1930年の政治

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1930年の政治では、1930年昭和5年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

第17回衆議院議員総選挙の結果。浜口雄幸内閣の与党立憲民政党は273議席を獲得し単独過半数を獲得し大勝した。少数与党政権だった浜口内閣の政権基盤を安定させるとともに、本格的な二大政党時代の到来を印象づけることとなった。

3月[編集]

4月[編集]

  • 4月1日
    • 若槻請訓(日米妥協案による妥結調印)を閣議了承。
    • 浜口首相、天皇に上奏。
    • 加藤軍令部長、鈴木侍従長に帷幄上奏を申し入れ。鈴木侍従長は天皇の日程を理由に拒否。
  • 4月2日 - 加藤軍令部長、閣議決定後に帷幄上奏。海軍が若槻請訓に反対の立場を訴える。
  • 4月21日 - 第58回特別議会召集。
  • 4月22日 - ロンドン海軍軍縮条約調印。
  • 4月23日 - 第58回特別議会開院式。
  • 4月25日 - ロンドン条約調印を巡り衆議院犬養毅政友会総裁が統帥権干犯と攻撃。統帥権干犯問題が議論に。

5月[編集]

ナチス党本部「褐色館」

6月[編集]

7月[編集]

  • 7月 - ロンドン海軍軍縮条約、枢密院で諮詢段階に入る。
    • 同条約反対派の伊東巳代治平沼騏一郎両枢密顧問官、ロンドン条約審査委員会委員設置に当たり条約反対派のみの構成を工作。委員決定までに19日間を要する。
  • 7月16日 - 独ブリューニング内閣提出の財政改革法案が否決。
    • ブリューニング首相、ヒンデンブルク大統領の大統領緊急令による財政改革法強制的成立公布。
  • 7月18日
    • ドイツ社会民主党、緊急令廃止動議を提出。
    • ドイツ国会緊急令廃止動議可決。
    • ブリューニング首相、大統領国会解散命令によって国会を解散[2]
  • 7月20日 - 日本大衆党全国民衆党、無産政党戦線統一全国協議会の3派が合同し、全国大衆党が結成。

8月[編集]


9月[編集]

  • 9月12日 - 枢密院でロンドン海軍軍縮条約に関する第12回審査委員会開催。伊東巳代治委員長、浜口首相の枢密顧問官更迭の強硬姿勢に屈し、条約賛成に転じる。
  • 9月14日 - ドイツ国会選挙。ナチ党が選挙前の12議席から107議席に大躍進し、第2党となる。

10月[編集]

11月[編集]

浜口首相遭難現場のプレート
事件現場の鋲
東京駅にある浜口首相遭難現場のプレート(左)と事件現場を示す床の鋲

12月[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ヴィストリヒ、229頁
  2. ^ 阿部(2001) p.168
  3. ^ LeMO

参考文献[編集]

  • 林健太郎 『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』 中央公論新社、1963年(昭和38年)。ISBN 978-4121000279。
  • 阿部良男 『ヒトラー全記録 1889-1945 20645日の軌跡』 柏書房、2001年(平成13年)。ISBN 978-4760120581。
  • ロベルト・ヴィストリヒ(en) 『ナチス時代 ドイツ人名事典』 滝川義人訳、東洋書林、2002年。ISBN 978-4887215733。