1948年の政治

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1948年の政治では、1948年昭和23年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

民主党総裁の芦田均が内閣総理大臣に指名される。芦田は戦前軍部に抵抗したリベラリストであり、外交官出身の国際派であった。中道政治を標榜するが、政権の「たらい回し」を批判され、さらに内閣は昭電事件で倒れた。
  • 2月21日
    • 鈴木茂三郎社会党政調会長、中執委に政策を提出、中執委で民主党に提示が決定。
    • 中執委で片山委員長、首班指名選挙に不出馬を表明。
    • 中執委19対10票で芦田首班に投票が決定。
    • 民主党内保守派、太陽会の9名が脱党し無所属に、さらに1名が脱党し同志クラブへ入党する。
    • 首班指名選挙衆議院芦田均民主党総裁を、参議院吉田茂自由党総裁をそれぞれ指名する。
    • 両院協議会が開催されるが、結論が出ず、憲法の規定(衆議院の優越)により、衆議院の議決により芦田均の首班指名が決定。
  • 2月23日 - 松岡駒吉衆議院議長が首相指名について衆議院の優越を宣告。
  • 2月24日 - 芦田首相、片山前首相(社会党委員長)、三木武夫国協党委員長を訪問。
  • 2月25日
    • 芦田首相、吉田自由党総裁を訪問。
    • 自由党、正式に四党連立内閣参加を拒否。
    • 芦田首相、組閣方針を当初の社会、民主、国協の三党連立に切り替える。
    • チェコスロバキアで、ソ連の後ろ盾を受けた共産主義勢力によるクーデターが成功(勝利の2月[4]

3月[編集]

芦田内閣 前列左より水谷商工相、竹田厚相、西尾副総理、芦田首相、一松国務相、苫米地官房長官、北村蔵相、後列左より冨吉逓相、加藤労相、岡田運輸相、永江農相、栗栖安本総務長官、野溝国務相、森戸文相、船田国務相

4月[編集]

5月[編集]

イスラエル建国を宣言するベン=グリオン首相

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

検察庁へ引致される栗栖赳夫安本総務長官。

10月[編集]

  • 10月6日 - 西尾末広前副総理(社会党書記長)を逮捕。
  • 10月7日
    • 芦田内閣総辞職。
    • 山口喜久一郎民自党副幹事長、GHQが芦田内閣の後継に山崎猛民自党幹事長を首班とする挙国一致連立内閣を希望していると発言(いわゆる「山崎首班問題」)。
  • 10月 - 民主自由党内では山口、星島二郎らが山崎首班に同調。
  • 10月 - 吉田総裁の進退問題に関する民自党総務会で田中角栄の発言がきっかけになり、吉田首班が党議決定。
  • 10月11日 - 第3臨時国会召集。
  • 10月13日
    • 民主党代議士会、時期内閣総理大臣に山崎民自党幹事長を推薦することを党議決定[13]
    • 山崎民自党幹事長と益谷秀次が会談。
  • 10月14日
    • 竹田儀一民主党幹事長、山崎民自党幹事長を訪問し、首班指名選挙への立候補を打診。
    • 山崎民自党幹事長、議員辞職。
    • 首班指名選挙で吉田茂民主自由党総裁が内閣総理大臣に指名される。
  • 10月19日 - 第2次吉田内閣成立。

11月[編集]

12月[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 樋口修「GATT/WTO体制の概要とWTOドーハ・ラウンド農業交渉」(国立国会図書館 調査及び立法考査局『レファレンス』第670号、2006年)、134頁。
  2. ^ 廣田功、森健資編『戦後再建期のヨーロッパ経済復興から統合へ』(日本経済評論社、1998年)、371頁。
  3. ^ 益田実「アトリー労働党政権と西ヨーロッパの経済協力問題、1945年~1949年(2)」(『三重大学法経論叢』第15巻第2号)、51頁。
  4. ^ フランソワ・フェイト(著)、熊田亨(訳)『スターリン時代の東欧』(岩波書店、1979年)、202-204頁。矢田俊隆『世界現代史26 ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史』(山川出版社、1978年)、279-281頁。
  5. ^ 金子新「西ドイツの建国とルール国際管理」(『敬愛大学国際研究』第14号)、5頁。
  6. ^ 永田実『マーシャル・プラン――自由世界の命綱』中央公論社中公新書〉、1990年5月25日、124頁。ISBN 978-4121009715。
  7. ^ 山極晃「1948年中国援助法の成立過程」(斎藤真、深谷満雄編『アメリカの対外政策決定と議会』(日本国際問題研究所、1965年))、119-120頁。
  8. ^ 島田巽『マーシャル・プラン』(朝日新聞社、1949年)、148頁。
  9. ^ 「ソ連進出の“防波堤” 対外援助法成立す 米大統領 署名・きょう発足」、1948年4月5日付朝日新聞(東京)1面(ワシントンにてハイタワー特派員3日発=AP特約)。
  10. ^ 島田巽『マーシャル・プラン』(朝日新聞社、1949年)、171頁。
  11. ^ Senato 18/04/1948 | Area ITALIA, Camera 18/04/1948 | Area ITALIA. Ministero dell'Interno.
  12. ^ 清水良三「ベルリン封鎖前後日誌」(『國士舘大學政經論叢』第69号、1989年)、36-37頁。
  13. ^ 日本経済新聞 政客列伝 吉田自由党に合流、労相で入閣 「いぶし銀の調整役」保利茂(3)