鹿児島県立出水高等学校

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鹿児島県立出水高等学校
鹿児島県立出水高等学校
過去の名称 (旧制中学校)
鹿児島県立出水中学校
鹿児島県出水高等学校2部
(高等女学校)
出水町立出水実科高等女学校
出水郡立出水高等女学校
鹿児島県立出水高等女学校
鹿児島県出水高等学校第3部
国公私立の別 公立学校
設置者 鹿児島県の旗鹿児島県
学区 北薩学区
併合学校 鹿児島県出水高等学校第2部
鹿児島県出水高等学校第3部
校訓 誠実・敬愛・向上
設立年月日 1920年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 46136K
所在地 899-0213
鹿児島県出水市西出水町1700番地
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
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鹿児島県立出水高等学校の位置(鹿児島県内)
鹿児島県立出水高等学校

鹿児島県立出水高等学校(かごしまけんりつ いずみこうとうがっこう、英語: Izumi High School)は、鹿児島県出水市にある県立高等学校。

概要[編集]

設置課程・学科・学区
全日制課程 普通科 北薩学区
校訓
「誠実・敬愛・向上」
校章
に「高」の文字、それをが羽を広げて支えている様子を表している。同校の所在する出水市が、全国有数のツル飛来地であるとともに、かつて島津分家の居城(亀ヶ城)があったことに由来する。また、太平洋戦争末期に、鹿児島城址に校舎を構えていた第七高等学校造士館(校章は鶴に「七高」)が戦火を免れるため、数年間出水市に移転してきていたことにもよる。
校歌
作詞は房内幸成、作曲は岡田忠彦による。歌詞は4番まであり、校名は歌詞に登場しない。1950年(昭和25年)に制定。
同窓会
「紫岳同窓会」と称し、北海道、東京、近畿、福岡、熊本、水俣・葦北、宮崎、鹿児島、鹿屋、薩摩川内、阿久根に支部を置く。
暴行事件

2019年10月 サッカー部のコーチである 近野隼人(42歳)が生徒の左足太もも部分に強烈な蹴りと平手ビンタの暴行を行っていたところをネットに拡散され、全国版のニュースで取り上げられた。

しかし、学校側の対応としてはほぼ黙認に近い厳重注意だけに努める対応であり、コーチの処罰は無しで、学校側の対応が問題となった。

この事より、世間では生徒への体罰という名の暴力を行う先生ならぬ容疑者を黙認する高校であるとし、批判されている。

沿革[編集]

