1975年の阪神タイガース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1975年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ3位
68勝55敗7分 勝率.553[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium 2007-21.jpg
球団組織
オーナー 野田忠二郎
経営母体 阪神電気鉄道
監督 吉田義男
« 1974
1976 »

1975年の阪神タイガース(1975ねんのはんしんタイガース)では、1975年シーズンの阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、吉田義男監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

優勝が期待されながらも4位転落の責任を取り金田正泰前監督が辞任すると、往年の名遊撃手・吉田義男がこの年から監督に就任。吉田新監督は前年日本一のロッテとの間で大型トレードを行い、池辺巌を獲得。またコーチ陣も吉田新監督のかつての同僚で1964年優勝時の正捕手・辻佳紀が現役兼任でバッテリーコーチに、前年で引退した一枝修平はこの年からヘッド兼内野守備コーチに就任。監督・コーチに加えてユニフォームも一新され、ビジター用はそれまでのグレーに変わってスカイブルーが採用され、袖とズボンのギザギザラインはデザイナーの永井一正が手掛けるなど「新選組ユニフォーム」と言われた。チームは優勝候補筆頭の巨人が開幕から最下位に低迷したこともあり、大洋も含めて5球団が5月まで首位を争う展開。6月に入ると大洋、8月に入るとヤクルトがそれぞれ脱落したこともあり前年優勝の中日広島と優勝争いを展開したが、死のロードの影響もあり9月以降は勝ち星を伸ばせず、広島の初優勝を許し3位で終えた。投手陣は江夏豊上田次朗などが1年通してローテーションを守り、リリーフではこの年移籍の安仁屋宗八が守護神となり、最優秀防御率を受賞。打撃陣も4番の田淵幸一が本塁打王を獲得し、後半からは掛布雅之が三塁手のレギュラーを獲得するなど明るい話題もあった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 中村勝広
2 テーラー
3 藤田平
4 田淵幸一
5 アルトマン
6 池辺巌
7 望月充
8 佐野仙好
9 江夏豊
1975年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋 -- ヤクルト -- 広島 -- 中日 -- 広島 -- 広島 --
2位 阪神 0.5 広島 0.5 ヤクルト 0.5 阪神 0.5 中日 1.5 中日 4.5
3位 ヤクルト 2.5 阪神 1.0 阪神 1.0 広島 0.5 阪神 阪神 6.0
4位 広島 3.0 中日 1.5 中日 1.5 ヤクルト 1.5 ヤクルト 5.0 ヤクルト 16.0
5位 中日 3.5 大洋 2.5 大洋 5.5 大洋 7.0 大洋 8.0 大洋 21.5
6位 巨人 5.5 巨人 6.5 巨人 9.5 巨人 11.5 巨人 14.0 巨人 27.0
1975年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 広島東洋カープ 72 47 11 .605 -
2位 中日ドラゴンズ 69 53 8 .566 4.5
3位 阪神タイガース 68 55 7 .553 6.0
4位 ヤクルトスワローズ 57 64 9 .471 16.0
5位 大洋ホエールズ 51 69 10 .425 21.5
6位 読売ジャイアンツ 47 76 7 .382 27.0

[1]

オールスターゲーム1975[編集]

ファン投票 監督推薦
田淵幸一 安仁屋宗八
江夏豊
中村勝広
藤田平

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
田淵幸一 本塁打王 43本 初受賞
安仁屋宗八 最優秀防御率 1.91 初受賞
その他
選手名 タイトル
安仁屋宗八 カムバック賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
田淵幸一 捕手 4年連続4度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
藤田平 遊撃手 2年ぶり2度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 足立義男 投手 大分鉄道管理局 拒否
2位 鍛治舎巧 外野手 松下電器 拒否
3位 宮田典計 投手 鐘淵化学 入団
4位 中沢泰司 外野手 高知商業高 入団
5位 深沢恵雄 投手 日本楽器 翌年シーズン後に入団
6位 豊平晋一 内野手 中京商業高 入団

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]