1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団

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オリンピックの日本選手団
Flag of Japan (1870–1999).svg
日章旗
IOCコード JPN
NOC 日本オリンピック委員会
公式サイト
1912年ストックホルムオリンピック
人員: 選手 2名、役員 2名
旗手: 三島弥彦
メダル

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夏季オリンピック日本選手団
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冬季オリンピック日本選手団
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開会式で行進する日本選手団

1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団は、1912年(明治45年)5月5日から7月27日まで開催された1912年ストックホルムオリンピック日本選手団、およびその競技結果。選手所属は1912年当時のもの

日本は初のオリンピック参加となった。

概要[編集]

参加選手は三島弥彦金栗四三の2人、役員は嘉納治五郎大森兵蔵の2名。これは日本のオリンピック選手団としては2019年現在最小の規模である。監督の大森兵蔵には妻の安仁子が同行した[1]

入場行進時のプラカード表記は「NIPPON」であった[2]。プラカードを持つ金栗四三は「日本」と漢字表記を主張して譲らず、大森兵蔵は「JAPAN」を主張し、折衷案として嘉納治五郎が提案した「NIPPON」が採用された[3]。「NIPPON」の表記はこの大会のみで、以降のオリンピックは全て「JAPAN」となっている[4]

新橋駅の出発は1912年5月16日[5]敦賀で下車して船でロシアウラジオストクに渡り、シベリア鉄道でセントピーターズバーグ(サンクトペテルブルク)まで行き、船でストックホルムに渡った[6]。ストックホルムに着いたのは6月2日、開会式の1か月ほど前であった[7]

種目別選手、スタッフ名簿および成績[編集]

役員[編集]

陸上競技[編集]

男子[編集]

  • 三島弥彦東京帝大
    • 100m 1次予選敗退(16組5着、11秒8、自己新[9]
    • 200m 1次予選敗退(13組4着、24秒台だったとされる[10]
    • 400m 準決勝棄権(予選は4組2着[10]
  • 金栗四三東京高師
    • 10000m 棄権(出場せず)[11]
    • マラソン 途中棄権(ただし、棄権の意思が運営者側に届いていなかったため、行方不明扱いとされ、55年後の記念式典でゴールし、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3とアナウンスされている。)

脚注[編集]

  1. ^ a b 長谷川 2013, p. 93.
  2. ^ 長谷川 2013, p. 112.
  3. ^ 長谷川 2013, pp. 112-113.
  4. ^ 長谷川 2013, p. 113.
  5. ^ 長谷川 2013, pp. 92-93.
  6. ^ 長谷川 2013, pp. 94-102.
  7. ^ 長谷川 2013, pp. 103-112.
  8. ^ 長谷川 2013, p. 107.
  9. ^ 長谷川 2013, p. 115.
  10. ^ a b 長谷川 2013, p. 118.
  11. ^ 長谷川 2013, p. 116.

参考文献[編集]

  • 日本オリンピック委員会監修『近代オリンピック100年の歩み』ベースボール・マガジン社、1994年
  • 長谷川孝道 『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版』 熊本日日新聞社・熊本陸上競技協会、2013年8月20日、347頁。