旧制県立出水中学校門柱
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
  • 1919年(大正8年)6月25日 - 出水郡出水町武本に「鹿児島県立出水中学校」が設置される。
    • 修業年限を5年(現在の中学1年から高校2年の課程)、入学資格を尋常小学校(6年)を卒業した男子、定員を500名とする。
  • 1920年(大正9年)
    • 1月14日 - 初代校長に山口重知が就任。
    • 4月1日 - 「鹿児島県立出水中学校」が開校。
  • 1933年(昭和8年)3月31日 - 寄宿舎を廃止。
  • 1935年(昭和10年)3月25日 - 農作業室・堆肥舎等が完成。
  • 1937年(昭和12年)12月27日 - 定員を500名から750名へ増員。各学年3学級編成となる。
  • 1940年(昭和15年)12月28日 - 出水郡八ヶ町村から寄付により、教室・付属建物を増築。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行が前倒しされ、4年生(昭和16年入学)と5年生(昭和15年入学)の合同卒業式を挙行。
    • 4月1日 - 学校の授業が1年間停止されることとなる。ただし、勤労動員は継続された。
    • 9月 - 終戦により、授業が再開される。
    • 12月1日 - 後援会により、 寄宿舎を再設置。
  • 1946年(昭和21年)3月31日 - 定員を750名から1,250名へ増員。各学年5学級編成となる。修業年限が5年に戻る(4年で卒業することができた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、旧制中学校が廃止され、新制高等学校鹿児島県出水高等学校第二部」が発足。
    • 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
旧制高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
  • 1921年(大正10年)9月22日 - 「鹿児島県出水高等女学校」の設立が認可される。定員を320名とする。
  • 1922年(大正11年)
    • 3月4日 - 初代校長に木場喜一郎が就任。
    • 4月10日 - 出水尋常高等小学校(現・出水市立出水小学校)を仮校舎として「鹿児島県出水高等女学校」が開校。
    • 6月14日 - 定員を400名に増員。
  • 1923年(大正12年)
    • 1月16日 - 本館が完成。
    • 4月1日 - 鹿児島県への移管により、「鹿児島県立出水高等女学校」に改称。
    • 12月22日 - 講堂が完成。
  • 1932年(昭和7年)
  • 1935年(昭和10年)12月18日 - 洗濯室が完成。
  • 1943年(昭和18年)3月31日 - 定員を600名に増員。
  • 1945年(昭和20年)3月31日 - 定員を800名に増員。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、高等女学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校第三部」が発足。
    • 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、出水市内の旧制中等教育学校3校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校」が発足。初代校長に遠藤力雄が就任。
      • 旧・鹿児島県立出水実業学校および併設中学校を「第一部」とする。
      • 旧・鹿児島県立出水中学校および併設中学校を「第二部」とし、本部が設置される。第二部長には旧・中学校校長の池城安伴が就任。
      • 旧・鹿児島県立出水高等女学校および併設中学校を「第三部」とする。第三部長には旧・高等女学校校長の小田原文三郎が就任。
        • 第一部・第二部・第三部ともに、旧制中等教育学校時代の校舎・生徒を継承していたため、この時点ではまだ男女共学ではなかった。
    • 4月26日 - 開校式を挙行。
    • 5月26日 - 父母と教師の会が発足。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月1日 - 第一部が分離し、鹿児島県出水実業高等学校として独立。部制が廃止され、第二部と第三部が統合される。
    • 6月13日 - 男女混成の学級を編成し、完全男女共学を実施。 統合完了までの間、旧・第二部および第三部の校舎を共用。
    • 11月10日 - 統合に伴う増築工事の一環として北棟が完成。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月1日 - 学区制により、出水・米ノ津・大川内・高尾野・野田・江内・川床・鷹巣・獅子島の各中学校区が出水高校の学区に指定される。
    • 8月20日 - 南棟が完成。
    • 11月12日 - 校歌を制定。
  • 1951年(昭和26年)
    • 11月20日 - 中棟が完成。第二教場旧三部の生徒を第一教場旧二部に収容。
    • 11月24日 - 旧・三部(高等女学校)校地の一切を出水町へ無償譲渡。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 商業科を設置。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月28日 - 父母と教師の会総会において後援会が設立される。
    • 10月 - プールが完成。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 「鹿児島県立出水高等学校」に改称(県の後に「立」が加えられる)。学区制が改定され、従来の学区に西長島村・阿久根市・高城西が加わる。
  • 1962年(昭和37年)7月31日 - 1966年(昭和41年)5月30日までの間 - 鉄筋コンクリート造の新校舎(生徒館・本館)が完成。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 商業科を廃止。
  • 1966年(昭和41年)7月13日 - 屋内運動場(体育館)が完成。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月1日 - 特別教室の改築が完成。
    • 12月16日 - 武道場が完成。
  • 1970年(昭和45年)
  • 1977年(昭和52年)
  • 1987年(昭和62年)3月10日 - 第2グラウンドを整備。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月30日 - 校門と通用門を新設。
    • 9月1日 - 管理棟の大規模改造を完了。
  • 1994年(平成6年)3月1日 - 校訓記念碑を建立。
  • 1995年(平成7年)2月 - 推薦入試を実施。
  • 1997年(平成9年)- 鹿児島県立川内高等学校とのスポーツ交歓会を初めて実施。
  • 2011年(平成23年)4月 - 学区の改定により、北薩学区となる。

主な行事[編集]

  • 開校記念遠足
  • 出水・川内高校スポーツ交歓会
    • 開校記念行事として、遠足とスポーツ交歓会のどちらかを実施。
    • これまで、1997年(第1回、於: 川内総合運動公園)、1998年(第2回、於: 出水市運動公園)、2000年(第3回、於: 出水市運動公園)に実施されている。
    • 県内の高校同士によるスポーツ交歓会としては、「甲鶴戦」(県立甲南高校と県立鶴丸高校、1971年 - )、「中玉戦」(県立鹿児島中央高校と鹿児島市立鹿児島玉龍高校、1991年 - )、「錦武戦」(県立錦江湾高校と県立武岡台高校、1991年 - )に次いで5例目。
  • 文化祭
  • 体育祭
  • 芸術鑑賞会
  • 修学旅行
  • キャリアガイダンス講演会(卒業生による講演会)
  • 史蹟めぐり
  • 強走歩大会

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]