1967年イタリアグランプリ

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イタリア 1967年イタリアグランプリ
レース詳細
1967年F1世界選手権全11戦の第9戦
モンツァ・サーキット(1957-1971)
モンツァ・サーキット(1957-1971)
日程 1967年9月10日
正式名称 XXXVIII Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリアの旗 イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 5.75 km (3.573 mi)
レース距離 68周 391.006 km (242.960 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:28.5
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-フォード
タイム 1:28.5 (26周目)
決勝順位
優勝 ホンダ
2位 ブラバム-レプコ
3位 ロータス-フォード

1967年イタリアグランプリ (1967 Italian Grand Prixイタリア語: 1967 Gran Premio d'Italia) は、1967年のF1世界選手権第9戦として、1967年9月10日モンツァ・サーキットで開催された。

27回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[注 1]本レースは、ホンダ・RA300を駆るジョン・サーティースが優勝した。また、スタートライトが使用された最初のレースであった。

レース概要[編集]

デビューウィンを果たしたホンダ・RA300ホンダコレクションホール所蔵)

ホンダ・RA300の製造から完成まで[編集]

ホンダは重量過多で整備性の悪いRA273に見切りを付け、新車を投入することに踏み切った。ローラの協力を取り付け、同社のインディ500用マシンT90をベースに1ヶ月の突貫工事でRA300は製造された[1]。本レースに対してぎりぎりの8月31日に完成したRA300はグッドウッド・サーキットでシェイクダウンを行い、モンツァに乗り込んだ[2]。RA300がモンツァに登場した際には、ホンダとローラの合作であることから「ホンドーラ」と揶揄された[3][4]

エントリー[編集]

チームメイトの度重なる事故にショックを受けてフェラーリを離れた[5]前年のイタリアGPの覇者ルドビコ・スカルフィオッティ英語版イーグルの2台目でスポット参戦した[6]。ホームグランプリを迎えるフェラーリは、新たに軽量化された4バルブエンジンを開発し、クリス・エイモンに託した[7]クーパーエンナ・ペルグーサ英語版でのF2レースの事故から回復途上のペドロ・ロドリゲスに代わり、F2の新星ジャッキー・イクスをスポット起用した[8]。地元出身のジャンカルロ・バゲッティは、チーム・ロータスから3台目の49でスポット参戦した[6]。エントリーの詳細については、後述の#エントリーリストを参照されたい。

予選[編集]

ロータス・49には信頼性の問題が残っていたが、ジム・クラークはもはや当たり前のようにポールポジションを獲得した。フロントローはクラークの他、ジャック・ブラバムブルース・マクラーレンが占め[注 2][9]、2列目はエイモンとダン・ガーニー、3列目はデニス・ハルムジャッキー・スチュワートグラハム・ヒルが占めた[10]。新車RA300を走らせるジョン・サーティースは金曜日のプラクティスから本格的な走行チェックやセットアップを行うが、左フロントのアッパーアームの不具合が出て応急措置を施すため、スペアカーとして持ち込んだRA273を走らせた。土曜日の最終プラクティス前に応急措置を終えたRA300だったが、プラクティス開始直後から激しい雨が降り、セッションは中断した。雨がやんだ後、レース主催者はプラクティスを30分延長した。完全ウエットに近い状況の中で最小限のセットアップを行ったが、RA273より速いという確信を持った[11]。サーティースは4列目の9番グリッドからスタートする[10]

決勝[編集]

スタートからブラバムがリードするが、2周目にガーニーがリードを奪い、ヒル、クラーク、マクラーレン、スチュワート、ハルムが続く。3周目の終わりまでにクラークがリードし、2周後にはガーニーがエンジントラブルでリタイアとなり、ヒルが2位に浮上した。そして、2台のロータスを追うハルムがリードを奪った。ここからロータス勢はいつものように問題にぶつかる[10]。クラークは13周目にタイヤがパンクして予定外のピットインを強いられ、周回遅れとなってしまった[12]。ヒルはブラバム勢と先頭集団を形成しトップを入れ替えていたが、その後ハルムはエンジントラブルでリタイアした。クラークは猛烈な追い上げを見せ、ヒルがブラバムから逃げるのを手助けした。それはまたクラークが同一周回に戻るのを助けた[10]。サーティースはマクラーレンやエイモンなどと第2集団を形成し、その先頭に出る[13]

