鼻和郡
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鼻和郡(はなわぐん、はなわのこおり)は、かつて陸奥国の津軽半島南部からその南方の岩木川左岸地域に存在した[1]郡である。
沿革[編集]
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡、鹿角郡、比内郡、津軽平賀郡、津軽鼻和郡、津軽田舎郡、津軽山辺郡、外浜、西浜が建郡された。 建郡の時期は文献がないため不明だが、清原真衡の時代という説と藤原清衡の時代(奥州藤原氏)という説がある[2]。
江戸時代前期の寛文年間には平賀郡・田舎郡と同じく、津軽郡の一部となる。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『浪岡町史 第一巻』 青森県南津軽郡浪岡町(現 青森市)、2000年3月15日。
- 小口雅史、長谷川成一・村越潔・斉藤利男・小岩信竹 『青森県の歴史』 山川出版社、2000年。ISBN 978-4-634-32020-8。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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