1972年の阪神タイガース

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1972年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ2位
71勝56敗3分 勝率.559[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium 2007-21.jpg
球団組織
オーナー 野田誠三
経営母体 阪神電気鉄道
監督 村山実(選手兼任)
金田正泰(4月21日より代行)
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1972年の阪神タイガース(1972ねんのはんしんタイガース)では、1972年シーズンの阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、村山実選手兼任監督の3年目のシーズンである。村山監督は、4月21日から金田正泰に監督代行を委ね、名目上監督を続けたが、実質的に選手に専念した。

概要[編集]

前年投打の主力が体調不良に陥り、打撃陣全体が貧打にあえぐなど5位に終わったチームは巻き返しを図るべく監督経験者の金田正泰をヘッドコーチとして招聘。村山監督・金田ヘッドの二頭体制で開幕を迎えるが、開幕8試合でわずか2勝しかできず村山監督が指揮権を金田ヘッドに委ねる。結局4月は5位に終わったが、それ以降チームは勝ちだし5月と7月に2度巨人と同率首位になるなど、8年ぶり優勝の声が聞こえ始めた(阪神は1964年を最後に優勝から遠ざかっていた)。しかし、打線の貧打などもあって8月以降は失速。最後は巨人の8連覇を許したが、2位と躍進した(巨人とのゲーム差が前年12.5だったのがこの年は3.5に縮まった)。投手陣では江夏豊上田次朗がエースとして活躍し、ローテ入りした谷村智啓も11勝をあげたがルーキーの山本和行は勝ち星が伸びず、江夏に代わって開幕投手も務めた古沢憲司はわずか1勝にとどまった。打撃陣ではこの年入団の中村勝広望月充など新戦力が台頭し、急性腎炎から復帰の田淵幸一や前年28本塁打の藤田平が打線の中心になったものの、田淵・藤田以外の打者は低打率にあえいだ。シーズン終了後、村山実は現役を引退し監督も退任。後任は金田監督代行がそのまま就任した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 中村勝広
2 藤田平
3 望月充
4 遠井吾郎
5 田淵幸一
6 藤井栄治
7 野田征稔
8 池田純一
9 古沢憲司
1972年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 1.0 阪神 大洋 2.5 阪神 阪神 4.0 阪神 3.5
3位 巨人 2.0 大洋 1.5 阪神 3.0 大洋 4.0 大洋 8.5 中日 7.0
4位 広島 3.0 中日 5.0 中日 4.0 中日 5.0 中日 9.0 ヤクルト 14.5
5位 阪神 4.0 広島 7.5 ヤクルト 13.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 12.0 大洋 17.0
6位 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 広島 13.5 広島 12.5 広島 20.5 広島 24.0
1972年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 74 52 4 .587 -
2位 阪神タイガース 71 56 3 .559 3.5
3位 中日ドラゴンズ 67 59 4 .532 7.0
4位 ヤクルトアトムズ 60 67 3 .472 14.5
5位 大洋ホエールズ 57 69 4 .452 17.0
6位 広島東洋カープ 49 75 6 .395 24.0

[1]

オールスターゲーム1972[編集]

ファン投票 監督推薦
中村勝広
望月充
池田祥浩
谷村智博
江夏豊
田淵幸一

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
江夏豊 最多奪三振 233個 6年連続6度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
田淵幸一 捕手 初受賞
ダイヤモンドグラブ賞(新設)
選出なし

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 五月女豊 投手 日本石油 入団
2位 森山正義 外野手 明治学院大学 入団
3位 松永美隆 投手 宇部商業高 入団
4位 東沢弘 投手 興國高 拒否・法政大学進学
5位 新谷守 外野手 天理高 拒否・天理大学進学

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1972年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月25日閲覧。
  2. ^ 日本経済新聞1972年11月3日20面「『11』を永久欠番に 村山、阪神を正式に退団」日本経済新聞1972年11月p96