1955年の日本競馬

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馬齢は旧表記で統一する。

概要[編集]

できごと[編集]

  • 9月(日付不明) - 日本中央競馬会の初代理事長だった安田伊左衛門が辞任。後任には元農林水産大臣だった有馬頼寧が就任。
  • 12月24日 - 第4回阪神競馬第7日第6競走(アラブ障碍特別、2,600m、ハンデキャップ戦)にて、フライヤー(牡5歳、阪神:清水茂次厩舎)が、第5号障害飛越の際に蹉跌転倒し、その煽りで同馬に騎乗した大柳英雄(阪神:清水茂次厩舎)が頭部を激打、直ちに救護所に運ばれたが頭蓋骨内脳出血により死亡が確認された[1]
  • 12月27日 - 12月24日に競走中の事故で死亡した騎手:大柳英雄の日本中央競馬会葬が、阪神競馬場にて執り行われた[1]
  • 12月29日 - 日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法[2])が公布(施行は1956年1月1日)

競走成績[編集]

中央競馬の主な競走[編集]

誕生[編集]

この年に生まれた競走馬は1958年のクラシック世代となる。

競走馬[編集]

人物[編集]

死去[編集]

競走馬・種牡馬[編集]

人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『優駿』1956年2月号 23頁「大柳騎手の殉職を悼む」参照
  2. ^ 有馬特例法 JRA競馬用語辞典
  3. ^ 『優駿』1956年2月号 22頁「東原調教師の逝去を悼む」の文中では、故人の表記が『東原玉蔵』になっている。

出典・参考[編集]