麻生隆守

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麻生隆守
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文15年(1546年)
墓所 福岡県遠賀郡岡垣町の隆守院
主君 大内義隆
氏族 麻生氏
父母 父:麻生家信
兄弟 隆守鎮里
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麻生 隆守(あそう たかもり)は戦国時代の武将。大内氏の家臣。筑前国遠賀郡岡城主。

生涯[編集]

吉木麻生氏の血を引く麻生家信の嫡男として生まれる。

天文15年(1546年、天文13年とも[1])に大友義鎮の命を受けた瓜生貞延に居城・岡城を攻撃される。これに帆柱山城を本拠とする麻生氏も加勢し落城。戦死、もしくは自害した。

永禄2年(1559年)に宗像鎮氏に攻められて戦死した麻生次郎と同一人物という説もあるが、隆守は天文15年の合戦で討ち取られているため、誤りとされる[2]

脚注[編集]

  1. ^ [1]隆守院 2020年1月17日閲覧
  2. ^ 怨霊黙示録 菱井十拳著