鹽竈神社 (仙台市宮城野区)

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鹽竈神社
Nakakecho Shiogama jinja shrine viewed from Hatsukoi-dori street.JPG
所在地 宮城県仙台市宮城野区榴岡2-2-22
位置 北緯38度15分42.5秒
東経140度53分4.2秒
主祭神 塩土老翁神
創建 延宝8年(1680年
本殿の様式 神明造鉄骨構造
別名 名掛丁塩釜神社
例祭 10月10日
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鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区JR仙台駅東口の初恋通り沿いにある神社。「名掛丁塩釜神社」とも呼ばれる。当社は、同県塩竈市にある鹽竈神社の仮宮を端緒とし、現在は島崎藤村が下宿していた三浦屋の跡地に建つ。

祭神[編集]

塩竈市の鹽竈神社の分祠であるため、祭神は同神社と同じである。

安産・交通安全に利益があるとされる塩竈市の鹽竈神社と同様の神徳を有すとされるが、さらに縁結びや初恋成就にも利益があるとされている。

歴史[編集]

江戸時代延宝年間(1673 - 81年)に、仙台藩第4代藩主伊達綱村原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院[1]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀であり、以後、地元の氏子らの信仰を集めた。

明治元年(1868年)の神仏判然令を受けて塩竈大明神は「鹽竃神社」と改称して独立することとなり[2]名掛丁(現在の仙台駅西口側の町域)にあった歳徳神社と合祀されて東六番丁29番地にあった三吉神社境内に遷座、同時に同神社を境内末社とした[3]

平成12年(2000年3月11日JR仙石線連続立体交差化事業により宮城野通の地下の仙台トンネルに移設開通すると、仙台駅東第二土地区画整理事業[4]により当社周辺の整備が行われ、同14年(2002年2月に現在地(島崎藤村が下宿していた三浦屋の跡地)に遷座した。なお、同16年(2004年)には藤村広場[5]、および仙台駅東口駅前広場が完成し、両者が当社の門前を経由する初恋通りで繋がれている。

当社の門前町となった初恋通りには飲食店が集積し、仙台駅東口における新興の歓楽街となりつつある。

末社[編集]

  • 三吉神社

脚注[編集]

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  1. ^ 寛永11年(1634年開山真言宗寺院であった。
  2. ^ ちなみに高福院は、日本鉄道本線(現JR東北本線)建設にあたって仙台停車場(現JR仙台駅)構内にあてがわれることとなり、同線が仙台に開通した明治20年(1887年)に仙台区荒町満福寺毘沙門天をまつる毘沙門堂があり、奥州仙臺七福神の1つに数えられている)に合併されて廃寺となった。
  3. ^ 最新版仙台市全図市街地町村及番地入(明治44年)(仙台市市民センター「名掛丁の変遷」) … 地図では東六番丁29番地の北側に「塩釜祠」と記載されている。
  4. ^ 仙台駅東第二土地区画整理事業(仙台市)
  5. ^ 仙台そぞろ歩き 文学編 (1) 藤村広場河北新報 2008年10月2日)。

関連項目[編集]