クラークはサーティースを抜いて3位に浮上し、59周目にヒルがエンジントラブルでリタイアすると2位まで順位を戻した[10]。そして首位のブラバムも抜き、ついに首位奪取に成功した[12]。サーティースもブラバムを抜いた。首位を奪い返したクラークだったが、最終ラップに燃料ポンプのトラブルに見舞われ優勝争いから滑り落ちると、サーティースとブラバムの一騎打ちとなった[10]。最終コーナー「パラボリカ」の入口でブラバムがサーティースのインに飛び込む。しかし、その先にはヒルがリタイアした際にこぼしたオイルの跡が残っており、ブラバムはこれに乗って姿勢を乱してアウト側に大きく膨らむ。一瞬ラインを大きく交差させ、サーティースは最後の直線に差し掛かるところで再びイン側につけると、アクセルを踏む右足に渾身の力を込める。姿勢を取り戻したブラバムは軽量ボディの加速の良さでサーティースとの差を縮めるが、チェッカーフラッグが振られた時、サーティースのホンダ・RA300はまだわずか1車身だけブラバムより前にあった。この結果、サーティースはホンダにRA300のデビューウィンと1965年メキシコGP以来となる2勝目をもたらした[12]。サーティースがフェラーリを去ったことを惜しみつつ、依然として彼を愛してやまないイタリアの観客たちは、その勝利を目にして歓びに沸き返った[14]。レース後の表彰式では、フェラーリ時代のチームメイトで4ヶ月前の第2戦モナコGPの事故で亡くなったロレンツォ・バンディーニ未亡人から優勝カップが授与された[15]。僅差で敗れたブラバムだったが、この2位でブラバムの2年連続となるコンストラクターズチャンピオンを決定させ、ドライバーズチャンピオン争いもブラバムとハルムのブラバム勢に絞られた[10]

エントリーリスト[編集]

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 2 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 4 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 6 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
アメリカ合衆国の旗 アングロ・アメリカン・レーサーズ 8 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
10 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ
フランスの旗 ギ・リジェ 12 フランスの旗 ギ・リジェ ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 F
日本の旗 ホンダ・レーシング 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA300 ホンダ RA273E 3.0L V12 F
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 16 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT24 レプコ 740 3.0L V8 G
18 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
イギリスの旗 チーム・ロータス 20 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
22 イギリスの旗 グラハム・ヒル
24 イタリアの旗 ジャンカルロ・バゲッティ
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 26 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
スイスの旗 エキュリー・フィリピネッティ 28 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ 1 クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 30 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー T86 マセラティ 10/F1 3.0L V12 F
32 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス T81B
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 34 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM P115 BRM P75 3.0L H16 G
36 イギリスの旗 マイク・スペンス P83
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 38 イギリスの旗 クリス・アーウィン BRM P83 BRM P75 3.0L H16 F
イギリスの旗 イアン・ラビー・レーシング 40 イギリスの旗 トレバー・テイラー 2 マクラーレン M2B クライマックス FWMV 2.0L V8 F
ソース:[16]
追記
  • ^1 - エントリーしたが出場せず[17]
  • ^2 - マシンが準備できず[17]

結果[編集]

