1970年の広島東洋カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1970年の広島東洋カープ
成績
セントラル・リーグ4位
62勝60敗8分 勝率.508[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場
広島市民球場
Hiroshima Municipal Baseball Stadium 2008.JPG
球団組織
オーナー 松田恒次松田耕平
経営母体 松田家(東洋工業創業者一族)
監督 根本陸夫
« 1969
1971 »

1970年の広島東洋カープでは、1970年の広島東洋カープの動向についてまとめる。

この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の3年目のシーズンである。

概要[編集]

1968年に球団初のAクラスになりながらもわずか1年で最下位に転落したチームの体質改善を図るべく根本監督は前年オフから積極的に戦力補強を行い、コーチ陣も大幅に一新。根本監督の高校時代の盟友である関根潤三をヘッドコーチに、巨人の名遊撃手で関根ヘッドコーチのチームメートだった広岡達朗を守備走塁コーチとして招聘。コーチ陣一新の成果が期待されたが、この年は前年まで5連覇の巨人と2位の阪神が開幕からマッチレースを続け、チームはそれに割って入れず5月18日の巨人戦では渡辺秀武にノーヒットノーランを味わい、7月以降はBクラスで定着。投手陣では4本柱の安仁屋宗八外木場義郎白石静生大石弥太郎がBクラスのチームで勝ち星を重ね、打撃陣でも古葉竹識南海移籍で三村敏之井上弘昭などの若手が出場機会を増やし、2年目の水沼四郎田中尊久保祥次の陰に隠れながらも出場機会を増やした。若手の積極起用や新戦力の投入もチームのカンフル剤にはならず、勝ち越しながら4位で終わり巨人の6連覇を許した。シーズン終了後、衣笠祥雄水谷実雄などに影響を与えたベテランの山内一弘が引退し、背番号8は翌年から山本浩二がつけることになった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 三村敏之
2 朝井茂治
3 山本浩二
4 山本一義
5 山内一弘
6 衣笠祥雄
7 井上弘昭
8 田中尊
9 外木場義郎
1970年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 阪神 0.5 広島 5.5 大洋 5.5 阪神 3.5 阪神 3.0 阪神 2.0
3位 阪神 2.0 広島 2.0 大洋 6.0 阪神 6.0 大洋 6.0 大洋 4.5 大洋 10.0
4位 ヤクルト 3.0 大洋 5.5 阪神 7.0 広島 8.0 広島 10.0 広島 10.5 広島 15.0
5位 中日 3.0 中日 6.5 中日 11.5 中日 16.5 中日 14.5 中日 19.0 中日 23.5
6位 大洋 3.5 ヤクルト 9.5 ヤクルト 15.0 ヤクルト 21.0 ヤクルト 29.0 ヤクルト 35.0 ヤクルト 45.5
1970年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 79 47 4 .627 -
2位 阪神タイガース 77 49 4 .611 2.0
3位 大洋ホエールズ 69 57 4 .548 10.0
4位 広島東洋カープ 62 60 8 .508 15.0
5位 中日ドラゴンズ 55 70 5 .440 23.5
6位 ヤクルトアトムズ 33 92 5 .264 45.5

[1]

選手・スタッフ[編集]

オールスターゲーム1970[編集]

ファン投票 選出なし
監督推薦 大石弥太郎 白石静生 外木場義郎 山内一弘
補充選手 三村敏之

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 佐伯和司 投手 広陵高 入団
2位 永本裕章 投手 盈進高 入団
3位 石井高雄 外野手 柳川商業高 入団
4位 前田三郎 捕手 下関商業高 入団
5位 金城基泰 投手 此花商業高 入団
6位 荒金雄司 投手 別府商業高 拒否・日本鉱業佐賀関入社
7位 守岡茂樹 外野手 岡山東商業高 入団

脚注[編集]

[ヘルプ]

出典[編集]