1971年の中日ドラゴンズ

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1971年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
65勝60敗5分 勝率.520[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場
中日スタヂアム
球団組織
オーナー 小山武夫
経営母体 中日新聞社
監督 水原茂
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1971年の中日ドラゴンズでは、1971年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、水原茂監督の3年目のシーズンである。

概要[編集]

1969年の黒い霧事件でエースの小川健太郎田中勉が逮捕され、その1969年オフに板東英二権藤博などが引退したことにより先発陣が若手主体となったチームはもう一人のエース・星野仙一渋谷幸春などを中心に投手陣を再編したが、その星野が開幕前に故障したこともあり開幕ダッシュに失敗し、巨人の独走を許した。5月には主力選手の体調不良に襲われた阪神と最下位を争うなど苦戦したが、故障から復帰の星野をはじめ、渋谷、松本幸行、後半からローテーション入りの新人稲葉光雄などといった若手が台頭し、打撃陣でもこの年一軍入りした大島康徳がプロ入り初本塁打を放って外野のレギュラーとなり、谷沢健一島谷金二は低打率ながらも水原監督の辛抱強い起用で主力選手に成長した。チームは星野・渋谷・大島ら若手の活躍もあって阪神や大洋など4球団とAクラス争いを演じ、最後は貯金5ながらも1967年以来の2位でシーズンを終えた。大洋・阪神には15勝10敗1分と勝ち越すも、最下位で水原監督のライバルである三原脩監督が就任したヤクルトには12勝12敗2分で苦戦した。水原監督は最終戦の10月8日に退任し、与那嶺要ヘッドコーチが監督に就任。久しぶりのOB監督誕生により、チームは1974年の優勝へと向かうことになる。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 高木守道
2 バート
3 中利夫
4 ミラー
5 木俣達彦
6 谷沢健一
7 菱川章
8 島谷金二
9 伊藤久敏
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 4.5 広島 4.5 広島 8.0 ヤクルト 10.0 大洋 10.0 中日 6.5
3位 阪神 6.0 大洋 7.5 ヤクルト 9.0 中日 12.0 広島 10.5 大洋 8.0
4位 ヤクルト 6.0 ヤクルト 9.5 中日 10.0 広島 12.5 中日 10.5 広島 8.0
5位 中日 6.5 中日 10.0 阪神 11.5 大洋 14.0 阪神 11.0 阪神 12.5
6位 広島 7.0 阪神 10.5 大洋 12.5 阪神 14.5 ヤクルト 12.0 ヤクルト 19.0
1971年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 70 52 8 .574 -
2位 中日ドラゴンズ 65 60 5 .520 6.5
3位 大洋ホエールズ 61 59 10 .5083 8.0
4位 広島東洋カープ 63 61 6 .5080 8.0
5位 阪神タイガース 57 64 9 .471 12.5
6位 ヤクルトアトムズ 52 72 6 .419 19.0

オールスターゲーム1971[編集]

ファン投票 谷沢健一
監督推薦 渋谷幸春 伊藤久敏 水谷寿伸 木俣達彦

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
木俣達彦 捕手 3年連続3度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 藤沢哲也 投手 鶴崎工業高 入団
2位 奥田和男 投手 電電東海 入団
3位 白滝政孝 外野手 新日本製鐵広畑 入団
4位 金子勝美 内野手 早稲田大学 入団
5位 中嶋愛和 外野手 京都商業高 入団
6位 宮本聡 捕手 高鍋高 拒否
7位 平松秀敏 投手 尾北高 入団

出典[編集]

  1. ^ 年度別成績 1971年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月14日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。