1971年のヤクルトアトムズ(1971ねんのヤクルトアトムズ)では、1971年のヤクルトアトムズの動向をまとめる。
この年のヤクルトアトムズは、三原脩監督の1年目のシーズンである。
概要[編集]
前年の惨敗から巻き返しをはかるチームは松園オーナーが前年まで近鉄の監督だった三原脩を新監督に、三原の娘婿でもある中西太をヘッドコーチに招聘してチーム再建に着手。またユニフォームもそれまでの赤と青主体から、黒とオレンジに変更され巨人風のスタイルに変更された。投手陣ではエース松岡弘と浅野啓司に加え、二刀流の外山義明、さらに石岡康三などが活躍。打線もルーキーの若松勉が三原監督や中西ヘッドコーチの指導もあって規定打席不足ながら3割を打ち、後半戦からはレギュラーに定着した。このほかにも4番のデーブ・ロバーツ、前年盗塁王の東条文博なども活躍した。チームは前半戦を首位巨人から11.5ゲーム差の2位で折り返したが、後半戦以降は負けが込んで最後は息切れ。結局2年連続の最下位で終わったものの前年より借金を大きく減らしたことで選手に自信がつき(前年は借金59だったのがこの年は借金20)、翌年からの2年連続4位につながった。その一方で5月12日には荒巻淳投手コーチが肝硬変で死去し、8日後の5月20日には会田照夫が広野功に代打逆転満塁サヨナラ本塁打を打たれ、さらに5月25日にはエース浅野が長嶋茂雄に2000本安打を打たれるなどのハプニングもあった。投手陣は前年の3.78から3.03へと防御率が改善されたほか、打撃陣はロバーツ、若松の活躍もありチーム打率がリーグ2位の.234となったが、本塁打は94本でリーグ4位に終わった。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位 |
4月終了時 |
5月終了時 |
6月終了時 |
7月終了時 |
8月終了時 |
最終成績
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1位
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
4.5
|
広島 |
4.5
|
広島 |
8.0
|
ヤクルト |
10.0
|
大洋 |
10.0
|
中日 |
6.5
|
3位
|
阪神 |
6.0
|
大洋 |
7.5
|
ヤクルト |
9.0
|
中日 |
12.0
|
広島 |
10.5
|
大洋 |
8.0
|
4位
|
ヤクルト |
6.0
|
ヤクルト |
9.5
|
中日 |
10.0
|
広島 |
12.5
|
中日 |
10.5
|
広島 |
8.0
|
5位
|
中日 |
6.5
|
中日 |
10.0
|
阪神 |
11.5
|
大洋 |
14.0
|
阪神 |
11.0
|
阪神 |
12.5
|
6位
|
広島 |
7.0
|
阪神 |
10.5
|
大洋 |
12.5
|
阪神 |
14.5
|
ヤクルト |
12.0
|
ヤクルト |
19.0
|
オールスターゲーム1971[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
[2][3]
表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
この年は12名指名し10名入団、入団しなかった3位の尾崎健夫は実兄・尾崎将司同様、プロゴルファーとなる。
出典[編集]
- ^ “年度別成績 1971年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月4日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 147
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。