10月製の製造番号 10310である。鳳来寺鉄道のものとは、動輪径が100mm小さい900mmとされ、高さ関係の寸法がその分(50mm)小さくなっている程度で、他はほぼ共通している。また、シリンダの行程が50mm小さい450mmとなっており、ウェルタンクも動輪間のものがない。

1943年(昭和18年)に、口之津鉄道は島原鉄道に合併され、この機関車は同社の12に、1948年(昭和23年)の改番で21となり、1955年(昭和30年)に廃車された。

鹿本鉄道B形[編集]

鹿本鉄道(後の山鹿温泉鉄道B形は、1923年4月製の製造番号 10495, 10494で、3, 4と付番された。動輪径は1,000mmであるが、軸距が1,525mm+1,525mmと等間隔であり、後部のオーバーハングやバッファの根元部分が短いため、全長は7,818mmである。ウェルタンクは、鳳来寺鉄道のものと同タイプである。また、煙室前のランボードが乙字型に屈曲して下がっているのが特徴である。整備重量は29tに増加している。また、この機関車はシリンダが水平に取り付けられており、1/20の勾配がつけられている他車と異なる。

3は、ディーゼル機関車への改造が計画されたが実現せず、1956年(昭和31年)時点でボイラーと台枠、サイドタンクがバラバラに分解されていたという。4は、1957年(昭和32年)まで貨物列車の牽引に使用された。その後は休車となり、1960年(昭和35年)の運転休止を経て1965年(昭和40年)の廃線まで在籍した。

国東鉄道C形[編集]

国東鉄道のC形は、1924年(大正13年)2月・1月製の製造番号 10721, 10722で、4, 5と付番された。この機関車は、全体的に長さを詰めた変形車で、動輪径は900mm、軸距は1,300mm+1,300mmと等間隔で、主動輪も第3動輪である。全長は7,388mmとなっている。また、炭庫はサイドタンクの後半部分とされ、ウェルタンクは第1・第2動輪の上部とシリンダ中心線から第1動輪前までの台枠内に設けられている。シリンダも、他車が煙突中心線よりかなり前方に置かれているのに対し、煙突中心線近くに設置されている。

1945年に国東鉄道は大分交通に合併し、同社の国東線となったが、両車はそのままの番号で使用された。1954年(昭和29年)5月に4が廃車となり、5は1955年3月に宇佐参宮線に転属して25となったが、ほとんど使用されることなく同年11月に廃車された。

参考文献[編集]

  • 金田茂裕「O&Kの機関車」1987年、エリエイ出版部(プレス・アイゼンバーン)刊 ISBN 4871126161
  • 田尻弘行「RM LIBRARY 57 山鹿温泉鉄道」2004年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 4-7770-5051-3
  • 沖田祐作「三訂版 機関車表(下巻)」1996年、滄茫会刊

脚注[編集]

  1. ^ 東海旅客鉄道(JR東海)飯田線のうち大海駅 - 三河川合駅間を開業した事業者で、同線豊橋駅 - 大海駅間を開業した豊川鉄道の子会社。