麻生 (企業)

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株式会社麻生
Aso Corporation
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
820-0018
福岡県飯塚市芳雄町7番18号
北緯33度38分27.2秒 東経130度41分30.0秒 / 北緯33.640889度 東経130.691667度 / 33.640889; 130.691667座標: 北緯33度38分27.2秒 東経130度41分30.0秒 / 北緯33.640889度 東経130.691667度 / 33.640889; 130.691667
設立 1966年11月
業種 サービス業
法人番号 2290001045328 ウィキデータを編集
事業内容 医療事業、環境事業、不動産業
代表者 代表取締役会長 麻生泰
代表取締役社長 麻生巌
代表取締役専務 古野金廣
資本金 35億8000万円
(2019年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 321万株(2019年3月31日現在)[1]
売上高 連結: 2,312億1,000万円
単独: 408億3,800万円
(2020年3月期)[1]
従業員数 連結: 5905人 単独: 1919人
(2019年3月31日現在)[1]
決算期 3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[1]
主要株主 学校法人麻生塾 18.89%
麻生泰 5.35%
みずほ信託銀行(信託口) 4.97%
三井住友銀行 4.19%
福岡銀行 4.19%
西日本シティ銀行 4.19%
麻生巌 3.97%
株式会社小澤 3.38%
麻生健 3.25%
麻生興産 3.13%
(2019年3月31日現在)[1]
主要子会社 グループ企業の項目を参照
関係する人物 麻生太吉麻生太賀吉麻生太郎
外部リンク https://www.aso-corp.jp/
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株式会社麻生(あそう、: Aso Corporation[1])は、麻生グループ全体を統括する会社。麻生グループには、ラファージュ社(現、ラファージュホルシム)との合弁会社である麻生セメントなどが属する。

概要[編集]

麻生太吉明治時代に飯塚市で始めた「麻生炭鉱」を源流とし、現在ではセメント事業、専門学校運営、病院経営、医療廃棄物処理など幅広い分野の事業を手掛けている。

  • 飯塚病院は、もともと麻生炭砿労働者のために開設されたものであったが、現在は筑豊地区の中核医療機関の一つに位置づけられている。
  • 麻生塾は、麻生太賀吉1939年(昭和14年)に私財を投じて飯塚市柏森に創設した私塾。
  • 麻生メディカルサービス(アップルハート)や各公益法人は、飯塚病院の事業から派生したもので、コムスンが破綻した際、その福岡県における事業を引き継ぎ麻生介護サービス株式会社として事業を新たに展開している。

2019年現在会長を務める麻生泰は、副総理財務大臣・第92代内閣総理大臣麻生太郎の弟。太郎自身も、政界転身まで前身となる麻生セメント株式会社の社長を務めていた。

沿革[編集]

  • 1872年 麻生太吉が石炭採掘事業に着手。
  • 1918年 太吉が、個人商店だった「麻生商店」を法人化。
  • 1954年 産業セメント鉄道と麻生鉱業が合併、「麻生産業株式会社」に改称。
  • 1966年 炭砿関係の労働者を解雇、セメント部門を「麻生セメント株式会社」として分社。
  • 1969年 「麻生産業株式会社」会社清算、以後は「麻生セメント株式会社」をグループ中核企業とする。
  • 2001年 7月、「麻生セメント株式会社」を現社名「株式会社麻生」に改称。8月にセメント部門を再分離し、フランスのラファージュ社(世界最大手のセメントメーカー)が資本参加。
  • 2004年 麻生のセメント部門とラファージュ社の合弁会社が「麻生ラファージュセメント株式会社」に改称。
  • 2009年 4月1日に子会社の「麻生開発」を吸収合併。
  • 2010年 6月29日麻生泰社長が会長に、長男の麻生巌副社長が社長になる。
  • 2012年 12月17日付で、有限会社プラネットホールディングス及び株式会社ぎょうせいの株式を取得し、グループの傘下に入れる。
  • 2013年 麻生ラファージュセメント株式会社が「麻生セメント株式会社」に改称。

グループ企業[編集]

医療・健康事業[編集]

