1877年のメジャーリーグベースボール

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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1877年のできごとを記す。

ナショナルリーグでは、前年の最初のシーズンに参加して途中からゲームの開催を拒否したフィラデルフィア・アスレチックスニューヨーク・ミューチュアルズの2球団を除名して6球団でシーズンが開幕し、シーズン終盤にシンシナティ・レッズがリーグ分担金を支払えず加盟権を失う事態が生じた(レッズは結局翌年に再加盟が認められた)が、ボストン・レッドキャップス(後のボストン・ブレーブス)がこの年のリーグ優勝を果たした。

できごと[編集]

  • ルイビル・グレイズに所属するジム・デブリン、ジョージ・ホール、ビル・クレイバー、アル・ニコルズの4選手が野球賭博に関わり、故意に試合を負けたりしたことが発覚して、球団はシーズン中途で解雇し、ナショナルリーグのハルバート会長はこの4選手を永久追放処分とした。後のブラックスソックス事件が起こる40年以上も前のことである。
  • このシーズンの選手の年俸最高額は2,000ドルで、審判の報酬は1試合5ドルであった。
  • ボストン・レッドキャップスのディーコン・ホワイト内野手は1873年にボストン・レッドストッキングス(レッドキャップス)に入団し、ナショナル・アソシエーションに属していた時代(1872~1875年に4連覇した)の最後の年(1875年)に首位打者を獲得し、そしてナショナルリーグ初年度の1876年はシカゴ・ホワイトストッキングスに移って最多打点(この当時は打点王というタイトルは無かった)を記録しホワイトストッキングスのリーグ初優勝に貢献し、そして翌1877年は再びボストン・レッドキャップス(1876年にレッドストッキングスからレッドキャップスに改称)に戻って打率.387で首位打者となり、安打103本、打点49、三塁打11本の4つの部門でリーグトップとなる成績を残して古巣のレッドキャップスの初優勝に貢献した。
  • 同じレッドキャップスのトミー・ボンド投手は40勝、防御率2.11、奪三振170でナショナルリーグ初の最多勝最多奪三振最優秀防御率の投手三冠王を獲得した。

規則の改訂[編集]

  • 15インチ平方のベースが登場した。
  • いくら待っても打者にとっていい球が来ない場合は、打者の選択及び審判の判断で一塁に進むことが出来るようになった。これは2年後の「九球」の始まりで現在の「四球」の元祖である。

最終成績[編集]

ナショナルリーグ[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ボストン・レッドキャップス 42 18 .700 --
2 ルイビル・グレイズ 35 25 .583 7.0
3 ハートフォード・ダークブルース 31 27 .534 10.0
4 セントルイス・ブラウンストッキングス 28 32 .467 14.0
5 シカゴ・ホワイトストッキングス 26 33 .441 15.5
6 シンシナティ・レッズ 15 42 .263 25.5

個人タイトル[編集]

ナショナルリーグ[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 ディーコン・ホワイト (BSN) .387
本塁打 リップ・パイク (CIN) 4
打点 ディーコン・ホワイト (BSN) 49
得点 ジム・オルーク (BSN) 68
安打 ディーコン・ホワイト (BSN) 103

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 トミー・ボンド (BSN) 40
防御率 トミー・ボンド (BSN) 2.11
奪三振 トミー・ボンド (BSN) 170
投球回 ジム・デブリン (LOU) 559.0
セーブ カル・マクヴィー (CHC) 2

出典[編集]

  • 『アメリカ・プロ野球史』≪第1章 ナショナルリーグの確立≫ 42P参照  鈴木武樹 著  1971年9月発行  三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1877年≫ 32P参照  週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『誇り高き大リーガー』≪アメリカ野球小史≫ 191P参照  八木一郎 著  1977年9月発行  講談社
  • 『大リーグへの招待』≪野球規則の変遷≫ 88P参照  池井優 著  1977年4月発行  平凡社

参考[編集]