1964年の西鉄ライオンズ

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1964年の西鉄ライオンズ
成績
パシフィック・リーグ5位
63勝81敗6分 勝率.438[1]
本拠地
都市 福岡県福岡市
球場
平和台野球場
球団組織
経営母体 西日本鉄道
監督 中西太(選手兼任)
« 1963
1965 »

1964年の西鉄ライオンズでは、1964年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。

この年の西鉄ライオンズは、中西太選手兼任監督の3年目のシーズンである。

概要[編集]

1963年の日本シリーズでは巨人に敗退したが、中西監督3年目のチームは2年連続の優勝&日本一奪回が期待された。この年は前年と違って南海が出遅れると、西鉄が開幕ダッシュに成功し5月時点では首位に立っていた。しかし、大黒柱の稲尾和久が右肩痛に襲われ、また主力選手の不振も目立つなどチームは6月を境に成績が下降。最終的に阪急・南海・東映東京(この年大毎から改称)といった四強の草刈り場となり、辛うじて最下位は免れたものの1959年以来、5年ぶりのBクラスの5位でシーズンを終えた。投手陣は稲尾の離脱があったものの、田中勉井上善夫清俊彦などが稲尾をカバーした。打撃陣は前年入団のトニー・ロイジム・バーマジョージ・ウィルソンの「西鉄三銃士」がそれなりの成績を残した。シーズン終了後、体調不良を理由に若林忠志ヘッドコーチが退団するが「中西監督が若林ヘッドに成績不振の責任をかぶせた」として地元以外のマスコミが反発するハプニングもあった。この年の監督だった中西は後年、「若林さんは(1964年の途中から)すでに体調不良だった。私はもう一度若手を育ててくださいといったが若林さんは体調もすぐれないし、もう無理だと言ってきた」と後年回想している。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 玉造陽二
2 バーマ
3 高倉照幸
4 ロイ
5 ウイルソン
6 田中久寿男
7 和田博実
8 城戸則文
9 田中勉
1964年パシフィック・リーグ順位変動
順位 3月終了時 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 西鉄 -- 阪急 -- 西鉄 -- 阪急 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 南海 1.5 西鉄 1.0 阪急 0.0 南海 2.0 阪急 0.5 阪急 6.0 阪急 3.5
3位 阪急 2.5 南海 2.5 南海 2.0 東京 3.5 東京 8.5 東京 9.5 東映 5.5
4位 東京 東京 東京 3.0 西鉄 7.5 西鉄 10.5 東映 11.5 東京 6.0
5位 東映 4.0 東映 3.0 東映 6.0 東映 10.0 東映 11.5 西鉄 17.5 西鉄 19.5
6位 近鉄 4.5 近鉄 9.0 近鉄 10.0 近鉄 19.0 近鉄 23.0 近鉄 30.5 近鉄 28.5
1964年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 南海ホークス 84 63 3 .571 -
2位 阪急ブレーブス 79 65 6 .549 3.5
3位 東映フライヤーズ 78 68 4 .534 5.5
4位 東京オリオンズ 77 68 5 .531 6.0
5位 西鉄ライオンズ 63 81 6 .438 19.5
6位 近鉄バファローズ 55 91 4 .377 28.5

[1]

オールスターゲーム1964[編集]

監督 ファン投票 監督推薦
中西太 広瀬叔功 井上善夫
和田博実
城戸則文
玉造陽二
田中勉
高倉照幸
  • 取り消し線は出場辞退した選手

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2][3]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
高倉照幸 外野手 5年ぶり2度目

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1964年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月22日閲覧。
  2. ^ 西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 埼玉西武ライオンズ. 2017年4月22日閲覧。
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。