  • 株式会社麻生 飯塚病院
  • 麻生メディカルサービス
  • 麻生介護サービス
  • 医療法人博愛会(京都病院、博愛苑、頴田病院)
  • 医療法人日章会(南鹿児島さくら病院)
  • 田川新生病院 
  • 麻生介護サービス株式会社

教育・人材事業[編集]

麻生情報ビジネス専門学校福岡校、麻生外語観光&製菓専門学校、麻生医療福祉専門学校福岡校、麻生公務員専門学校福岡校、麻生建築&デザイン専門学校、麻生美容専門学校、専門学校麻生工科自動車大学校など福岡県内に13校の専門学校と1校の高等部を運営。関係会社に麻生キャリアサポートがある。

生活サービス事業[編集]

  • 麻生芳雄商事(スーパーASOなどを運営)
  • 麻生地所(麻生飯塚ゴルフ倶楽部)
  • 麻生開発マネジメント(のがみプレジデントホテル)
  • 麻生開発事業部(新飯塚ステーションホテル)

情報・ソフトウェア事業[編集]

セメント・建設事業[編集]

  • アラム
  • セレクト工業
  • 麻生セメント
  • 麻生商事
  • 麻生フオームクリート(JASDAQ上場)
  • 麻生コンクリート工業
  • 西南コンクリート工業
  • 泉北コンクリート工業
  • ソーワセメント販売
  • 麻生鉱山

九州新幹線高架橋への欠陥材使用問題[編集]

2008年10月、九州新幹線鹿児島中央駅新八代駅間の高架橋の部材として麻生が納入したパネル材の一部に欠陥があることが明らかとなった。問題が発覚した部材はコンクリートを流し込む型枠の底面部分に使った「ASフォーム1型」であり、複数の建設会社が使用したとしている。九州旅客鉄道は「パネル材の欠陥は聞かされていない。速やかに事実を確認し、適切な対応を取る」とし、麻生側は「自前で補修した個所もあるが、販売する際に施工業者に説明していたかどうか調べる」とそれぞれコメントしている[2]

旧「麻生鉱業」に関する問題[編集]

連合軍捕虜使役問題[編集]

2008年12月、厚生労働省がオーストラリア人197人・英国人101人・オランダ人2人の連合国軍捕虜300人が旧「麻生鉱業」の炭鉱で働き、うちオーストラリア人2人が死亡した事を示す文書を公開した。期間は1945年5月10日から8月15日ポツダム宣言受諾)までの3ヶ月間。施設名は、旧「麻生鉱業」吉隈炭坑施設内の捕虜収容所「第26分所」である。2009年1月6日、衆議院本会議で民主党議員から質疑を受け、その答弁で麻生首相(当時)は、太平洋戦争中に親族が経営していた同社で連合国軍捕虜が働いていた事を認めた。

戦前の納屋制度[編集]

同制度による労働環境が劣悪だとして問題になり、朝鮮人被差別部落民らが労働争議を起こした。

1939年時点で麻生炭鉱には約1000人の朝鮮人労働者がおり、労働環境は過酷でダイナマイトなどを使う危険な作業により1日に一人から二人は亡くなっていたという。1940年代以降、朝鮮人労働者が大きく増えたため朝鮮人寮が別途あったが、自由のない収監所同然の生活だった[3]

さらに賃金がまともに支給されなかったり、日常的に暴力を振るわれたりするなどした結果、1944年に福岡県が作成した「移入半島人(朝鮮人)労務者に関する調査表」によれば、過酷な労働環境により、麻生鉱業の全労働者7996人のうち、61.5%にのぼる4919人が逃走したことが明らかになっている[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 株式会社麻生 (2019-06-27). 第58期(平成30年4月1日 - 平成31年3月31日)有価証券報告書 (Report). 
  2. ^ 九州新幹線に欠陥材 高架橋パネル はく離 「麻生」販売し補修 JR「聞かされず」 西日本新聞、2008年10月24日
  3. ^ a b 麻生一族の炭鉱徴用残酷史…慰霊碑に「朝鮮人」の字も刻ませなかった(1) 中央日報 (2019年3月7日) 2019年3月7日閲覧。

関連項目[編集]