予選[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 20 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-フォード 1:28.50 - 1
2 16 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:28.80 +0.30 2
3 4 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 1:29.31 +0.81 3
4 2 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 1:29.35 +0.85 4
5 8 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:29.38 +0.88 5
6 18 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム ブラバム-レプコ 1:29.46 +0.96 6
7 34 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM 1:29.60 +1.10 7
8 22 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:29.70 +1.20 8
9 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 1:30.30 +1.80 9
10 10 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ イーグル-ウェスレイク 1:30.80 +2.30 10
11 30 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 1:31.30 +2.80 11
12 36 イギリスの旗 マイク・スペンス BRM 1:32.10 +3.60 12
13 6 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 1:32.30 +3.80 13
14 26 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 1:32.50 +4.00 14
15 32 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス クーパー-マセラティ 1:33.00 +4.50 15
16 38 イギリスの旗 クリス・アーウィン BRM 1:33.20 +4.70 16
17 24 イタリアの旗 ジャンカルロ・バゲッティ ロータス-フォード 1:35.20 +6.70 17
18 12 フランスの旗 ギ・リジェ ブラバム-レプコ 1:37.30 +8.80 18
ソース:[18][9]

決勝[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 68 1:43:45.0 9 9
2 16 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 68 +0.2 2 6
3 20 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-フォード 68 +23.1 1 4
4 30 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 68 +56.6 11 3
5 36 イギリスの旗 マイク・スペンス BRM 67 +1 Lap 12 2
6 32 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス クーパー-マセラティ 66 +2 Laps 15 1
7 2 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 64 +4 Laps 4
Ret 22 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 58 エンジン 8
Ret 6 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 50 アクシデント 13
Ret 24 イタリアの旗 ジャンカルロ・バゲッティ ロータス-フォード 50 エンジン 17
Ret 4 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 46 エンジン 3
Ret 26 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 46 オーバーヒート 14
Ret 34 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM 45 エンジン 7
Ret 18 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム ブラバム-レプコ 30 オーバーヒート 6
Ret 12 フランスの旗 ギ・リジェ ブラバム-レプコ 26 エンジン 18
Ret 38 イギリスの旗 クリス・アーウィン BRM 16 燃料噴射装置 16
Ret 10 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ イーグル-ウェスレイク 5 エンジン 10
Ret 8 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 4 エンジン 5
ソース:[19]
ファステストラップ[20]
ラップリーダー[21]

第9戦終了時点のランキング[編集]

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  2. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。

出典[編集]

  1. ^ (中村良夫 1998, p. 216-217)
  2. ^ (中村良夫 1998, p. 219-220)
  3. ^ (中村良夫 1998, p. 221)
  4. ^ サーティースが取り持った縁”. HONDA. 2019年6月23日閲覧。
  5. ^ (林信次 1995, p. 42-43)
  6. ^ a b (林信次 1995, p. 50)
  7. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 230)
  8. ^ (林信次 1995, p. 49)
  9. ^ a b Italy 1967 - Starting grid”. STATS F1. 2019年6月25日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g Italian GP, 1967”. grandprix.com. 2019年6月23日閲覧。
  11. ^ (中村良夫 1998, p. 220-222)
  12. ^ a b c (林信次 1995, p. 35)
  13. ^ (中村良夫 1998, p. 222)
  14. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 231)
  15. ^ (林信次 1995, p. 38-39)
  16. ^ Italy 1967 - Race entrants”. STATS F1. 2019年6月25日閲覧。
  17. ^ a b Italy 1967 - Result”. STATS F1. 2019年6月25日閲覧。
  18. ^ Italy 1967 - Qualifications”. STATS F1. 2019年6月25日閲覧。
  19. ^ 1967 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  20. ^ Italy 1967 - Best laps”. STATS F1. 2019年6月23日閲覧。
  21. ^ Italy 1967 - Laps led”. STATS F1. 2019年6月23日閲覧。
  22. ^ a b Italy 1967 - Championship”. STATS F1. 2019年3月1日閲覧。

参照文献[編集]

  • en:1967 Italian Grand Prix(2019年3月18日 16:24:55(UTC))より翻訳
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
前戦
1967年カナダグランプリ
FIA F1世界選手権
1967年シーズン
次戦
1967年アメリカグランプリ
前回開催
1966年イタリアグランプリ
イタリアの旗 イタリアグランプリ 次回開催
1968年イタリアグランプリ
前回開催
1966年フランスグランプリ
欧州連合の旗 ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1968年ドイツグランプリ