黒瀬義門

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黒瀬義門

黒瀬 義門(くろせ よしかど、1846年2月24日弘化3年1月29日) - 1919年大正8年)9月1日)は、日本の陸軍軍人貴族院男爵議員。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

備前国岡山城下船頭町(現在の岡山県)出身。岡山藩士・黒瀬源六郎の長男。1868年明治元年)より岡山兵学館で学ぶ。選抜されて大阪兵学寮青年舎に入り[1]1872年2月7日(明治4年12月29日)、陸軍少尉に任官。1878年、砲兵第4大隊第2小隊長として第2旅団に編入され西南戦争に従軍[2]1885年(明治18年)6月、野戦砲兵第6連隊長となり、1888年(明治21年)5月、陸軍砲兵射的学校長へ異動し、同年11月、砲兵大佐に昇進した。

1893年(明治26年)4月、陸軍砲工学校長に就任。1894年(明治27年)9月、第2軍砲兵部長となり日清戦争に出征。1895年(明治28年)4月、陸軍少将に進級した。

1895年(明治28年)7月9日、砲工学校長事務取扱となり、同月22日、野戦砲兵監へ異動。次いで要塞砲兵監に就任し、1901年(明治34年)5月、陸軍中将に進むが、翌年5月に休職した。

1904年(明治37年)2月、台湾守備隊司令官に発令され日露戦争を迎えた。同年11月に休職。1905年(明治38年)6月、留守第7師団長として復帰したが、1906年(明治39年)5月に休職し、翌年3月2日、予備役に編入された[3]1908年(明治41年)4月1日、後備役となる[4]1913年(大正3年)4月1日に退役した[5]

1907年(明治40年)9月21日、日清・日露戦争での功績により男爵を叙爵し華族となった。1911年(明治44年)7月、貴族院男爵議員に選出され[6]1917年(大正6年)4月5日に辞職した[7]

栄典[編集]

位階
勲章等

脚注[編集]

  1. ^ 20世紀日本人名事典
  2. ^ 各中隊現人員表9、10調”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09084233000、往復書類 明治10年8月14日~10年12月15日(防衛省防衛研究所). 2018年12月16日閲覧。
  3. ^ 『官報』第7100号、明治40年3月4日。
  4. ^ 『官報』第7446号、明治41年4月25日。
  5. ^ 『官報』第206号、大正2年4月10日。
  6. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  7. ^ 『官報』第1402号、大正6年4月7日。
  8. ^ 『官報』第695号「賞勲叙任」1885年10月23日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1890年12月28日。
  10. ^ 『官報』第3799号「叙任及辞令」1896年3月2日。
  11. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  12. ^ 『官報』第7175号「叙任及辞令」1907年6月1日。
  13. ^ 『官報』第1252号「叙任及辞令」1916年10月2日。
  14. ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
  15. ^ 『官報』第2971号「叙任及辞令」1893年5月27日。
  16. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  17. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  18. ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
  19. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  20. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  21. ^ 『官報』第813号「宮廷録事 - 恩賜並追賜」1915年4月21日。
  22. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
黒瀬(義門)家初代
1907年 - 1919年
次代:
黒瀬義一